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玉木宏樹(代表) 作曲家・ヴァイオリニスト

純正律」という呼称について/黒木朋興

 ドの音が鳴る弦を1/2に分けるとオクターヴ上のド、2/3に分けるとソ、3/4でファ、4/5でミが得られ、これら純正律の音程で和音をつくると極めてきれいな響きが得ら れるというのは、自然倍音列という現象によって説明することができる。ただ、この 自然倍音列という現象とそこから得られる純正律とは、言ってしまえば、単なる物理 現象にすぎない。重要なのはこの現象を前に、様々な人がそれぞれに多種多様な音文 化をつくり上げてきたということだろう。
 その中でもヨーロッパは、世界で唯一、和声の効果を存分に活かした音楽を築き上 げ、そしてそのための理論として調性システムを完成させた、と言われる。しかしそ のヨーロッパといえども、地域が違い言葉が違えば同じド・ミ・ソの和音を前にして も考えることが微妙に違うようだ。例えば純正律という表現をドイツ語・英語・フラ
ンス語で調べてみると、微妙な言い回しの違いの中にそれぞれのお国柄を感じること ができる。ここではフランス語のケースを中心に、その微妙な違いについて考えてみ たい。

 早速、平凡社の『音楽大事典』で〈純正律〉の項を引いてみよう。

 ――純正律 じゅんせいりつ just intonation[英]、reine Stimmung、 naturliche Stimmung[独] (フランス語では直接これにあたる言葉はなく、「アリ ストクセノス音階」gamme d'Aristoxene、 または「ツァルリーノ音階」gamme de Zarlinoなどと呼ぶ) 純正調とも言う〈……〉

 アリストクセノスにしてもツァルリーノにしても音楽理論家の名前なのだから、こ れらのフランス語は彼らの案出した音階という意味であり、従って純正律に正確に対 応した表現であるとは言い難い。では本当に、フランス語に純正律を指す表現がまっ たくないかと言えば、必ずしもそうとは言えない。

 例えば、僕が1998年の夏に、パリのラジオ・フランスの中にあるINA-GRMというミュー ジック・コンクレートのスタジオで開催された作曲の講習会に参加したときのことで ある。僕がスタジオで、C=1/1、D=9/8、E=5/4、F=4/3、G=3/2、A=5/3、B=15/8、 C=2/1という、純正律を振動数の比で表した表を眺めながらいろいろ思案していると、 エマニュエル・ドゥリュティという、コンセルヴァトワール・スュペリユールの作曲 科に籍を置く当時22歳の若い作曲家が僕の手元を覗き込み、"pas temperee" と呟い たのだ。つまり生のままの、調整[temper]していない(ずらしていない)音階とい う意味であろう。

 そこで「ドイツ語ではreine Stimmung[純粋音階]というけど、フランス語ではこ れに対応する表現がないみたいだね」と聞いてみると、「そんなことないよ。gamme pure[純粋音階]とかtemperament pur[純粋整律]とか、みんな言うよ」という答 が返ってきた。「だって辞書にgamme de Zarlinoとかgamme d'Aristoxeneとしか載っていないよ」と言うと、彼は目を丸くしていた。どうやらそういう表現を知らないよ うなのだ。

 数日後、今度は50歳を過ぎたと思しき、やはりコンセルヴァトワール・スュペリユー ルの作曲科の教授でもあるヤン・ジェスランに「英語でjust intonation、ドイツ語 でreine Stimmungというのがありますよね。フランス語では何というのですか」と聞 いてみたところ、「えーと、確か、juste, juste……」と言って答に詰まってしまっ た。もちろん、彼にしたところでメルセンヌやラモーの国、フランスが誇る最上級の 音楽学校で作曲を教える人物である。純正律という現象を知らないわけではないのだ。
もちろん、彼らの用語に関する混乱ぶりを勉強不足のせいにしてしまうことはできな いだろう。

 しかしフランス人の作曲家が「純正律」という表現を知らなかったとしても、それ は決して彼らの勉強不足のせいではない。フランス語の音楽事典やテンペラメントを 扱った学術書を見てみれば、既にそこからして言葉が一定していないのである。

 まずマルク・オネゲル編集の『音楽事典:音楽の科学』(1976)を引いてみると、 「ピュタゴラスシステムSysteme pythagoricien」「調整されたシステムSysteme tempere」の項に続き、「ツァルリーノシステムSysteme zarlinien」という項が見つ かる。ここでは「G.ツァルリーノがこのシステムを開発したのではないが、これが広 く用いられるようになったことに関しては多大なる貢献をしている。その主要な特徴 は、ピュタゴラスの長3度(81/64)を倍音列のなかの長3度(5/4)に置き換えたこと にあり、3つの音(ド-ミ-ソ=4/5/6)による協和音の可能性に道を開いた……」と説 明されている。また「フランスでは物理学者の音階、ドイツでは倍音システムの音階
と呼ばれている」という記述があることも興味深い。『音楽ラルース』(1987/1993) では、テンペラメントの項の中で、「平均律le temperament egal」、「ピュタゴラ ス整律le temperament pythagoricien」に続き、「ツァルリーノ整律、あるいは 《不等分律》les temperaments zarliniens, dits《inegaux》」として扱われている。
やはりここでも5/4の3度の重要性が強調されているが、les temperamentsという風に 複数形であることからも察せられるように、中全音律やキルンベルガー整律などの古典整律の説明もこの項の中でなされている。

 次に学術書を見てみよう。ピエール=イヴ・アスランの『音楽とテンペラメント』 (1985)では、ピュタゴラス律を「ピュタゴラスシステム」として説明し、純正律は 「英語の《just intonation》からの訳語である」という断り書き付きで 《intonations pures》としている。ジャン・ラタールの『音楽における音階とテン ペラメント』(1988)では、やはりそれぞれ「ピュタゴラスの音階gamme de Pythagore」、「ツァルリーノの音階gamme de Zarlin」と呼ばれているのだが、「自 然音程 Intervalles naturels」という言葉に「正確なjus-tesあるいは純粋なpurs [ 音階] とも呼ばれている」という但し書きがついている。英語、ドイツ語からの影響 であろう。そしてドミニク・ドゥヴィの『音楽のテンペラメント』(1990)では、ピュ タゴラス律を「ピュタゴラスシステム」としているのは前述の書物と同様だが、純正 律には「自然音階gamme nature-lle」という言葉が当てられており、箇所によっては 括弧をつけて英語のjust intonationという言葉が添えられている。

 確かにツァルリーノは長3度(5/4)の可能性を強調してはいるが、彼の時代ではハー モニーといえばまだ音階論の域を出ず、それが1度-3度-5度などによる和音のことを 意味するようなるのは、17世紀にメルセンヌやデカルトらが自然倍音を発見し、18世 紀初頭にかけてソヴールなどの物理学者が音響分析を行い、そしてそれらの研究の成 果を背景としてラモーが数々の和声論を執筆する18世紀以降であることを考えれば、 純正律が〈科学的〉に理論付けされ実用化されたのは18世紀初頭であると言えよう。
その意味で、ドゥヴィが純正律に「自然音階」という用語を当てているのは、「自然 倍音harmoniques naturels」との関連であり、適切な選択であると言えよう。

 つまり純正律はツァルリーノではなく、18世紀の物理学者達のもとで和声論ととも に花開いた音階なのである。

*

 自然倍音という現象はデカルトとメルセンヌが17世紀に発見した、と一般 に言われる。ではそれ以前の人々の耳に倍音が聞こえていなかったのか、と 言われればそうではないだろう。しかし中世の大学で自由7科の1つとして研 究された音楽とは、歌声や楽器の音など我々が実際に耳にする音楽というよ りも、ムシカ・ムンダーナ(musica mundana) やムシカ・セレスティス(musica celestis)という世界や天体の秩序のことであり、すなわち耳に聞こえない音楽のこ とだったということに注意したい。

 もちろん、耳に聞こえる音楽文化がなかったということではなく、教会にも宮廷に もそれなりの音楽が培われていたのだが、ここで重要なのは中世の諸技芸は〈神〉に 対する近さによって厳密に階層分けされており、耳に聞こえる音楽は、聖歌を除き、 一般に低い位置に貶められていたということだ。つまり中世の学者にとって重要だっ たのは、作曲したり演奏すること以上に宇宙を知ることだったのだから、倍音という 実際の音響現象は二次的なことにすぎなかったのである。それに対してデカルトやメ ルセンヌといった哲学者(=科学者)の功績は、耳に聞こえる音響現象を学術的な議 論の爼上に上げたことであり、自然倍音の発見ということもそのような知的環境の変 化という相のもとに捉えるべきであろう。

 つまり、実際には耳に聞こえない音楽を議論にする以上、倍音現象に注意を払わな くても全く問題はないわけだし、具体的な音響現象を観察し始めた以上、倍音が議論 の対象として浮上してくるというわけだ。またデカルトの代表的な著作『方法序説』 が、当時の学術書としては極めて異例なことにラテン語ではなくフランス語で書かれているということも思い出しておこう。それまで真理に至るためにはラテン語を身に 付け論理学や修辞学を学ばなければならないとされていたのに対し、デカルトは〈理性〉を正しく導いていけばフランス語でも十分真理を理解できると考えたのだ。デカルトが〈近代=現代哲学〉の父と言われる由縁である。

 それまで教会や大学の中だけで追求されてきた真理を広く民衆に開くきっかけを作り、音楽を机上の論理から人間の感覚に快を与えるものへと開放した、と言えば聞こえは良いが、しかしこのデカルト哲学最大の問題点は、22歳の彼が『音楽提要』において既に言明しているように、「感覚は絶えず欺かれる」としていたことにある。デカルトの生きた17世紀とは、〈この世のすべては疑わしい〉という懐疑主義で理論武装をしたリベルタン(自由思想家)達が〈神〉の存在を辛辣にあざ笑った時代であり、彼の有名な「コギト・エルゴ・スム(我思ウ、故ニ我アリ)」とは、全てが疑わしいこの世における唯一確実な真理なのだし、そして何よりも〈神〉の存在証明だったのだ。

 そのような真理に至る彼の思索の道程において「感覚は絶えず欺かれる」という台詞は、リベルタン(=懐疑主義者)達への理論的な防御装置として機能する。つまり、我々は常に欺かれているのだから全てが疑わしく思えてしまうのも当然のことだ、現に学者達は大学の研究室の中で誤謬に継ぐ誤謬を重ねてきたではないか、だからこそ〈理性〉の光を誤謬に満ちた世界に当てることによって確実な真理に至ることが大切なのだ、とデカルトは説いたのである(デカルト自身の考えというより、むしろ後のデカルト主義が掲げた根本原理であると言ったほう良いだろう)。デカルトは確かに大学の研究室から人間の感覚へと音楽を開放しはしたが、その感覚を全面的に信用したのではなく、具体的な視覚や聴覚の上位に新たなる形而上学的概念を設定したのだ。
つまり物事はただ見たり聞いたりするだけではなく、〈魂〉で感じとらなければならない、ということだ。そしてこの〈魂〉に宿り人間を正しく導いていくものこそが、 〈神〉が人間に与えてくれた〈理性〉なのである。

 モノコルドと呼ばれる弦が1本だけの楽器がある。楽器と言っても、演奏用ではなく音程比の実験のためのものだった。中世の頃から使われてはいたが、自然倍音の発見に続く17世紀から18世紀にかけての時代において、物理学者達はこの楽器に改良を加え、実験室の中での自然倍音の分析に心血を注ぐことになる。例えば、音響学の基礎を築いたと言われるソヴールが有名だろう。やがて、ジャン=フィリップ・ラモーが現れる。

 一般に〈光の世紀〉と称されるこの時代において、彼は独自の和声論を展開しフランス和声学の礎を築くとことなる。他の物理学者と同様、ラモーの仕事においても倍音列の分析は重要であり、当然、彼は、現在純正律と呼ばれるシステムについては熟知していた。また1726年には「変化記号が違えば、音の間隔が様々に違ってくる印象を受ける、という指摘をするのは好ましいことである」と言っているのだから、少なくともこの時点ではまさに不等分律の推奨者であったのだ。

 ところが1737年の著作において彼の関心がモノコルドによる倍音分析から和声進行のほうへ移っていくのに伴い、こともあろうに平均律支持を表明するに至ってしまう。
どういうことなのだろうか。

 ただ1つの音を対象にしてその倍音列をいくら観察・分析したとしても、それはあくまでも音響の研究なのであり、実際の曲作り、つまり音をどのように組み合わせ和声を進行させていくかということに対しては、距離があることは否めない。だいたい倍音を観察するにしても、雑音のしない実験室において均質な材質からなる良質な金属弦を響かせて行われ、更にそのために使われるモノコルドにしたところであくまでも実験用の楽器であり実際の演奏に用いられることはないのだ。また何よりも純正律では使える和音が限られていることを考えても、実用向きではなくあくまでも実験室の中だけの音階である、という感があったことは否定できない。

 だから興味の中心を和声の成り立ちから具体的な和声進行に移していったラモーが、純正律ではなくより実用的なテンペラメントを求めたというのも納得のできることではあるだろう。

 以上からすれば、ラモーは1737年にかけて思想上の大転回をした、という解釈も可能だ。しかし、実のところ、ラモーの側からすれば回心したつもりなどこれっぽっちもなかったのではないだろうか。つまり、彼の思想には断固とした連続性を見いだすことができるのだ。それを一言で言えば、一見複雑な現象に見える音楽を理性的な秩序のもとに体系付けようとする意志であったと言えるだろう。

 つまりデカルト主義者を標榜するラモーにとって、自然現象は全て理路整然とした幾何学的な体系に基づいているべきものであり、しかもその体系は数学でもって解析できなければならない。

 ここで、Natureという言葉には〈自然〉という意味と同時に〈本質〉という意味があることに注意したい。〈本質〉とは目の前に広がる風景のことではなく、〈神〉が取り決めた秩序のことだ。たとえ倍音列から得られる音階が不等分なものであろうと、それはあくまでも見せかけの〈自然〉にしかずぎず、〈本当の自然〉は〈目に見えな
い〉ところにあるのであり、そこは理路整然とした幾何学的な世界なのだから、当然平均律こそがその〈自然〉をものの見事に表象している、ということになる。そしてラモーにとって、音楽こそがこの数の秩序が統べる理想の世界を最も良く体現している芸術なのであり、音楽はこの世の知性の全てを握る芸術とならなければならない。

 もちろん、この時代においては技術的に現在のような正確な平均律の調律は不可能であり、それはあくまでも理想の領域にある、ということはつまり「絵に描いた餅」にしかすぎなかったということを言い添えておく。

 音響現象こそ自然の中に刻み込まれた幾何学に他ならない、というラモーの主張は、やがて、数学という学問が他の科学の基礎となっているように、他の諸芸術に対して基盤となるべき法則を提供するのは、その数学的理性を最も体現する音楽に他ならない、という見解にたどり着く。更にいえば、理論面での説得力を有すると同時に感覚に訴えかけることもできる音楽は、数学を凌駕し、すべての科学の規範となるべきである、という一種「神学」的な見解にも繋がりうることを指摘しておきたい。

 そしてラモーは、バス・フォンダモンタルと和音転回の理論の確立により、旋律をはじめとするすべての音楽現象を独自の「幾何学的」和声体系に還元し、近代和声学の礎を築くのである。

 このような和声学はやがて19世紀のドイツに受け継がれ、リーマンが機能和声の理論を確立する。

 一方フランスはこの時期、音楽に関してはいわゆる停滞期に入るのに対し、さらにドイツでは、医師、生理学者、物理学者の肩書きを持つヘルムホルツが『音感覚論─音楽理論のための生理学的基礎』(1863)を記すに到る。ヘルムホルツはこの著作の中でreine Stimmung[純正律]の美しさの重要性を強調しているわけだが、彼の弟子には「純正調オルガン」を作成した田中正造氏がいるということを指摘しておく。
このヘルムホルツの仕事を受け継ぐのが、『諸民族の音階』(1885)という書物によりセント法を世に広め民族音楽学に多大なる功績を残したイギリス人、ジョン=アレクサンダー・エリスである。彼の功績はヘルムホルツの著作を英訳した(1875)ことにあるわけだが、特に増補改訂第2版(1885)はより多くの世界に広まり、現在の日本においても「調律技術者の必携書」として大きな影響力を保ち続けている。

 さて、このエリスであるが、彼はこのreine Stimmung[純正律]に対して、just intonationという訳語を当てている。ここで、フランス語の学術書において純正律を指すintonations puresやgamme naturelleという表現に英語のjust intonationのことであるという但し書きが付いていたことを思い起こしておこう。すなわち、自然倍音列という現象自体は17〜18世紀のフランスにおいて綿密に観察されたものであり、その意味でメルセンヌ、ラモーといったフランス人の手によって純正律研究の礎が築かれたことに疑いはないが、純正律という言葉自体は19世紀のドイツで脚光を浴び、その後ドイツ語の著作の英訳を通じて世界に広まった、ということが言えるの
である。

 フランスから発し、ドイツ、イギリスを通じて世界に広まるというこの図式に関して言えば、純正律の問題に加えて、「絶対音楽」の理念について語っておくことも決して無意味なことではないだろう。簡単に言えば、西洋キリスト教文化においては長い間、音楽をあくまでも詩に従属したジャンルと見なしていたのに対し、そこから
「言葉=テクスト」から切り離し独立したジャンルと認めようと言うのが「絶対音楽」の理念である。既に見たように、ラモーが音楽とその和声論にすべての学芸の規範となるべき法則を見出していたことを考えれば、そこに音楽の自律という「絶対音楽」の理念の萌芽を見て取ることも可能だろう。しかし彼が最も作曲に心血を注いだのは 「叙情悲劇」というフランス固有のオペラであった。そしてこの「叙情悲劇」に対立する概念がラシーヌに代表される「古典悲劇」であることを考えれば、ラモーの活動はあくまでも文学の領域に留まるものと見なされる、ということを指摘しておく。

 いずれにせよ、17〜18世紀にフランスで培われた音楽文化が、現在の我々のもとに届くには、1回、ドイツを経由しなければならなかったのである。(完)

ミーメーシスについて/黒木朋興
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