《チャルダッシュの女王》 の題名は間違い

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 この文章は、ウィーン・フォルクスオパーのライブ録音(1985年4月6日 東京文化会館)のCDを根拠にして書いています。

 このオペレッタを日本人に広めたのは日本オペレッタ協会のリーダー寺崎裕則さんです。
 このCDの解説も歌詞の翻訳も、すべて寺崎さんが担当しています。

 解説の4ページに寺崎さんは次のように書いています。

 このオペレッタの初めの題は《Es lebe die Liebe=恋愛万歳》だったが‥‥(中略)‥‥オスカー・シュトラウスの《Rund um die Liebe=恋のロンド》と題が紛らわしいというので《Die Csardasfurstin(『u』にウムラウト)=チャールダーシュの女王》と改題、‥‥(以下略)。

 僕はこの文章を読んでのけぞってしまいました (@o@)。
 ドイツ語の辞書を引けば「furstin」は「侯爵夫人」でしょう。
 だから《Die Csardasfurstin=チャールダーシュ侯爵夫人》となるに決まっているではありませんか。

 これではドイツ語のテスト、落第ですよ (^_^; 。

 寺崎さんはもちろん「furstin」は「侯爵夫人」だと知っているのに、オペレッタファンを騙して自分の思い通りの題名にするために、《Die Csardasfurstin=チャールダーシュの女王》と真っ赤な嘘を書いているわけです。

 では「Csardasfurstin=チャルダッシュ侯爵夫人」とは何者なのでありましょうか?
 歌詞を読んでいきますと、『Die Csardasfurstin』という言葉が出てくるのは、第二幕。

 歌詞の52ページ、元大使フォン・ビリングがニューヨークで見たシルヴァ・ヴァレスクについて語るセリフです。
 「彼女(シルヴァ)はハンガリーで貴族の婚約者だったが、捨てられた。それ以来、人々は彼女のことを『チャルダッシュ侯爵夫人』と呼んで(馬鹿にして)いる」。

 つまり、『チャルダッシュ侯爵夫人』とはエドウィン(侯爵の息子=代替わりすれば侯爵・たぶん)に捨てられ、将来の侯爵夫人になり損なった(と思われている)シルヴァを嘲笑した言葉なのです。

 それがなぜ『チャルダッシュの女王』などとシルヴァを褒め称える、まったく正反対の間違った題名になってしまったのか?
 それはもちろん寺崎裕則さんがそのように間違えた題名を付けたからです。

 寺崎さんはCDの解説で次のように書いておられます。
 『Die Csardasfurstin』の日本語訳は《チャルダッシュ姫》《チャルダッシュ伯爵夫人(侯爵夫人の間違い)》《チャルダッシュの女王》と三つもあるが、私は内容からいって、このドラマを貫いているヒロイン、歌姫のシルヴァ・ヴァレスクの心意気を象徴するものとして、「ブルースの女王」や「タンゴの女王」といった意味合いで《チャールダーシュの女王》にした。

 おかしなことです。
 『姫』『女王』、リブレットのどこを読んでも、このような言葉は出てこないはずです。

 僕は寺崎さんはアンナ・モッフォ主演の映画にミスリードされてしまったのではないか、と推察しています。
 この映画でモッフォは誇りを持って「私はチャルダッシュ侯爵夫人!」と言っていました。
 CDのドイツ語リブレットが正しいのなら、アンナ・モッフォ主演の映画のこの部分は間違です。

 では、このオペレッタのドイツ語台本でシルヴァは何と呼ばれているのでしょう?
 それは「Madis(Aにウムラウト) vom Chantant」であり、CDでは「歌の上手な歌姫」と訳されています。

 シルヴァ・ヴァレスクはブダペストにあるヴァラエティ劇場オルフェウムの若い「歌の上手な歌姫」であり、「ブルースの女王」や「タンゴの女王」といった大物歌手ではないんです。
 淡谷のり子や藤沢嵐子や美空ひばりのように、全国に名を知られた大物歌手ではないんです。

 この《チャルダッシュの女王》という間違った題名は、このオペレッタを観劇する上で、大きな問題を孕んでいます。
 女王だったら歳を取っているような気がするでしょう?
 20歳は年齢が違っている気がしませんか (^_^; ?

 そして、このオペレッタの主要テーマである身分の違いも、美空ひばりのような大物なら、楽に乗り越えて行けそうではありませんか (^_^; 。

 寺崎さんは日本語台本の最初に「幕が上がる。階段にすっくと立つ”チャールダーシュの女王”と謳われる歌姫シルヴァ・ヴァレスク」と、真っ赤な嘘を恥ずかしげもなく書いています。

 舞台上でシルヴァを演じるウィーンの歌手は自分を「オルフェウム劇場の若い歌姫」だと思って登場するのに、寺崎さんの解説を読んだ日本人の観客全員が「大物のチャルダッシュの女王」が出てきたと思って見ている。
 僕にはこのギャップがたまりません。

 寺崎さんの《チャールダーシュの女王》という題名に対する執着はこのCDの解説のあちこちに溢れており、先ほどの元大使フォン・ビリングのセリフについても、「それ以来、人々は彼女のことを『チャールダーシュの女王』ならぬ『チャールダーシュ侯爵夫人』と呼んでいる」などというセリフを勝手に創作 (@o@) したりして、何とか辻褄を合わせようと痛ましい苦心をしています。

 「思いあまってここまでするか?」というのが僕の感想ですけれどもね (^_^ゞ。

 このオペレッタに『チャルダッシュの女王』などという人物は出てこないんですよ。
 『Csardaskonigin(oにウムラウト)』なんてドイツ語は、台本に出てこないでしょう?

 名古屋市舞台振興事業団《チャルダッシュの女王》では、これらの問題どのように対応されていたでしょうか?
 シルヴァ・ヴァレスクは「ブダペストの高級ナイトクラブの人気歌手」とされ、ドイツ語台本に従い、寺崎さんの恣意的な間違いから逃れています。

 ではフォン・ビリングの言葉はどうなっているでしょう?
 「侯爵夫人になり損ねて、下品なチャルダッシュの女王といわれている」。
 つまり、ドイツ語台本と、寺崎さんのお働きで行き渡ってしまった間違った題名『チャルダッシュの女王』との間で、このような苦心の対応をひねり出したわけですね。

 でも、この場合の『チャルダッシュの女王』って、寺崎さんがCDに堂々と書いた「階段にすっくと立つ”チャールダーシュの女王”と謳われる歌姫シルヴァ・ヴァレスク」ではなく、「彼女はハンガリーで貴族の婚約者だったが、捨てられた。それ以来、人々は彼女のことを『チャルダッシュの女王』と呼んで(馬鹿にして)いる」ということで、シルヴァを侮蔑した設定でしょう?

 それなら何のために《チャルダッシュの女王》という題名にしたのやら。
 変だと思いませんか (^_^; ?

 それに、チャルダッシュ自体を下品な音楽とするのは、魅力的なチャルダッシュに溢れたこのオペレッタを卑しめているような気もしましたけれどもね。

 いつの日かこのオペレッタが《チャルダッシュ侯爵夫人》という正しい題名で上演される日が来るよう、願っています。
 
 
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