『よい機会なので、この場をお借りして私の考えをお伝えいたします』


わしゃクソババア壱号の他にも未だ姿を見せていない偏向サヨクに対して予防線を張ることにしたよ、ってか後々面倒だから。


『私は "子供" たちの学習環境維持向上のお役に立ちたいと思い、PTA怪腸に立候補させて頂きました。皆さんと同じボランティアとしての参加です。PTAはそのような人たちで構成されている組織なわけです』

『そのことと "子ども" の表記とどのような関係があるのですか』

『申し訳ありませんが、もう少し話を聞いていただけますか。さてPTA組織がボランティアという地盤の上に立つ組織である以上、私は絶対の権限を付与されているわけではありません。よって物事を決めるにあたって皆さんと十分話し合いをした上で決めたいと思っています』

『それは私も賛成です』

『ありがとうございます。しかし村主さん、貴方は十分な議論もせず採決を求められませんでしたか。まずは貴方の主張を伺い、その上で私が反駁し、ここにいらっしゃる皆さんのご意見を伺った上で決を採ればよいのではないでしょうか』


わしゃ当時小さいながらも企業の長だったわけで、ユルユル組織のPTA運営に頭を悩ませていたんよ。


『分かりました、それでは私の言いたいことを言わせて頂きます。 "子供" の "供" という字は "お供をする" とか "お供え物" の "供" であり、子どもの人権を著しく損なう差別用語だからです』

『それだけですか』

『それだけで十分じゃないですか!子どもを(大人に?)供えるなんて酷すぎます!』



感情スイッチが入ったクソババアに不穏な空気が充満シる(笑)



『それでは私の考えをお話させて頂きます。そもそも "供" と言う字には、「そなえる」「すすめる」「ささげる」「支給する」「設ける」「申し立てる」「うやうやしい」など多くの意味があるにも係わらず、特定の意味だけに固執するのは如何なものでしょう』

『言葉にその意味が含まれている以上、連想するのは当然です』

『それではお伺いしますが、村主さんは子どもを誰に供えると連想するのですか』

『それは・・・』

『私に言わせると "子ども" という言い方こそ差別表現のような気がします。そもそも "ども" とは複数形を現す接尾語であり、 "女ども" とか "野郎ども" といった "ども" と同じ意味じゃないですか。子供一人に対して複数形の接尾語をつけることも日本語としても間違っているのではないでしょうか』

『私は "子ども" のほうが "子供" よりも、より子どもらしさがイメージできて良いと思います』

『それは村主さんの個人的印象ですよね。個人的な印象だけで事実を改鼠するのはどうでしょう』



まぁこのあたりで勝負は着いたのだが、今後のためにも釘をさしておかなきゃならんわけで。


『私は皆さんが個人的に "子ども" という表現をされることに異を唱えるつもりはありません。しかし学校というところは「知育」「体育」「徳育」を学ぶ場である以上、間違った表現をすることは(私は)できません。よってこれからもPTA便りにおいて "子供" という表現をさせて頂きます



他に意見も出なかったので、後は決をとるだけですよ、ってかマジで。



"子供" 表記を止めて "子ども" という表記に直すことに賛成の方・・・







































一票(失笑)











でもね、これが村主ババアとの戦いの序幕であったことはお釈迦様じゃなくても気付いちゃうというね(笑)

まぁまた気が向いたら書くよ、クソババア駆除日記(w)