「公表をはばかる内容なので公表できません」


 別件で上京した機会をとらえて、防衛省防衛研究所史料閲覧室でなにかおもしろそうな史料はないか漁ってきました。


 ちょっと使い勝手は悪かったですが、あそこはあそこで宝の山ですね! ぜひまた漁りに行きたいですね。旧軍関係者の回想録とか文書とかあそこ(一部東アジア歴史資料センターにもあるが、やっぱ史料閲覧室の方が豊富かね)にしかない史料がいっぱいって感じ。
 あまり多くは読めなかったけど、その中でも特に「折田貞重大佐回想録」がお勧めかな? とても興味深いことがたくさん書いてあります(あと当人がすごいやる気になって書いています)。一部コピーしてきたので、そのうち著作権に反さない限りの引用で紹介します。



 それはそうと、以下の二つのような防衛研究所の奇妙な対応も体験してしまいました。



・閲覧不可になった毒ガス戦史料


日本軍毒ガス作戦の村―中国河北省・北坦村で起こったこと

日本軍毒ガス作戦の村―中国河北省・北坦村で起こったこと


という本がある。

日中戦争下、華北各地で日本軍がおこなった三光作戦。毒ガスを使って約千人の犠牲者を出した「北坦事件」の実態を、生存者たちへの聞き取り、日本軍の元兵士の証言をもとに、15年の歳月をかけて再現した執念のドキュメント。(「BOOK」データベースより)


との説明にあるように、この本は日本軍が河北省の北坦村で毒ガス戦を用い、地下道に避難していた住民ら800人以上を虐殺した事実を十五年の歳月をかけて証明した良書である。
 著者は中国側の生存者の証言や史料だけでなく、作戦に従事した旧日本兵へもインタビューし、さらにその裏づけとなる日本側の文献史料も発見した。
 その日本側史料の発見場所は防衛研究所史料閲覧室、史料名は「第百十師団第一六三聯隊大隊長大江芳若少佐資料」。この資料は防衛庁が『戦史叢書』など戦史の編纂のために集めた回想・手記の一つらしく、『日本軍〜』によれば、以下のような戦史編纂官のコメントがある。

「本資料は昭16・8〜18・12 110D163i(「昭和十六年八月〜同十八年12月 一一〇師団一六三連隊」の略)の大隊長である本人(筆者注―大江芳若氏)が執筆または使用した治安関係資料であり、好資料と認める」(P43)


 以下、『日本軍毒ガス作戦の村』に引用されている部分より。(()内はブログ主の補足)


直ちに部落外囲の坑道を捜索せしめ又部落中の井戸其他坑を捜索せしめ毒瓦斯(毒ガス)を投入せしむ。(P45)

 と、はっきりと毒ガス戦の使用について描かれている。 


 『北支の治安戦』の巻末引用資料一覧にも「大江芳若中佐(41期)治安工作関係資料綴」(第百十師団歩兵第百六十三聯隊第一大隊長時代)という資料名があるが、内容からして同一のものと判断していいだろう。『北支の治安戦』では、この資料の毒ガス使用の箇所にはふれず、治安戦の戦果についての記述だけ利用しており、そのあたりを指して「好資料」と言っているのだろう。


この虐殺事件に私はとくに重点を置いていたわけではないが、せっかく史料閲覧室に来たのだし、研究の基本である原文史料の確認をしておこうと、職員に請求した。*1


 ところが。


職員「その史料は閲覧不可史料です」


 ・・・・・・・・・・・・えっ? でも以前ここで見たってあの本には書いてあったよ?


職員「以前は閲覧できましたが、遺族の希望により、平成17年から閲覧不可になりました」



 ・・・・・・・・・・・・そう来たかぁ!防衛研究所!!


 「大江資料」を日本軍毒ガス作戦の証拠とするこの本が出たのが1997年(平成15年)。それと閲覧不可の関係を予想するのはあまりに容易だ。


 う〜うん。防衛省の隠蔽体質は知っていたが、まさしくそれを実感できた体験だった。


 と、思ったら、第二段があった。




・「そこには公表をはばかる内容が書かれているので公表できません」

 

 さて、『北支の治安戦 2』巻末の典拠史料の中に「北支に於ける奔敵事犯と之が警防対策」という史料がある。
 これはもしかして華北において自ら敵(八路軍)に走った(=奔敵)日本兵らのことに関する史料ではないかと思い請求したらまさしくその通りであった。


 この史料は30ページほどの小冊子の形態で、昭和18年憲兵隊によって内部発行された史料らしい。表紙には発行時(昭和18年)に押された「極秘」のスタンプがある。
 この史料には少なからぬ数の日本兵が「奔敵」したり、「生きて虜囚の辱めを受けず」を破って生きて敵の捕虜になったことが書かれている。中には八路軍に「奔敵」し、または捕虜になった後、帰ってきたり帰されてきたりする日本兵もおり、その時の情況などについての取調べの記録もある。


 ところが、小冊子の後半は、なぜか袋綴じになっており読むことができない。どうやら当時から袋綴じになっていたわけではなく、防衛研究所に史料として収蔵されるにあたってそのような処置がほどこされたようだ。



 さっそく職員に聞いてみた。


私「この袋綴じになっている箇所、読めないんですか?」
職員「そこには公表をはばかる内容が記されているので公表できません」



・・・・・・・・・・・・・・・公表をはばかる内容ってナンですか?


 よっぽど聞きたかったが、「公表をはばかる、ってどんな内容だからですか?」とか聞いても「だから、そういうのを言えないから「公表をはばかる内容」なんだよ!」ってツッコまれるだけなのでやめた。



 ただ、推測することはできる。


 この史料には「奔敵」行為や「生きて虜囚の辱め」を受けたあげく、日本軍に戻ってきた日本兵たちについて、憲兵隊がそれに対処するために作成したものだ。前半でそれらの事例について分析しているのなら、(袋綴じで読めない)後半には、その「対策が書かれているのだろう。そこには戻ってきた「日本兵」をどう処遇するかについて書かれているのではないだろうか?
 まだはっきり調べたわけではないが、いったん捕虜になったが解放されて日本軍に戻ってきた兵士が殺されてしまっているという話が日本兵たちの間で存在したらしい。中国側(八路軍中共)の証言でも、当初は捕虜にした日本兵を解放していたが後に「日本軍に戻ったら殺される」と訴えられて日本軍に戻すのはやめた、という話がある*2
 おそらく「公表をはばかる内容」とは、戻ってきた自軍の兵士(捕虜含む)の<処置>についてではないだろうか? もちろん<処置>とは殺害のことで、憲兵隊の内部史料であることを考えればかなりはっきりと書いてあったとしてもおかしくない。



 ともかく、見せられないと言われるとよけい見たくなるのが人情である。


私「どうしても見れないんですか?」
職員「申請があれば会議にかけて公表を検討します・・・・・・でも申請が通ることはほぼないですよ」
 

 ・・・・・・なんつーか、職員さんの対応は親切なんだけど、そこはかとなく「申請なんてするなよ、その史料ヤバイんだから」という言外のメッセージが感じられる雰囲気だったんだよな〜。
 時間もなかったし、なんだかめんどうな話になりそうだったので結局申請はしないで帰還。
 今思えば黙って下がるのも悔しいので、申請してくりゃよかった。今度、挑戦してみるか。



 と言うわけで、興味深い史料を漁れただけでなく、防衛省(あるいは役所)の隠蔽体質&史料から見え隠れする日本軍の闇ということも実感できたわけで、なかなか有意義な調査でした。


 

*1:史料閲覧室では閲覧したい史料を職員に請求して史料庫から持ってきてもらう仕組み

*2:このへんは『日中戦争下 中国における日本人の反戦活動』あたりに載っていたはず