2024.3.26

思いついたことは思いついたときにやらないと、後ではもうやる気がしない。だから僕はアイデアのストックみたいなことができない。衝動的な「ああしたい、こうしたい」はまさにその瞬間だけに起こっているできごとで、次の瞬間にはもう冷めている。

つまり自分は思いつきでしか行動できない人間で、楽しかったことも次の瞬間にはつまらなくなっていて、かといって無限になにか思いつくわけではなく、思い立ったが吉日というのは僕の場合吉日かどうかよりも、思い立ってやらなければそれで終了、吉も凶も二度と来なくなる。

写真は2016年、アンダルシア。2016年の写真がやたら多いのは、その時期に集中して旅行していたため。

2024.3.22

写真は2016年、アンダルシア。コルドバかな、そのへん。スペインは気軽な観光とかで行きたい。広いし行くところいっぱいあると思う。カタルーニャも行ったことない。今のところ候補地は映画で見たサン・セバスティアン。サン・セバスティアンには空港があり、マドリードかバルセロナあたりから乗り継ぐことができる。

2024.3.20

今日また雪が降った。先々週にも降った。寒い。寒すぎる。桜も咲いているというのに。

写真は2022年、バンコク。バンコクは当時まだマスクが主流だった。今はどうなってるんだろう。日本でもまだ高齢者はマスクをつけている。オフでは外していても、仕事中はつけている人も多い。ワクチンを打ち続けている人もたくさんいる印象。インフルエンザも長く流行している。コロナほどではないにしても。

葬送のフリーレンはなぜこんなに面白いのか

アニメがもうすぐ終わるそうだ。僕はこの先の「黄金郷のマハト」編がけっこう好きだから、ぜひ続きもやってもらいたい。原作はサンデーうぇぶりで読める。今も続いている。

サンデーうぇぶり

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葬送のフリーレンはなぜこんなに面白いのか、なんて話はきっと出尽くしていて、アニメが話題になってから今さらだし、僕はそういう考察が得意なわけでもなんでもなく、思ったことを残しておく程度。出遅れて今から入る人には参考になるかもしれない。あ、ネタバレはしてます。

  • 主人公が最初から最強(無双)
  • 主人公の弟子がもっと最強
  • 少しずつ謎が明らかになる展開
  • 緻密な世界設定
  • 異世界転生の下地
  • オタクの願望と共感の詰め合わせ
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2024.3.19

ポッドキャストを聞くのに疲れて、最近はまた音楽をときどき聞いている。これといった人や曲ではなく、Spotifyのディスカバーウィークリーに任せっきり。今もいい選曲をしてくれる。

写真は2016年、サーファーズパラダイス。ここは一泊だけしたんだっけ。ホステルの客が少なくて、部屋をアップグレードしてもらえた。

2024.3.18

知人がボイスメッセージを送ってきた。オーストラリアにいたとき、同居人のドイツ人が女の子とよくボイスメッセージでやりとりしていた。テキストではなく。

知人はこの2年半シュトゥットガルトの大学院に通っていて、今修論を書いているそうな。それで春からミュンヘンで働くことが決まり、東南アジア担当になったとか。しばらくはミュンヘンにいるから、直行便もあるし遊びに来て、ということだった。いや、まあ、行かないだろうな。一ヶ月ぐらい金と時間と精神と肉体の余裕があったらついでに寄っていたかもしれないけど、そういうのやってたのは10年前の話。

写真は2019年、ガーナ。乗合バスの乗り合い所というか、ターミナルというか、ステーション。

2024.3.17

自営業になってから全然働いてないんだけど、同時に全く働いていない日は一日もない。休みの日だって必ず何らかの業務対応があり、仕入れだったり情報収集だったり、全くのオフという日は全然ない。たまにあるか。思い返せば会社員の頃だって、休日にも必ずと言っていいほど電話がかかってきていた。休日に仕事絡みの勉強をしたり人と会ったり行事に参加したり、っていう人もいるだろう。全くのオフというのは幻想。

写真は2023年、那覇市のモノレールの駅から。

2024.3.14

「いつでも行ける」は大間違いで、今だったらミャンマーやロシア、ウクライナ、イスラエルあたり行くのが厳しい。少し前は簡単に行けた。行こうと思ったときに行かないと、永遠に失われることもある。アラブの春前のシリアだったり、国交正常化前のキューバの姿はもう見られない。行けるときに行っておかないと、なくなることもある。一緒に行きたい人も、いつまでも一緒にいられるとは限らない。なんなら自分の体調だって、いつまで元気かわからない。だから未来の楽しみのために取っておく思考は、個人的にはおすすめしない。

写真は2016年、エルサレム。西壁の広場かな、これは。

スティーブン・ショア/スチール・タウン

仮想通貨を売っぱらったお金で(言い訳)またもや写真集を買った。アメリカンニューカラーのどれかをほしいと思っていて、結局スティーブン・ショアにした。アンコモン・プレイセスとトランスペアレンシーズとも迷ったけど、唯一サイン本が残っていたスチール・タウンにした。

スティーブン・ショアの作風からしてメジャーなのが、アンコモン・プレイセスやトランスペアレンシーズになってくるだろう。絵的にも鮮やかでわかりやすく映える。それに比べて僕が買ったスチール・タウンは、寂れていく町を撮っている分色合いも地味で、落ち着いている。どちらかというとマイナーではないだろうか。

それにしてもこの、なんてことない町の写真をポスターみたいに撮ってしまうのが、技術というか腕というか機材というか、目なんだろうなと思った。そこに特別なものは写っていないのに、部屋に飾りたくなるような。

Steel Town - Stephen Shore – MACK

2024.3.11

写真は2024年、深泥池。このあたりに徒歩で来たことはなかった。もう少し山の方へ進むと、車が近くて危ないと思った。でも別の山に研修に行っていた頃、毎日山道を登り降りして、そのたびに多くの車とすれ違っていた。歩道がなく、車道も一車線で曲がりくねっていて、死角も多かった。そういう場所で2ヶ月暮らしていたら、車とのすれ違いにも慣れた。でも相手はどうだろうか。交通事故に遭ったことはないのに、ずっと車を怖がっている。

2024.3.8

自分たちが知っている年代の人が亡くなる歳になってきた。中でも鳥山明は若い。

僕は完全にドラゴンボール世代でドラクエ世代だから、鳥山明=ドラゴンボールで小学生の頃の記憶と紐づいている。カードダスを集めていたし、自由帳なんかにはドラゴンボールの鳥山絵を真似して模写していた。クラスに2人か3人は鳥山絵がめちゃくちゃ上手いやつがいた。

ドラゴンボールのアニメは、僕は習い事に通っていたため風邪で休んだり習い事が休みの日にしか見たことがない。だからアニメではなく、主にジャンプで読んでいた。コミックスは、実は買ったことないかな。でも誰の家にでもあったし、全巻通して何度か読んでいる。小学生の頃の話題も、ジャンプが中心だった。アニメよりも先を行っていたから。

発売の月曜日には、フラゲ組からのネタバレがうっすら聞こえてくる。でもはっきりとは聞かずに、学校が終わってから本屋で買って自宅で読む。今日あいつらが言ってたのはこのことだったのか!毎回ネタバレしていたわけじゃないけど、「ヘルズフラッシュって何や…!」とか聞き耳を立てていた。僕が小学生のときにフリーザ編が終わりに差し掛かっていたから、それ以降が思い出深い。それ以前はコミックスで読んだ。

GTはチラッとしか見ていない。スーパーも軽く読んだぐらい(全部追いかけていない)。僕の中のドラゴンボールは42巻で終わっている。トランクスの未来の話「たった一人の戦士」がけっこう好きだった。

写真は2024年、比叡山と宝ヶ池。

ダイアン・アーバス作品集:アウトサイダーとは誰のことか

これまでにも写真集は買ったことあるけれど、たまたま見かけて買ったものばかりだった。「写真集を買おう」と思って買う最初の一冊は、ダイアン・アーバスしかない。理由はまず、テーマがわかりやすかった。写真のことがわからない自分にも、とっつきやすいのではないか。次にそのテーマが自分にとって、親和性が高いと思ったから。

ダイアン・アーバスはヌーディストや障害のある人、双子などを撮った写真が有名で、亡くなってから回顧展が開かれ、写真集が出た。亡くなってから有名になった人っぽい。どこかで「アウトサイダーを美しく撮る人」みたいに書かれていた。被写体と親しくなり、その魅力を引き出して本人に喜ばれる写真を撮ったとか。

アウトサイダー・アートという言葉を一時期よく見かけた。それはアウトサイダーが作るアート作品、みたいな意味だったと思う。今調べてみると、その言葉はどうやら日本とそれ以外で使われ方が違うらしい。ダイアン・アーバスの写真もそういう文脈で語られているのを見かけたが、今ここではアウトサイダー・アートのことはひとまず置いておく。

ダイアン・アーバスは被写体にアウトサイダーとしての自分を見ていたのではないか、みたいなこともどっかに書かれていた。撮影者の目を通して撮られた人たちが、撮影者そのものを表しているなら、それを見る自分は一体誰なのか。

アウトサイダーを撮るダイアン・アーバス、の写真を見る自分。写真を通して、自分のことがわかるのではないか。「アウトサイダーとは、自分のことではないか?」という気持ちが、撮影者と同様自分にもあるから、きっとこの本を選んだのだろう。世界的に広く読まれている写真集だけど、見る人がみんなそういう気持ちなのだろうか。アウトサイダーとしての自分を見つめるための本として、手に取っているのだろうか。

ダイアン・アーバスについて書かれた本も気になる。