Yahoo! JAPAN の奮闘(1)

東日本大震災では、Google 以外にもさまざまな企業が災害対応を行っていた。中でもYahoo! JAPANは、電力情報やボランティア支援などのサービスを提供して高い評価を受けていた。同社の取り組みを 2 回にわたって紹介する。

2012 年 7 月 27 日掲載

2004 年に始まった、Yahoo! JAPAN の災害対応

震度 3 以上の地震や津波については、Yahoo! JAPANの全ページに速報バナーが表示される。

 この連載では、Google によるクライシスレスポンス(災害対応)を中心に取り上げてきた。しかし、災害対応を行っていた企業は Google 1 社ではない。規模の大小を問わず、さまざまな業界のさまざまな企業が、被災地の人々を助けようと奮闘していた。中でも、情報支援において Google と勝るとも劣らない存在感を示していたのが、ポータルサイトの Yahoo! JAPAN だ。

 東日本大震災の発生直後から、Yahoo! JAPAN は地震情報のページを立ち上げて信頼性の高い情報の提供を始めた。そして、計画停電マップや募金、ボランティアへの支援などのサービスを次々に送り出した。こうした施策が可能だったのは、災害対応のための仕組みを普段から準備していたためである。

 Yahoo! JAPAN の災害対応は、2004 年 10 月 23 日に起こった新潟県中越地震にまでさかのぼる。マグニチュード 6.8、最大震度 7 の中越地震は、死者 68 人、全壊家屋 3000 棟以上という甚大な被害をもたらした。

 この頃にはすでにADSLや光ファイバー等のブロードバンド回線も普及し、テレビやラジオに並ぶメディアとしてネットが認知され、テレビ以上にネットを利用するユーザーも珍しくはなくなっていた。こうしたネットユーザーに災害情報を確実かつすばやく届けなければならない。中越地震を機に、Yahoo! JAPAN ではこのことを強く認識し、震度 3 以上の地震や津波については全ページに速報バナーを表示するようにした。

 同時に認識されたのが、リスクマネジメントの重要性である。大災害が起こった場合、ポータルサイトとして情報発信を続ける必要がある。特に Yahoo! JAPAN には、新聞社や通信社からのニュースを掲載する「Yahoo!ニュース」とは別に、「Yahoo!ニューストピックス」がある。これは、数あるニュースのなかからYahoo! JAPAN の編集者が取捨選択し、その記事に関連するマスメディアや個人のブログなども含めた各種情報のリンクを付けて表示するサービスで、1 ヶ月の訪問者数は 7000 万人にも上る。そこで、Yahoo! JAPAN では、東京だけでなく名古屋、大阪にも拠点を設け、災害時のオペレーションを現場の判断で行える体制を整えた。

 同じ 2004 年の 12 月に起こったスマトラ島沖地震や、2010 年のハイチ地震、同年の宮崎県における口蹄疫の流行等々、世界的な災害が起こるたびに、災害対応のオペレーションは実行されてきた。大災害についてテレビなどのメディアが報じると、より詳しい情報を求めてネットにアクセスする人が急増する。この受け皿となる情報をまとめて、Yahoo! ニュース トピックスで提供したり、募金の呼びかけを行ってきた。

震災直後、「ライフエンジン」が勢いよく回り始めた

震災直後、Yahoo! JAPAN の社員達は東京ミッドタウンの中庭に避難していた。

 2011 年 3 月 11 日の震災発生後、東京ミッドタウンにある Yahoo! JAPAN の社員はビルの裏庭に避難をしていた。ミッドタウン・タワーの中で地震が原因と思われるボヤ騒ぎが起こったのだ(実際にはボヤは起こっていなかったことがあとでわかった)。

 携帯電話での通話・通信はつながりにくくなっていた。当時、R&D 統括本部メディア開発部部長の高田正行さんや、事業戦略統括本部本部企画部の佐竹正範さんらは、携帯のワンセグ機能でニュース番組を見て衝撃を受けた。

 「これはもうとんでもないことが起こっているということが、その段階でわかりました」(高田さん)

 社員全員に会社からの連絡メールが送られてきたのは、その時だった。Yahoo! JAPAN には社内用の安否確認システムがあり、非常時には社員全員にメールを送って、安否を確認するようになっている。そのメールには、井上雅博社長(当時)のメッセージが一言添えられていた。

 「今こそ、ライフエンジンとしての力を発揮する時だ」

 ライフエンジンというのは、人々の生活と人生のインフラであろうという、Yahoo! JAPAN の決意を示すキャッチコピーである。このメッセージによって、災害対応は最優先事項となり、社員の意識も一丸となった。

 安全が確認されてオフィスに戻れるようになるまで 3 時間ほどかかったが、その間にも災害対応は着々と進められていた。Yahoo!トピックスについては大阪オフィスが作業を開始しており、東京オフィスのスタッフも事前の訓練通り自宅などからインターネット経由で担当作業についていた。地震で怖いのは揺れ以上に津波である、このことを熟知していた Yahoo!トピックスのスタッフは、震災後すぐ「津波に注意してください」というメッセージを検索窓の下に出している。

 避難中にも高田さんをはじめとするあらゆる部署の担当スタッフは、Yahoo!メッセンジャー(チャットのためのツール)で連絡を取り合いながら、作業を進めていった。まずは、被災地での通信を阻害しないよう、メールマガジンなどのプロモーションはすべて配信を停止し、続いて全ページに掲載しているバナー広告の切替を行った。震災直後から、Yahoo! 天気・災害情報を担当する田中真司さんらのチームはYahoo!トピックスチームと連携しながら地震情報のまとめページを作成し始めており、バナー広告からこのページに誘導するようにしたのだ。また、Yahoo!ボランティア(NPO・NGO・ボランティアに関する情報ページ)を担当したメディア開発本部の宮内俊樹さんらは、募金サービスを立ち上げた。

 震災当日の夕方までに、こうした作業が着々と進められていった。

専任スタッフ 70 人による24時間体制を構築

70 人の専任スタッフは2週間の間、各拠点の震災対策特別室で作業を続けた。

 やがて、東日本大震災の被害は、これまでの災害対応マニュアルの想定をはるかに上回ることが明らかになってきた。

 翌 12 日(土)には、震災対策特別室を設置して 24 時間体制での対応を開始したが、従来のように通常業務との兼任では人手がたりない。そこで、週が明けて 14 日(月)には、当時、COO(最高執行責任者)の喜多埜裕明さんが全社員に呼びかけ、70 人の災害対応専任スタッフを募集した。スタッフの内訳は、エンジニア、デザイナー、ディレクターで、記事の編集からデザイン、サービス開発までを、東京、名古屋、大阪それぞれの拠点で行えるようにすることを目的としていた。

 COO の呼びかけに対して、手を挙げた社員の数は 200 人あまり。どの社員もやる気に溢れていたが、高田さんらはいくつかの条件でスタッフを選抜した。長期間作業が続くことが予想されたので、体力のありそうな若手を中心とする。東名阪各拠点の近所に住んでいて、徒歩でも通える。身内に世話の必要な病人や妊婦がいない、などである。

 各拠点にある役員用の大会議室が震災対策特別室になり、NHK ニュースを常時流すための大型スクリーン、毛布、食料が持ち込まれた。

 震災対策特別室では、通常のYahoo! トピックス編集部と同じく、3 交代制が敷かれた。

 24 時間体制については社内にノウハウがあったとはいえ、全員がこのような勤務形態の経験があるわけではない。作業もイレギュラーなものが多くなり、どうしても疲れはたまる。さらに、津波で押し流されていく家々の映像が延々と流されている様子がスクリーンに映し出されているのを見ていると、誰でも何かしら変調をきたすものだ。作業中に突然泣き出してしまう人もいたという。この震災対策特別室の 24 時間体制は 4 月 3 日まで続き、初期の災害対応において中心的な役割を果たした。

 半月の間、震災対策特別室で寝食、苦楽を共にしたスタッフの間には、強い絆が生まれた。この 70 人の専任スタッフの中からは3組のカップルが生まれて、結婚することになったそうだ。

計画停電の情報をもっと見やすくわかりやすく

計画停電の開始直前に公開された「計画停電マップ」。

 震災翌日の 12 日(土)から世間的な関心が急速に高まった話題が、電力供給である。東京電力、東北電力管内では、福島第 1・第 2 原子力発電所を始め、複数の発電所が運転を停止したことが明らかになり、電気が足らなくなるのではないかという不安が人々の間に広まりつつあった。

 高田さんは、震災直後から Twitter 上で震災関連のキーワードを検索して、何が話題になっているのかを頻繁にチェックしていたが、13 日(日)になると節電に関する不正確な情報が広がっているのに気づいた。例えば、関西電力の管内で節電すれば、東京電力の管内が助かるといった情報が流れていたりする(実際には、関西電力と東京電力では電源周波数が異なるため、そのまま送電できるわけではない)。

 デマが拡散するのを防ぐには、節電に関する正しい情報を提供することが必要だ。そう考えた高田さん、佐竹さんらは電力会社などのサイトを調べ、節電情報を 1 ページにまとめ、当日中に公開した。「効果的な節電と計画停電の対処方法をご案内します」と題したこのページはごくごくシンプルな作りだったが、ページビューはわずか 1 日で 3000 万にも達した。いかに人々が正確な情報を欲していたかがよくわかる。

 そして、13 日(日)の夜、東京電力による計画停電(輪番停電)についての記者会見が行われた。14 日(月)早朝からの計画停電についての詳細が発表されたわけだが、質疑応答で情報の訂正が行われるなど混乱が続き、停電のグループ分けや実施時刻などの正しい情報を求める人は、ネットから情報を得ようとした。

 しかし、この連載の第 9 回でも書いたように、東京電力のサーバーはアクセスの負荷に耐えられず早々にダウンしてしまい、さらに資料が PDF で提供されたことも問題だった。詳しくは第 9 回を参照していただくとして、提供された PDF の資料は町名とグループ番号の羅列で、なおかつ情報の間違いも少なくなかった。

 Yahoo! JAPAN の震災対策特別室では、計画停電資料の確認・校正作業を、13 日(日)の深夜から開始する。情報提供元の東京電力でも混乱は続いており、情報は公開されるたびに校正作業をしなければならなかった。

 校正した情報も、そのままリストとして公開していたのでは見づらい。そこで、名古屋オフィスが中心となって、町名とグループ番号を Yahoo!地図上にマッピングし、一目でどの地域がいつ停電するのかわかるようにした。この「計画停電マップ」の作業は急ピッチで進められ、計画停電初日の14 日(月)未明には公開されている。

 計画停電についての作業のほとんどは、まったくの手作業だった。東名阪の震災対策特別室に集まった 70 名のスタッフは、4 月頭までの2週間、計画停電情報の確認、修正に追われることになる。

取材、執筆、編集 : 林信行 / 山路達也

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