2011.01.19

全国民必読「街場のメディア論」2011
内田樹「新・格差社会情報貴族と情報難民」

新聞・テレビ・雑誌よ、キミたちの言論に何の担保があるというのか
小沢一郎・民主党元代表について、新聞・テレビの世論調査とネット上の調査ではまったく違う結果が出た
〔PHOTO〕gettyimages

 マスコミの報道ひとつで、検事総長のクビも、大臣のクビも吹っ飛ぶ。でも何かが違う。安全地帯からひたすら石を投げるマスメディア。そのあり方は古すぎるし、害悪ですらあると、内田氏は話す。

壊すことに酔うメディア

 一連の検察不祥事の責任をとって、検事総長が辞任するそうです。しかしこれで検察のシステムが改善されるかどうかはわかりません。

 「検事総長のクビをとった」ことをメディアが自分たちの「戦果」だとして、そのことにある種の満足感や達成感を覚えているのだとしたら、それはむしろ危険なことだと思います。全能感に人間はすぐに「アディクト」(中毒)するようになるからです。

 メディアは次々と血祭りにあげる獲物を探し続けるようになる。そのときにはもう、検察の組織改革のことなんて、メディアの眼中にはない。壊れたものを再建する仕事や破綻したシステムを再生させる仕事には、優先的に報道するようなニュースヴァリューはない、とメディアの人たちは思っている。

 たぶん、そんなのは「動物園でパンダが生まれました」と同じような「微笑ましいニュース」にしか思われないのでしょう。壊すことがもたらす快感にメディアは酔っているように僕には見えます。

 そして、すべての嗜癖がそうであるように、しだいにより大きな刺激を求めるようになる。現に、メディアの論調は年を追って残忍で無責任になっているように僕には見えます。

 本来は検察組織をどうすべきかとか、日中関係をどうするか、財政再建をどう達成するかといった問題は、クールで対話的な語調で語られるべき問題だと思います。

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