最近インターネット上でこのようなブログが話題です。

写真で見る阿久根市の現状ー独裁政治の悲劇ー

このブログは、つい先日リコールが成立した鹿児島県阿久根市の竹原市長について、彼が始めた政策の一つである「壁画制作」の実態を写真で紹介することにより、竹原市政の酷さを告発する、そういうサイトです。

このサイトは確かにある主義、明確に言うなら「反竹原市長」という視点から作られたものです。そんなことはブログのタイトルを読んだだけで一目瞭然でしょう。しかしそれを差し引いたとしても、このブログの写真、そしてその説明を読めば、竹原市長のやっていることが如何にグロテスクなことであるか、見た人には明確に伝わります。

ところで、このブログが人気を博した後、このような指摘がブログを見た人々からなされるようになりました。

はてなブックマーク - 写真で見る阿久根市の現状ー独裁政治の悲劇ー

osya3 デイリーポータルでは結構好意的に取り上げられてたけどこの記事を見ると凄く悪趣味に見えるねhttp://bit.ly/bAkJJS

hisamichi 珍スポット, 訴える, 日本, 実態, 廃墟 勝手に描かれた壁絵すごい http://portal.nifty.com/2010/07/02/a/

white_rose あとで 前デイリーポータルでみたシャッターアートのやつ?/デイリーポータルの記事では好意的なブコメが多かった気が。書き方ひとつ?

sentaro0525 記事の書き方で全然受ける雰囲気が違う http://portal.nifty.com/2010/07/02/a/

そう、じつはこの壁画は前に「デイリーポータルZ」という@niftyが運営するサイトにおいて、日本一のシャッター街・阿久根という記事により紹介されていたのだ。しかしこの記事を読んでもこの壁画はそこまでグロテスクには見えず、むしろ良い町おこしのようにみえてしまう。そして軽妙なタッチで壁画が紹介された後、この記事の最後では

 話題になっている阿久根市長についても、ちょっとだけ住民のかたはどう思われてるのか聞いてみた。

すると、マスコミを通したニュース等では強引としか思えないやりかたで役所や議会を混乱させる問題市長という印象に聞こえるが、そこで暮らす住民から聞いた生の声はまるで違っていた。

  • 住民のために一所懸命やってくれている。
  • 税金は安くなるし、いいことしかない。
  • 何度リコールしても同じこと。またあの人が当選する。

と、大絶賛。少なくとも私が聞いた限りでは支持率100%だった。

シャッターだらけの街を歩いた後に聞いたそれらの声は、強い説得力を伴って聞こえてくるのだった。

という風に、阿久根市における竹原市政が市民に支持されていることが紹介され、「マスメディアでは伝えられない竹原市政の良い面」が伝えられる。

しかも、このサイトは先述のブログではなく、↓で述べられるように「ネタサイト」である

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zenibuta 政治的なサイトならいざしらず、ネタサイトのDPZのブコメと比較するのって何の意味が?

故に、「デイリーポータルZの方が公平に事実を伝えているんじゃないか。ブログは所詮反市長派のプロパガンダではないか」という解釈が多くなされるわけです。

kumonopanya 自分に都合の悪い話は隠して相手を糾弾だけしているポジショントーク。この手のサイトは市長派と反市長派両方訪れて吟味しなければ意味がない 自分が読んだ記事ではシャッターアートで町おこしをしようとしていたが

smile4u news むしろ文脈次第で見え方が全然変わることのほうに驚いた。「事実」はひとつではないことを肝に銘じつつブクマ。

hiroumitani DPZの記事 http://portal.nifty.com/2010/07/02/a/3.htm も見たけど、そこまでひどいかな?プロセスには問題あるかも。個人的には壁画はヒロ・ヤマガタ風でわりと好きw 市長も描いてる人も著作権の感覚が昭和半ばのままなんだろうな

@kamaboco_jet 私は阿久根市行ってみたくなったぞ! http://htn.to/xVVMthは反竹原派なのね。

hoshiyo 同ブコメ多数だが、文章の流れ一つで簡単に民衆を扇動できる事の好例。市長がブログで意見表明してるように反対派も表明してるだけで、片方だけ読んで短絡批判は早計。で、このブログ主はどこの誰?顔が見えないよ?

metalbabble ネタ こいつら簡単に煽動されておもしろいなー

gyogyo6 プロパガンダ タグはこのブログに対して。DPZレポートとの落差。 id:smile4u 氏の「事実はひとつではない」を自分も肝に銘じたい。

jimihendrix0418 *政治, *ネタ 文章がいかにも「私は反市長派ですよ」という感じ.このブログ一つで一方的な批判はできない.絵の著作権は問題かもね.

alpinix 清田定男, シャッターアート http://portal.nifty.com/2010/07/02/a/ 別にどっちも擁護する気ないけど、反市長派のネガキャンだろう、このブログは酷いね。市長と壁画直接は関係ないし、独裁というが、具体的にどう悪いのかに言及してないただの煽り記事。

Kanasansoft photo, politics 実態を知っているかどうかで受ける印象が全然違う。筆者が受けた印象は読み手にも伝播する。 http://portal.nifty.com/2010/07/02/a/

taikoubou1 ネタ プロパガンダ合戦自治労サイドって感じ?

では本当にそうなのか?件のブログ記事は反市長派が意図的に事実を歪曲したプロパガンダで、本当はデイリーポータルZという「ネタサイト」が示したようにより微笑ましい物なのか?まずこの記事では、それについて検証し、むしろデイリーポータルZの記事の方が、市長派に寄り添う、より悪質な「プロパガンダ」であることを示します。

次に、ではなぜデイリーポータルZがそのようなプロパガンダと成り果ててしまったのか考え、そこから、様々な中央のマスメディアや、阿久根市を笑(嗤)うネット世論こそが、竹原市長の市政を逆説的に支えてきたことを明らかにします。

そして最後に結論として、決してリアル世界と無関係ではいられないインターネットは、ではどのように阿久根市のような「リアルな地方」と向き合うべきか、それを考えたいと思います。

3つのプロパガンダ

それでは最初に、ブログの記事とデイリーポータルZの記事について比較していきます。

はてブでは「ブログの記事とデイリーポータルの記事を比較して考えるべき」という風に、壁画肯定派は書いていましたが、では実際に比較するとどうなのか?

まず分かるのが

  • 光の加減がデイリーポータルZの記事のほうが明るく、ブログ記事の方は暗い

ということです。この点は壁画肯定派により多く提示され、「ブログの方はわざと暗くしている。だからブログの方が捏造プロパガンダである証拠だ! 」という主張につながるわけです。

ですが逆から考えてみれば、デイリーポータルZの記事の方が「明るすぎる」のかもしれません。あの壁画の写真が撮られたのは、記事に書かれているように早朝な訳ですから、むしろデイリーポータルZの記事の方がわざと明るい時間を選んだとも見ることができるわけです。いずれにせよ、明るさや暗さといったことに「適切な程度」が存在しない以上、この基準により一体どっちが悪質な編集を行なっているかは分かりません。せいぜい言えるのは、「両方とも、何らかの意図を持って明るさ/暗さを決めていると思ったほうが良い」ということです。

それより、下記の二点の方が明確に二つの記事の取り上げ方の「違い」を示しているでしょう。それは

  • デイリーポータルの方の記事は一つ一つの壁画を単独でフレームに収めているが、ブログ記事の方はそれらが集まった全景を撮っている
  • デイリーポータル記事はアニメキャラなど著作権がある絵が描かれているのをあまり載せていないが、ブログ記事の方は明確に載せている

という点です。

まず最初の点について。デイリーポータルZの記事の方は、映り込みはありますが基本的に一つの壁画を収め、それ自体に焦点を合わせた一つの写真です。もちろん、それは文章によって説明され、しかも何枚も紹介されることによって「これが建物に描かれていること」「こういう絵が街中に何枚もある」ことは頭では理解できますが、しかしそれが具体的にどのような光景なのかは示されません。

ところがブログ記事の方は、もちろん個々の絵に焦点を合わせた写真も多いのですが、しかしなんといっても強烈な印象を与えるのが、「その壁画が建物全体を埋め尽くしている全景」の写真です。一番わかり易いのは消防署の記事でしょう。

消防署にある、消防士の訓練用の壁の壁画 - 写真で見る阿久根市の現状ー独裁政治の悲劇ー

消防署の全体があの例の壁画に塗りつぶされている光景がいかにグロテスクなものであるか、この記事の写真は明確に示しています。

これは、例えるなら「蛾の群れ」と言えるでしょう。蛾が一匹なにもない空間に居る。それだけならそれに強い嫌悪感を持つ人は少ないでしょう。ですがもしそれが数十匹、数百匹の群れだったら?しかもそれが、自分が普段使っている物に群がっていたら?阿久根市で起きているのは、まさにそういうことです。

阿久根市で描かれる壁画は、それが単体でどこかの店に描かれている位なら、むしろ「こじゃれた演出」として好評なのかもしれません。しかし問題は、その壁画が街全体を一色に覆おうとしていることなのです。その、実際にその場に来たときに現れる光景のグロテスクさを表そうとするならば、ブログの記事の方が明らかにリアルであり、的確なわけです。逆に言えば、デイリーポータルZの記事の方が、わざとそれぞれの壁画を単体で写すことによって、そのグロテスクさを隠しているとさえ、言えます。

そして最後に「アニメキャラの絵」、これは決定的です。まずこれは誰が見ても端的に著作権侵害であり、市を訴訟の危険にさらす重大な問題です。ですからこれを写さないで壁画を肯定するなんていうのはまさしく「問題から目をそらす」ことに他なりません。また、実際そのアニメキャラが効果的に描かれるなら法的にはともかく、景観的にはいいのかもしれませんが、実際はブログの記事を見れば分かるとおり、「『気持ち悪い』という言葉はこの絵を表すためにあったのか」とでも言いたくなるようなグロテスクさ。それぞれのキャラに適した画法で描かれず全てがおんなじ様なタッチなため、キャラが壁画に調和せず悪い意味で「浮き出て」しまっている。また世界観という考えもないためにただただ見る人を不安にさせる。しかも、ではその不安が何かを意図しているのかといえばそうではない。これが「芸術」だというのなら、そんな芸術は世の中から滅んでしまったほうがよっぽどマシでしょう。

このような点から見るかぎり、「悪質な捏造プロパガンダ」であるのは、ブログ記事の方より、むしろ明らかに壁画の問題点を隠蔽し、いい所のみを見せようとしているデイリーポータルZの記事の方であると言わざるを得ません。もちろん、だからといってブログ記事はじゃあ完全に公平なのかといえば、そんなこともありません。第一、ブログ自体が明確に「反市長派」という立ち位置を明確にしているんですから。しかし逆に言えば、ブログの方は自らが「プロパガンダ」であることに対し自覚的であり、それを隠そうとせず、きちんと「このような立場性を含めて自分のブログの記事を見てくれ」という風に説明しているわけです。それは、「ネタ記事」であることを利用して無自覚に竹原市長の壁画に対して好印象を残そうとするデイリーポータルZの記事より、「プロパガンダ」として、より誠実な態度であると言えるでしょう。

つまりまとめるなら、今回の騒動には

  1. 竹原市長の壁画本体
  2. それを好意的に紹介したデイリーポータルZ
  3. それを批判的に紹介したブログ

という3つのプロパガンダがあるのです。まず竹原市長の壁画本体。これは「寂しそうなシャッターに絵を描いているだけ」という様に市長側は説明しているのでしょうが、実際は自分の手下に絵を描かせることによって、「ここまで俺はこの市を支配しているのだぞ」ということを視覚的に市民に提示するという点で、「善意を装ったプロパガンダ」であると言うことができます。

次にデイリーポータルZの記事、これも「面白ネタを紹介しただけ」という風に説明してはいますが、しかし実際は記事の最後に明確に「竹原市長を支持する市民」に対して好意的に触れていることからも分かるように、壁画と、それを製作させている竹原市長を支持するプロパガンダなわけで、「ネタ紹介を装った(というか、ネタ紹介であるのと同時に)プロパガンダ」なわけです。

最後に批判ブログ。これは「プロパガンダであることをきちんと提示しているプロパガンダ」なわけで、一体どれがより誠実で、どれがより悪質なのか、答えははっきりしているように思えます。

明確に反市長派を批判するデイリーポータルZ記者

もしかしたらここまで言ってもまだ「デイリーポータルZは面白いものを紹介しただけで、そこに竹原市長を支持するとかそんな意図はあるわけがない。」という風に主張する人がいるかもしれません。よろしい。ではこの発言はどうなのか?デイリーポータルZの記事を書いた、T斉藤氏本人の発言。

http://twitter.com/tsaito/status/22857323160539138

http://twitter.com/kukkyx/status/22858973170368512

http://twitter.com/tsaito/status/22862499971858433

tsaito 阿久根のことを悪く言う人が多すぎると思う。

kukkyx .@tsaito 同じものをとりあげても、これだけ印象に差があるんだなあと。DPZの記事では阿久根に行ってみたいと思ったのですが、今回のあの記事では思いませんでしたねー。

tsaito @kukkyx あの記事はわざと悪印象を抱かせるように写真を撮ったり書いたりしたのでしょう。反市長派の地元のかたが書かれたんでしょうが・・・

「あの写真は反市長派がわざと悪印象を抱かさせるために撮った。自分の写真は公平中立」というような発言をすること自体が、まさしく公平中立ではなくある「立場」に立っていることを証明しているものに他ならないでしょう。もちろん、ある立場に立つこと自体はおかしなことではありません。というか写真にせよ動画にせよ、何かを写すときにある立場に立たないで写すことなんて不可能なわけで、それを否定したら写真も動画もとれないし文章だって何も書けなくなる。ですが、そうやってある立場に立っているのならは、その「立場」について偽ることなく説明する必要があるわけで、「自分は中立」なんていうのは、「嘘」以外のなにものでもありません。そしてその「嘘」の背景には、嘘で隠す必要があるような「立場」があるのです。

デイリーポータルZ的趣味人と竹原市政の共犯関係

このように、「ブログ記事はプロパガンダだ。真実はデイリーポータルZの方を見ろ」なんて言われるけど、実際はデイリーポータルZの方が明らかに悪質なプロパガンダだったわけですが、では、なんでデイリーポータルZはそんな竹原市長を擁護するようなプロパガンダを掲載したのか?

その理由が垣間見える興味深い発言があります。デイリーポータルZでT斎藤氏と同じように記事を書いている大山顕氏の発言です。

http://twitter.com/sohsai/status/22777359287451648

sohsai 阿久根行かなきゃ! RT @IAmemiya: 阿久根市の壁画アートがすごいことに!権利関係的ににヤバそうなものから、微妙なトリックアートのようなものから……久々に衝撃を受けた!!こんなのが街中にあるとしたら……こ、これは見に行きたい……!http://bit.ly/dORkLZ

これは、件のデイリーポータルZの記事ではなく、あのきちんと壁画のグロテスクさを描き、それを批判したブログの記事を見ての発言です。つまりあれを見てもまだ、というよりあれを見たからこそ、このような発言が飛び出してくるのでしょう。そしてこのような動機に基づいてデイリーポータルZでライターを務めるような人間が阿久根市に行き、そしてT斉藤氏が書いたような記事を書いてくるわけです。

このような倒錯した美意識、そして更にそれにより明確に地域のある一勢力を助けるようなことというのは、実はデイリーポータルZのような所では珍しいことではありません。例えばこの大山顕氏は一方で「ダムマニア」という趣味を持ち、そしてその趣味が高じてイベントを開いたときに国交省の役人を呼んでダム賛美の講演をさせたことがありました。それに対しダム反対派から非難の声が(今回デイリーポータルZの記事に対して壁画反対派が挙げているのと同じように)挙がったとき、彼はこう言いました。

http://twitter.com/sohsai/status/3538366079

sohsai http://tinyurl.com/m3cxgm いやー言いたいことはたくさんありますが。 10年ほどサイトやってみてやっと分かったことは「影響がないものに関しては無視」ってことです。あのエントリの主(引用者注:ダムマニアに対しダム反対の立場から批判をしていた人物)がいくら息巻いてもこれっぽっちもダムの存在およびダム好きの方に影響ないし。

このような態度こそが、デイリーポータルZに集うような自称「趣味人」たちが、「自分たちはただ楽しんでいるだけの中立です」と言いながら無邪気にプロパガンダを「ネタ記事」として垂れ流す原因なのです。ダムであれ阿久根市の壁画であれ、それに本気で賛成する人、あるいは反対する人ならば、立場はどうであれその問題に真剣にコミットメントし、自分の立場と反対の者と討論せざるをえません。しかしデイリーポータルZに集うような自称「趣味人」たちは、「自分たちには賛成・反対とか関係ないもん。ただ楽しんでいるだけだもん。」という立場だから、決して相手に対する応答責任を感じることはありません。「楽しむだけなら影響は与えず無害」なはずであり、そして「むしろ影響を与えないためにも、観察対象との接触は避けるべき」という論理で、現地の人から巻き起こる様々な声には一切耳を傾けず、まるでそこには人格のある人間などひとりもおらず、ただ「モノ」があるだけであるかのように接し、それをいじくりまわす訳です。そのいじくりまわすのが妨害されない限り。しかし往々にして抑圧されている少数派に「趣味人」を妨害するような力はありませんから、結局「趣味人」は無責任かつ自由に行動できるわけです。

竹原市長派はまさしくデイリーポータルZ的な「面白がり」こそを当てにしている

しかしじゃあ本当に「趣味人」は現地に影響を及ぼしていないのか?しかし@complex_cat氏が示しているように、あの「ブログ市長」竹原がインターネット上での盛り上がりを読んでないということなどありえないでしょう。

http://twitter.com/complex_cat/status/22825225942990848

実験は進んでいる。DPZは多分,既に外からの評価資料として利用されている。 / 写真で見る阿久根市の現状ー独裁政治の悲劇ー http://htn.to/ytw11s

実際、阿久根市で竹原市長のもと壁画製作を手伝っている@satsumatips氏はこのように2010年7月14日時点で述べています。

http://twitter.com/satsumatips/statuses/18474464749

satsumatips #kiryushisei #akuneshisei マスコミが全く報道しない阿久根のシャターアートですが、口コミでそのウワサが広がりこんな記事も。http://portal.nifty.com/2010/07/02/a/

この人物は件の批判ブログに対し「市長代行に連絡した」なんていう発言もしていますから、市政にある程度関与し竹原市長を支えていると見て間違いないでしょう。

http://twitter.com/satsumatips/status/22870028017737728

http://twitter.com/satsumatips/status/22870861430132737

satsumatips #akuneshisei id:akune_genjo (@akune_genjo): 消防署にある、消防士の訓練用の壁の壁画 http://htn.to/RsKJZq 事実と異なる内容で消防署員の名誉を損ないますので市長代行へ連絡しておきました。

satsumatips #akuneshisei id:akune_genjo (@akune_genjo): 阿久根市立阿久根小学校 http://htn.to/MADkwH 事実と異なり市の職員と小学校の関係者の名誉を損なう内容なので市長代行に連絡しておきました。

ちなみにこの人物の発言をまとめた【自分用備忘録】阿久根市長支持者でエアブラシアート手伝いの@satsumatips氏へのいくつかの質問とその反応というtogetterまとめは必見だと思います。デイリーポータルZの記事では「無償」と言われていたけど実際は有償であったことや、地元の会社を馬鹿にし、地元の会社を使うなど、地元の反映に寄与する態度が全然ないことなどが分かりますし、何より竹原市長を支持している@satsumatips氏の態度から、かなり強圧的なことが阿久根市では行われているということが容易に想像できます。

話題がずれました。とにかくこのようにデイリーポータルZが阿久根市の壁画を盛り上げ、そして竹原市長側もそれを容認し、喜んでいるのがよく分かったと思います。そして更に言えば、デイリーポータルZを読み阿久根市の壁画を賞賛している自称「趣味人」たちは、「この壁画は観光に使える」と主張し、そして竹原市長側も「このグロテスクさが観光に利用出来るんです!」と主張するわけです。

http://twitter.com/satsumatips/status/22970651878883328

satsumatips #akuneshisei 痛いニュース(ノ∀`) : 阿久根市消防署の壁画が色々ヤバイと話題に - ライブドアブログ http://bit.ly/ifC4lh やったね!こりゃ、しばらく見学客が増えるわ。そして、阿久根市の実際の事情も見聞きして帰ってくれるだろ。

「見世物小屋」観光の代償は

しかしそのような観光は、行ってみれば阿久根市全体を「見世物小屋」にして、観光客を集めようとするようなものです。しかしわざわざそんなグロテスクな「見世物小屋」を見にくる人が一体どれだけいるか?そして、仮にそういう観光客が来たとして、それが一時のブームに終わらず、恒常的に人を引っ張ってくる魅力を持ち得るかどうか?僕も、確かに一度ぐらいは物見遊山で行ってみたい気持ちはあります(多分行かないでしょうが)。しかし少なくとも、二度も行く気には絶対なりません。あんなグロテスクで心が休まらない場所に行くぐらいなら、普通の心やすまるリゾートに行きます。

さらに言うなら、例え観光客にそれが好評だったとしても、実際にそこに住んでいる人にとってはどうか?

genosse 地方 まあ、私がこの町に住む、職がないから町を出ようと思っている若者だったとして、この壁画があるから住み続けようとは、思わんわな。

まさしくその通りです。住んでいる人が心地良く住めないような市で、観光客を心地良く迎える「おもてなし」が出来るわけがありません。

この阿久根市のグロテスクな壁画と、その壁画を「観光資源だ!」として擁護し、中央に理解を求めようとする人々を見ていると、最近見たあるドキュメンタリー映画を思い出さずにはいれません。

#039 カジノ・ジャック〜史上最悪のロビイスト〜 |「松嶋×町山 未公開映画祭」公式サイト

この映画では、サイパンが1980〜90年代にアメリカ本国で掛かる様々な規制を無視して、労働者を安くこき使える場所として企業を誘致し、発展していったことが描かれます。サイパンに連れてこられた労働者は虐待やレイプなど酷い目に遭うわけですが、サイパンの政治家は「これもサイパンが繁栄するためだ」と、中央にロビイストを送り込んで大金をつぎ込みながら規制を免れるわけです。

そしてその過程では、ちょうど今回のデイリーポータルZのT斎藤氏みたいに、ちょっとその市に滞在し、いい面だけを見せられて「サイパン(阿久根市)は規制がないこと(壁画があること)によって栄えようとしている。本国はそれを邪魔するべきではない」と言うような政治家が現れるわけです。

しかしそんな繁栄が長く続くわけもなく、やがて企業はより安い労働力を求め外国に移転し、残ったのは失業者と風俗産業だけ……

いや、あるいはサイパンのように10年程度繁栄がもたらされれば阿久根市の人はそれで良いのかもしれません。しかし規制緩和ならともかく、グロテスクな壁画が一体どれぐらいの人を呼べるのか?そして更にリピーターは?

このようなことを果たして「壁画で観光客呼んじゃえよwww」とのたまう自称「趣味人」がどれだけ考えているか……まぁ、多分彼らはこう答えるでしょう。「なんでそんなこと考えなきゃならないの?僕たちはただ『趣味』で壁画を賞賛しているだけだよ。竹原市長の市政に対しては『中立』の立場です」とね……

本当に「阿久根市のことなんだから、阿久根市民が解決すべき」と言うだけですむことなのか?

阿久根市の話題になると、よく「阿久根市のことは阿久根市民に任せるべき」と言って、自分たちには何も考える権利・資格、そして責任はないと主張する人がいます。そしてそれゆえに、私たちはただこういう壁画に対し「ネタ的に盛り上がる」ことしかできないのだと。

solidarnosc 地方自治 民主主義では住民が首長を選ぶ。どんな首長であれ住民の自己責任。日本は二元代表制で首長の権限が弱く独裁は無理。現実には独裁できないがゆえ問題の方が大きい。議会はほぼ機能してないから権限弱くしていい。

xevra 悲劇と言うから誰かの生死に関わる重大事案かと思ったらただの壁画かよ。市長は市民が決めているんだから説得すべきはお前らん所の市民だろJK。田舎の暴利公務員を減らしてくれる以上、市長を応援せざるを得んが

mousecat あとで読む ブログ主が阿久根市長を嫌っているらしいことはわかるが。/民主主義の手続き内で行われている別地域の地方行政に対して「それは間違っている」と主張する理由が自分にあるのか悩む。

そもそも、もし「違う政治区域の中で行われていることはその地方の人々が支持しているんだから正しい」ということがまかり通れば、私たちは他国のあらゆる人権侵害に対して抗議できなくなるだろうし、この前の東京都の表現規制だって他道府県の人は口出しできなくなってしまうだろうということは確認しておかなければなりません。

しかしそれ以上に重要なのが、「じゃあ今まで私たち阿久根市以外の人間はは阿久根市の市政に対し何も影響を及ぼしてこなかったのか?」ということです。

答えはもちろん否です。竹原市長は最初から―というか今でも―完全な悪役として扱われていたわけではありません。それこそ最初の頃は「ブログ市長」として、インターネットを駆使する改革派の市長として扱われていたわけです(最初の頃は普通だと思った?良識ある人は既に遺伝子工学で生産された人間豚の高級肉@阿久根市長ブログ - NATROMの日記などで警鐘を鳴らしていた)。公務員の給与削減を唱えれば2ちゃんねるなどで喝采を集め、大手新聞社の出版社である扶桑社からは本まで出したわけです。もちろん、それらの注目も今から考えればホント、デイリーポータルZが「阿久根市にこんな面白い壁画がある」と記事を書くのと同じ程度の無邪気さで騒がれたことだったのでしょう。しかしだとしても、それによって竹原市長は「中央でも有名な人」として力を付けてきたのです。今でこそマスメディアなどと敵対していると言われますが、少なくとも当初はその「マスメディア」に祭り上げられ、そして今も、デイリーポータルZのようなネットメディアは「おもしろネタ」として彼の業績を賞賛する。ここまでやっておいて、「でも私たちは地元住民じゃないから無責任だ」って、それはおかしいんじゃありませんか?

一番良いのはきちんと市長側を批判し、反市長派に連帯の意志を示すことです。そして更に言えば、市長のようなやり方では市民の生活はよくならないことを主張するだけでなく、ではどうすれば良いのかを指し示すことでしょう。僕としては、「地方分権」の考えそのものを見直し、まず国が直接教育・医療・生活保護などの生活に直結することを全て保障(保障のやり方はBI的な全国一律の形が良いでしょう)し、そしてその上で地方自治体は地方がやるべき、地域活性化といったことを自由に行えるようにする制度改革が必要だと考えます(この考え方は、どこに住んでいても市民に生活保障を与えますが、一方で地域振興といったことはそれぞれの地域の自己責任と考えるやり方ですから、当然地域振興に失敗すればその地域の人は自由に他の地域に行くことができ、地域自体は衰退するでしょう。しかし僕は「阿久根市」ではなく「阿久根市民」こそを守るべき対象と考えますから、このような制度を支持します)が、これ以外の考え方もありうるでしょう。あるいはまだ考えが思い浮かばないという人もいるかもしれません。

私たちが気をつけなきゃいけないこと:面白いことにはトゲがある

しかしそこまでいかなくても、とりあえずまずやるべきことがあります。それはデイリーポータルZ的な「おもしろネタ」にきちんと用心することです。そもそも、件のデイリーポータルZの記事は何かおかしなものでした。普段のデイリーポータルZの記事は、「おもしろネタ」ではあるけど、なぜそれが面白いかといえば、そんな馬鹿なことをやっちゃう筆者自身こそが「馬鹿馬鹿しい」から面白いという、いわば自虐ネタが多いわけです。そもそも、面白がる=笑うということは攻撃的なことですから、それは何らかのものを傷つけることに繋がります。しかしデイリーポータルはそこで「自己反省的な笑い」を提示することによって、傷つけられるものについて気にしなくてもいい、「安全な笑い」を提供してきたわけです。

しかし件の記事には、そのような「自己反省」はほぼ見られなかった。「自分」を笑うのではなく、あくまで「被写体」を笑う態度です。ならばこそ、その被写体に配慮すると同時に、その被写体を撮る透明な「記者」に注目し、彼の立場が一体どうなのか疑念を持たなければならなかったはずです。しかしそれは「デイリーポータルZだから」という安心感によって見過ごされてしまった。

そして今回のブログ記事でさえ、デイリーポータルZの自称趣味人たちは「安全な笑い」であるかのように見せかけようとしています。もう一度デイリーポータルZで記事を書いたT斉藤氏と、同僚記者である大山顕氏の発言を引用します。

tsaito 阿久根のことを悪く言う人が多すぎると思う。

sohsai 阿久根行かなきゃ! RT @IAmemiya: 阿久根市の壁画アートがすごいことに!権利関係的ににヤバそうなものから、微妙なトリックアートのようなものから……久々に衝撃を受けた!!こんなのが街中にあるとしたら……こ、これは見に行きたい……!http://bit.ly/dORkLZ

ブログで明確に批判的に壁画が紹介されてもまだ! このように「面白ネタ」として消費しようとする態度。彼は先ほどもダム反対派に吐き捨てたように、「影響力のない人間はクズだから応答する必要がない」と考える人間だから、ネット上で反市長派が大きな勢力にならない限り決してそれを改めようとしないでしょう。そしてそういうデイリーポータルZの連中と野合して竹原市長派の人間が支持を固めようとする。http://twitter.com/satsumatipsにて「面白ネタ」として捉えている発言を@satsumatipsがRTしているのを見ればそれははっきり分かります。

少なくともこういう動きには騙されず、ついていかないこと。それが今ネット上の人間に求められている、阿久根市民に対する最低限の責任なのでは、ないでしょうか。