お役に立ちそうな資料は以下のとおりです。
➀『新聞報道と顔写真』小林弘忠著 中央公論社 1998 <070.17GG/3> (21070552)
「残酷現場はいつから載らなくなったか」(p173~180)
新聞における遺体写真の掲載状況の変化について、記載があります。
②『人権と報道を考える(法学セミナー増刊総合特集シリ−ズ39)』日本評論社 1988
<070.1W/178> (12295515)
「⑨誘拐支店長監禁事件写真報道・藤沢バラバラ事件 配慮と品位に欠けた残酷報道」
(p71-72)に
「遺体写真も含めた残酷な写真の掲載に関して、新聞各社は具体的な報道基準は決めていない。しかし遺体写真については、明文化されていない掲載基準はある。外国の戦争報道で戦争の悲惨さを訴えるケースなど、遺体が匿名でそれも特別にむごい印象を与えない場合に限ってのみ掲載されるというのが、暗黙の基準になっていると思われる。死者及び遺体の尊厳、名誉を守るとともに、遺体を掲載された場合の遺族の心情を配慮し、さらに紙面を見る読者のショックも考えて当然のことと言えよう。(後略)」と記載があります。
③『取材される側の権利』東京弁護士会編 日本評論社 1990 <070.15Y/3> (20241667)
「写真週刊誌-取材される側の権利(案)」(p238-254)は
<東京弁護士会 人権擁護委員会 報道と人権部会>が1987年3月に起草した資料ですが、「二 取材される側の権利 (5)弱者の保護 ③いかなる個人も、その子、配偶者および両親の遺体について、みだりに、写真撮影されない権利ならびにその遺体の写真を報道されない権利を有します。」と記載があります。(p240)またこの項目の解説も「9 写真報道における死者などのプライバシー」として記載されています。(p248-249)その第4項に「報道側において遺体の写真報道をどのように扱うかについては、ことの性質上客観的、絶対的な基準はないようですが、おおむねつぎのような見解が報道側より公にされています。「原則的に遺体は報道しないが、事故の性格や背景、写真の絵柄、読者の受ける印象などを慎重に比較衡量して、報道の意義が優先すると判断された場合には載せることもある」とされています。(後略)」と記載があります。
なおこの資料は②のp514-521にも所収されています。
④『資料集人権と犯罪報道(法学セミナー増刊)』成沢壽信編 日本評論社 1986
< 070.1U/169>(12295424)
「新聞界の動き 高まる新聞批判とそれへの対応」(p347-352)の「正面からの批判(80年)」に「その他、新宿西口バス放火事件(8月)での遺体写真の掲載をめぐっても各社で検討がなされ、朝日などが犯罪に対する警鐘の意味から掲載に踏み切った。それまでも、木星号墜落事故、大阪千日デパート火災事故、三島由紀夫事件などで、死者の尊厳や遺族の心情を傷付けないかが議論されてきた。(後略)」
「取材活動への批判(85年)」に「また日航機事故では、凄惨な写真を掲載するべきか否か(掲載社の言い分は「残酷な写真を掲載することによって事故の犯罪性を告発する意味がある」というもの。また雑誌社は「隠されたものがあれば、それをあくなく追及していくのが雑誌社の〝理念〟である」とした)(後略)」と記載があります。
⑤『報道不信の構造』徳山喜雄 責任編集 岩波書店 2005 <070PP/128/2>(21805205)
「戦争の残虐写真は公表すべきか」越川健一郎著(p202-210)
⑥『犯罪とメディア文化』仲村祥一編 有斐閣 1988 < 070.1W/180> (12295531)
「7 事件報道の現場から(冠木雅夫)」の「遺体写真‐和歌山の七人焼身自殺」(p250-251)
⑦『マスコミの倫理学』清水英夫著 三省堂 1990 < 070.15Y/2> (20234365)
「Ⅵ マスコミをめぐる法と倫理の状況(メディア・クロノロジー)」(p205-282)の「1986年 熱川火災、日航機事故と被災者のプライバシー」(p218-220)「写真とプライバシー アメリカの場合」(p241-244)
⑧『現代新聞写真論』日本新聞協会 1997 <070.17GG/5> (21083787)
「撮るために配慮すべきは何か-人権・肖像権・プライバシーをめぐって」(p133-152)の
「外電にものさしは緩くあてる」(p139-142)
⑨『戦史の証言者たち』吉村昭著 毎日新聞社 1981 <915.9N/839>(12732897)
「Ⅳ 伊号第三三潜水艦の沈没と浮揚」(p159-249)の「浮揚した艦の内部を写真撮影した新聞記者 白石鬼太郎氏の証言」(p223-249)
潜水艦内の遺体を撮影した写真について、「私としては、誰も撮らなかった写真を撮ったわけで、その写真を一応新聞用にはしたんですけれども、新聞の写真としては、死者の尊厳をそこなうとか、死体が読者に嫌悪の情を与えるものはいけないという倫理規定があって、使われなかったんです」(p245-246)と証言しています。
同書によると伊号第三三潜水艦が引き揚げられたのは、昭和28年7月のことです。
ただしこの際の写真は「伊三十三潜浮上せず」(『今日の話題』戦記版第43集)土曜通信社 1957には掲載されています。<Z390/511>
⑩『報道の正義、社会の正義』阪井宏著 花伝社 2013 < 070.16/ 42> (22715619)
「第5章 原発事故をどう報じたか」(p117-142)の「なぜ遺体を撮らなかったか」(p124-126)
⑪日本新聞協会webサイトトップページ>刊行物> 新聞協会報(週刊)・紙面展望
2月21日付 大震災被災者に配慮
http://www.pressnet.or.jp/publication/view/120221_1678.htmlには「▽遺体の撮影 新聞協会加盟紙上では、死者の尊厳と遺族心情等への配慮から遺体の写真をそのまま掲載したケースは無かった。一方、震災被害の悲惨さを伝えるためにも、個人が特定されないような写真であれば掲載の意味があるのではないか、との意見もあった(朝日「報道と人権委員会」での本林徹元日弁連会長の発言など)。」という記載があります。
なお朝日新聞の記者マニュアル『事件の取材と報道2012』朝日新聞事件報道小委員会著
朝日新聞出版 2012 <070.15/22/2012> (22579171) には「第5章 事件報道と人権 第2節 死者の尊厳」(P113-116)という項目がありますが、遺体写真の扱いについては明文化していないようです。
⑫NHK放送ガイドライン2015
http://www9.nhk.or.jp/pr/keiei/bc-guideline/index.htmでは、「遺体の映像」について以下の2カ所で言及しています。
「9 事件・事故 ⑥映像」の6項目め 「事件や事故、災害などでは死者の尊厳や遺族の心情を傷つける遺体の映像は、原則として使用しない。」
「13 国際・海外取材 ②戦争・テロ報道」の5項目め「戦場やテロ現場の映像については、慎重に判断して扱いを決める。遺体の映像は、人間の尊厳や遺族などの感情も尊重し極めて慎重に扱う。捕虜の映像は、人権に十分配慮し必要最小限にとどめる。」
BPO(放送倫理・番組向上機構)のwebページ>放送人権委員会>意見交換・シンポジウム>
2011年10月のページ(中国・四国地区各局との意見交換会)には、「東日本大震災報道」についての「日本のテレビでは遺体映像は出ていないが外国のメディアでは海に浮かぶ遺体の映像が流れたと聞く。どう考えるか」という質問にたいする意見が掲載されています。
http://www.bpo.gr.jp/?p=1969