前回の「セレモニー記事」について、こうした「取材先が用意した取材用のメディアイベント」が報道に与える弊害をもう少し書いておきたい。

 7月3日に訪問先の岩手県庁や宮城県庁で暴言を吐いて辞任せざるをえなくなった松本龍元復興相の言動を、新聞各紙が最初どう報道していたかを点検してみて、これが典型的な「セレモニー」だったことに気づいた。

 驚いたことに、朝日、読売、毎日ともまったく松本発言を初報で「問題だ」と認識した形跡がない。暴言であるとすら提示してない。読売に至っては、放言あるいは暴言であると提示すらしていないし、毎日の記事を読むと松本大臣はずいぶん立派な人物に見える。

 発言の翌日、7月4日になって騒ぎが広がって、あわててその論調で同日夕刊をつくった。つまりインターネットを含むほかのマスメディアの動きを見て「問題だ」と言い出した。そして5日には松本大臣の陳謝を各紙が大々的に伝えた

 要するに、3社ともニュースを見落としていたのだ。

「とりあえず載せた」だけのような中途半端な記事

 まずは松本大臣と村井嘉浩宮城県知事の会談を伝える朝日・読売・毎日の記事(4日朝刊)をご覧いただきたい(こちらを参照してください)。

 朝日新聞は、岩手でサッカーボールを「キックオフ」する松本大臣の写真(これは典型的なフォトオプ=メディア用撮影行事だ)を付けた記事に、なぜか「暴言」の内容が「冗談めかして語った」などと、批判を薄めて記述している。

 批判するなら、大臣がキックオフするフォトオプ写真(「国が主導する復興事業が力強く始まる」という印象を形成する意図がある)など使わない。記事の「設計」からして、そもそもねじれていてヘンだ。

 可能性としては(1)朝刊締め切りの4日未明段階では「暴言として問題になるかどうか」判断がつかなかったか、(2)朝刊締め切り直前に騒ぎが広がり始めたので、仙台または盛岡から出稿された「セレモニー記事」に「暴言」の内容を後から仙台支局に出稿させた、あるいは東京本社(政治部?)が書き足したのだろう。