アメリカ旅客鉄道史おまけ(雑談と掲示板) 作者のアメリカ鉄道雑談

○続「スーパー路面電車の時代」
-戦前日本の運輸連合-
2008/10/15
 
  1930年代の欧米の都市交通が結構革新的であったことは「スーパー路面電車の時代」で記したが、日本でもとんでもない事例があった。運輸連合である。
  運輸連合というのは複数の事業者間でサービス、運賃の共通化をはかり、異なる会社の電車同士や電車−バスでも一枚の切符で利用できる、というような便利な物で、ドイツの都市交通で盛んに行われている。というわけで、海外事例を調べている人から
「遅れている日本でもやるべし」という意見が挙がっていて、私もその尻馬に乗っていたのであるが、今を遡る事67年前、香川県では「香川県下運賃プール」として実行されていたのである。

  この、香川県下運賃プールとは
・国鉄と香川県下の私鉄(琴平電鉄、琴平参宮電鉄、四国水力、高松電気鉄道)との間の通し乗車券を発行
・国鉄と私鉄の並行区間に関しては運賃を同額に設定
・並行区間に関しては同一の切符でどの鉄道の利用も可
・高松発着に関しては国鉄、私鉄かかわらず市内電車(四国水力)を無料で利用可、高松での乗り換えに関しては、市内バス、市内電車どちらも無料で利用可
・運賃収入に関しては輸送実績にもとづいて事業者間で按分

  というもので、通し乗車券は今の日本でもやっている話であるが、その他は、ドイツで盛んに行われている運輸連合と同様の画期的なものである。

  この運賃プール制は1941年9月に始められた。太平洋戦争開戦直前で、なにやら軍部主導の統制経済の影響のように思えてしまうが、起源は連合国であるイギリスのロンドンで1934年に実行された経営一元化である。スーパー路面電車の時代でも少し記した都市交通の一元化運営の動きは世界的な動きで、国際連盟では先進各国における交通の一元的運営に向けた動きに関する調査報告を1939年に出していて、1933年に脱退したにも関わらず、日本の状況が載っていたりする(国際連盟脱退後も一部会議には参加していたらしい)。別に世界の流れに遅れまいと思ったわけではないだろうが、1930年代の日本の都市交通におけるバスの進出による混乱ぶりは深刻で、政府はロンドンの政策を研究し、1938年に交通事業の一元化を推進する法律、陸上交通事業調整法を施行したのである。その本格的な適用事例の一つが香川圏内の事例であるというわけである。

  ところで、この陸上交通事業調整法が目指したのは大都市圏、特に首都圏の交通の統合で、国鉄と私鉄がばらばらにやっていた鉄道経営を統一して、利用者の利便性を向上させるとともに、運賃収入を地下鉄整備などに有効に使おうというものである。その計画とは、東京市電や民鉄、バスはおろか、東京近郊の国鉄路線も事業体として合併、利用客にとってはあたかも一つの会社を使っているような感覚で利用してもらえるようにしよう、という恐るべき物であったが、さすがに規模が大きすぎて上手くいかず、営団地下鉄を設立するというような形で暫定的、小規模に実施した後、本格的な実行は時期をみようという話になった。

  しかし、時代はすでに日中戦争のさなか、軍事的な要請でいえば、こういった大規模な事業者統合よりは、鉱山や工場につながる私鉄と国鉄の輸送が円滑に行けばいいわけで、戦時買収でいくつかの私鉄が買収され、強制的な私鉄の合併が行われる事でお茶は濁されてしまった。先述の香川の事例も年間260万人の利用があったというものの1944年1月に戦争の激化によって取りやめられてしまい、戦後復活することはなかった。陸上交通調整法は今でも残っていて運輸政策審議会などの一部はこの法律に基づき開かれるらしいが、議事録を見る限り戦前の事例は最早省みられることなく、運輸連合の事例も、欧米のLRTって車両も運営制度もいいね、という月並みな話に基づいて紹介されるのみとなっている。

なお、陸上交通調整法の成果としては、愛知、富山、石川、三重、大分などでの交通事業者の統合が挙げられる。名古屋鉄道が大手にもかかわらずローカル線を大量に有し、富山に富山地鉄、石川に北陸鉄道、三重と大分で県名を冠したバス会社が独占的経営を行っているのはそのためである。国鉄が参加しなかった事と、運賃面での改革がなかった事から現代的意義は小さくなってしまっているが。

参考文献
鈴木清秀、「交通調整の実際」、交通経済社、1954


(2009年9月7日補足)

  東京に関する統合の上手く行かなかった理由について、さすがに規模が大きすぎて上手くいかず・・・」、と書いたが、調べてみると・・・

不況・バスの普及による都市交通の大混乱

ロンドンの交通統制について検討

陸上交通事業調整法制定

調整実施の為の委員会設置

というところまでは良かったのだが、委員会のやりとりに大いに問題があった・・・

少しコミカルに書くと下記のようになる
<委員会のやり取り>
鉄道省:こんど東京周辺の交通網統合する事にしたから、東京市と民鉄さん、よろしく。
民鉄・東京市:で、我々は何をしたらいいんだ?
鉄道省:東京市さんは数年前から勉強していたから知っていると思うけど、数年前に、倫敦で、新しい交通システムができたんだよ。まずは下の地図を見てね。

出典:東京市電氣局編「倫敦交通事業統制資料」より
東京市:まあ、このことは10年前くらいから勉強しているが。
鉄道省:じゃあ、前はバスや地下鉄の会社がばらばらだったのに、これを全部統合して、一つの会社に統合したって話もしっているでしょう。これで倫敦の交通はすごく便利になったんだ。で、我々も今度同じ事をやろうかな、とおもっているんだけど。
民鉄:どういうこと?
鉄道省:で、我々は上の図に倣って、同じ物を作ったんだ。

鈴木清秀(1954)の図を一部改変して使用
鉄道省:見にくくて申し訳ないんだけど、上の地図の赤線で囲っている範囲の鉄道会社とバス会社を全部統合して、一つにするつもり。
民鉄:へっ?
東京市:・・・
鉄道省:いいでしょう。最近帝都の交通は混乱を極めているから、倫敦を見習って統合というのは素晴らしい提案だと思うんだ。
民鉄:ちょっと待て、我々の鉄道路線は。
鉄道省:統合した新組織に加わってもらいますよ。
東京市:ちょっと待て、新組織って何だ。
鉄道省:まだ会社組織にしようか公的機関にしようか正確には考えていないけど、共同出資で新会社をつくるなり、東京市さんと我々が一緒に経営するなり・・・
民鉄:我々が築いた路線とか沿線とかはどうなるんだ。
鉄道省:駅前にデパート作るとか、そんな事ばっかりに精を出している私鉄さんの問題を解決するのが問題ですから・・・、まあ赤線外の路線の経営は今までどおりで構わないですよ。
民鉄:赤線の外って・・・ローカル線ばっかりじゃないか(ぶつぶつ)。
東京市:さっき公的経営とか言っていたけど、我々には震災復興とか、路面電車の買収(東京市は1911年にそれまで民間経営だった路面電車事業の買収を行なっている)のための外債の返済とか色々大変で、そんな事できないぞ。
民鉄:というか、さっきから鉄道省さんは他人の事のように仰られているが、自分のところの電車路線(省電)はどうするんだ。
鉄道省:もちろん新会社以降ですね、ただ、ご存知のとおり、長距離輸送で使っている線路と省電で使っている路線の分離は難しいですが。
東京市:難しいって、具体的な計画はあるのか。
鉄道省:まだです
東京市・民鉄:・・・


  こんなにふざけた口調ではなかったと思うが(実際は「準備不足で申し訳ないのですが、ご協力くいただけないでしょうか・・・」みたいな感じだったらしい)、鉄道省・政府側は「イギリスで素晴らしい交通政策をやっているんだから、見習うべき」的にかなり強引な調整案の押し付けを図り、民鉄・東京市側から大ブーイングを受けてしまい、その結果、修正案を何度も作り直しているうちに時間切れという結幕を迎えるに至ってしまった。現在のLRT導入計画などでも全く同じような構図が繰り広げられているのは興味深いというか、進歩がないというか・・・。

  このやり取り、1938年から1940年代にかけて行われたという点でも興味深い。
  日本が国際連盟から脱退して5年、日英関係などは最悪だったと思うのだが、それでも「見習うべきは英国」なのである(海外事例としてはベルリンの交通統制が紹介されているが、ベルリンの事例はフランスやアメリカのそれと同じような感じで、とりたてて優れた物ではなく、友好国ドイツの事例も紹介することで批判を避ける、という目的があったようである)。
  また、1938年は国家総動員法が制定された年、というわけで、民間の企業活動の自由など皆無・・・、といいたいところであるが、民鉄に対する国の発言力が異常に弱い。一見不思議だが、よく考えてみれば、「政府−国民」という関係で、戦前は国民の権利が制限されている事に着目するからそうなるのであって、「官僚−大企業」という関係でいえば戦前は大企業の力が強かったということになるから、当然といえば当然だろう。戦時体制といっても民鉄は政界とのつながりが強く(阪急の小林一三は1940〜1941年に商工大臣、東急の五島慶太は1944年に運輸通信大臣となっている)、官僚の頭ごなしで政策をコントロールするのは容易だったのかもしれない。但し、日中戦争から太平洋戦争期というのは、急速に官僚の力が強まった時期である。さしもの民鉄も、1940年代の戦時合併に反対できなかったのは、この時期の発言力の逆転、あるいは、官僚を通して商売をしたほうが有利、という判断が働いたのかもしれない。戦後、官僚の主導権が強まったといっても、革新的な交通体系が採用されるわけでもなく、良くも悪くも民鉄の力がそがれることもなく現在に至っているのは周知のとおりである。


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