国選弁護人の犯罪性について(1) | 廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

 殺人未遂事件として木梨松嗣弁護士、長谷川紘之弁護士を金沢地方検察庁に刑事告訴手続き中 (さらば弁護士鉄道\泥棒神社の物語)

 市場急配センター(石川県金沢市)の組織犯罪と加担、隠蔽をした弁護士らの物語(事実)。

石川県警察本部に再捜査の要望書を提出するにあたり、裁判の記録に目を通してきましたが、自分でも理解に苦しむところが多いと改めて考えるようになりました。

金沢西警察署の捜査の妥当性を論じる前に、その後の裁判の経過を左右したと思われる国選弁護人岡田進弁護士の対応について事実をありのままに書き、法的な観点からも言及しておきたいと思います。

殴る蹴るの暴行を行い、被害者に全治期間不明の意識不明状態にしたことは、紛れもない事実であり、否定するつもりはさらさらありませんでした。事件を起こしたのが平成4年4月1日の夜。

初公判が6月18日で、6月30日の公判で結審しました。その6月30日の公判の開始直後、江村正之検察官から被害者の意識が戻ったという報告を聞きました。それまでの自分が被害者の容体の回復ばかりが気がかりで、他のことは考えられない状態でした。

当時の自分は刑事裁判と民事裁判の区別も知らず、全く無知な状態でした。5月28日に金沢刑務所にある拘置所に移送され、その2,3日後に国選弁護人になっていた岡田進弁護士が接見に来ました。

接見の内容については別に公開してある資料に書いてあるので、今回は概ね省略します。余りはっきりとは覚えていませんが、警察に話したことに間違いはありませんね、という感じで確認を受けました。

実際は不本意なところもあったのですが、概ね間違いはないという意味で返事をしました。それでも理解に苦しむところが多かったので、事情を聞いてもらいたいと話を切り出したのですが、そくざに遮られ、耳を貸す姿勢はゼロでした。

事件前被害者との間に合意のセックスはありましたか、事件当時お酒は飲んでいましたか、という質問をぶつけ、それで全て打ち切られたようなものでした。

最後には、「反省、後悔するなら初めからするな」と威圧的ににらみつけ、無言で立ち去っていきました。この間長くて10分。短くて5分の時間です。これが刑事弁護の全てだったと思います。

先ほど書いたとおり6月30日が結審になったのですが、事前に当日の公判で結審するという話を聞いていたのか不明です。なにしろ岡田進弁護士と話をしたのは、短い接見の時だけだったからです。後にも先にも話を聞く機会はありませんでした。

打ち合わせのようなものも皆無でした。裁判についての説明など全くなかったのです。「5,6年は言ってくるだろう」とは言っていました。結果の見通しだけです。内容には一切触れませんでした。

最近になって思ったことなのですが、被害者の意識が回復し、事情を聞ける可能性が出来た訳ですから、判決を先延ばしするなり、少なくとも要望を聞きに来るのが普通だと思います。とにかく岡田進弁護士は一切なにもしませんでした。

結審した時点で三宅俊一郎裁判長から、8月3日に判決を出しますという告知があったと思います。まるまる一月ちょっとの期間があったことになります。今思えば、自分の方から連絡するべきだったのか、とは考えますが。

まず自分は被害者に不信感を抱き、事件にまで発展したわけです。それも生き死に関わる状態になり、その後は、意識が戻らず植物人間になる可能性が高いという状況にありました。頭にあったのは後悔の一念のようなものでした。

一方的に強姦犯だと決めつけて取り調べをした谷内孝志警部補に対する不信感もありました。自分は被害者に不信感を募らせたと書きましたが、実際は被害者を通して自分自身が信じられなくなったという精神的な混乱が大きかったのです。

岡田進弁護士の接見は、その混乱に追い打ちをかけるようなものでした。拘置所の中では、頭に浮かんだことがすぐに砂のように消えていくような状態で、まともに物事を考えることが出来ませんでした。

そんな不安や焦りも、6月30日の公判で被害者の意識が回復したと聞き、ずいぶんと解消しました。しかし、その時点で裁判の審理は終わっていたのです。悪夢のような接見だったので、連絡をして相談するという気にはとてもならなかったと思います。

岡田進弁護士のことを思い出すととても嫌な気持ちになります。はっきり言いますが、岡田進弁護士には責任を感じて、死んでほしいぐらいです。本当に最低、最悪の人間だと思っています。谷内孝志警部補は死んで欲しいとまでは思ってません。