立派な門も大地震には耐えられず
今回の大震災はこの国が地震列島であることを再認識させてくれた。大地震は必ずまたやってくる、それもごく近いうちにというのが、地震学者たちの共通認識だ。しかも、場所はほぼ特定できている。
北海道の根室沖、千葉沖
いまから115年前の出来事だ。1896年6月15日、岩手県釜石市の東方沖を震源とするM8・3の「明治三陸地震」が発生した。巨大津波が北海道から宮城県の牡鹿半島までの海岸を襲い、死者は約2万2000人にのぼった。流失・半壊に至った家屋の数は、1万以上・・・。
波の高さは岩手県の田老(現・宮古市)で14・6m、綾里(現・大船渡市)で38・2mを記録し、「三陸では最大級」と言われた大地震だ。発生場所といい、津波の猛威といい、今回の東日本大震災に酷似しているのである。
それからたった2ヵ月半後の8月31日、内陸部に溜まっていたエネルギーが再び東北地方を直撃する。秋田県と岩手県境で起きたM7・2の「陸羽地震」である。両県で5792の家屋が全壊し、209人が命を奪われた。
なぜ、こんな短期間のうちに2度も東北地方を不幸が襲ったのか。地震予知連絡会の前会長で、東北大学名誉教授の大竹政和氏が解説する。
「わずか2ヵ月半の間に、海と陸でこれほど大きな地震が起こったことが、無関係であるはずがありません。
要するに、『明治三陸地震』で生じた地殻変動によって、内陸部にエネルギーが溜まり、それが『陸羽地震』を引き起こしたと考えることができるのです」
実は、今回の東日本大震災でも、その地殻変動は、本州の北半分全域に及んでいる。国土地理院によるGPS観測の結果、たとえば宮城県南三陸町を流れる志津川の観測点は、東南東に4・4mも移動していた。