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やる気は出し惜しむべき

昔からやる気がない。大学で他己紹介をしたときに「驚くほどやる気がない」と言われたほどだ。同い年で実業家になっている人とか、ポジティブにガンガンやっている人とか、頼むからそんなにやる気を出してくれるなよとさえ感じてしまう。

しかも夢がない。小学校の論文集の最後のページに、「みんなの夢」みたいなのがあって、自分のを見ると頭が痛くなる。「金持ちだが悪い人にはならない」。なんだこれは。薄っぺらすぎる。

やる気が出る10の方法みたいなのを見ても、そこで「へぇ」と思って、実行に移さないくらいやる気がない。

強みもない。面接で「あなたの強みは?」と聞かれても、思わず「強みというのは環境によって決定されるので、いつかの弱みはいつかの強みになったりします、つまり特徴ということですよね?」と内心思うがやる気がないので口に出す気力さえない。

感覚なんだけれど、やる気は毎日10ccくらいずつだけ出ている分泌液だ。なにかを成し遂げるには1リットルくらい必要なんだけど、そこまで貯める前に蒸発してしまう。

物理的な世界に目を向けると、実際に何かを成し遂げるには継続が重要で、一度にドカン!と何かがひっくり返ることがない。世界が一瞬にしてひっくり返らないかなあと考えている人はたくさんいそうだ。でもそういうことはない。

日々の、10ccのやる気を大切にするときに、もっともやってはいけないことは、急に思い立って大掃除をするみたいなことだ。ある程度使わず貯めておいて(100ccとか)、中途半端なところで一気に消費してしまう。個人が一日でやる気を出し切っても、それこそ大掃除くらいにしかならない。

やる気は蒸発していくので、日々消費しなければならない。10ccの範囲でできる革命を毎日やる。革命を1000くらいの段階に分けて、毎日やる。たとえば革命的なウェブサービスを作ろうと思ったら、「革命的なウェブサービス」とだけ書いた紙を机においてその日は終わり。それ以上のことをやっては、絶対いけない。もう5cc使ってしまった。次の日にそれを続けるために、5ccくらいのやる気がまた必要になる。

それで次の日に5cc使ってその紙を見て、革命的なウェブサービスってなんだろう?と思いつくまま書き出してみてまたその日を終わる。また5cc残す。で、また次の日にいくつか検索してみて、5cc。

前の日に何かをやった!という自信があると、分泌液が1ccくらい増えるときがある。それを積み重ねて、いつの日か毎日100ccくらいのやる気が出るようになるんだと思う。

継続は力なり、という言葉があるけれど、継続するためには一度にやる気を出し切るな、のほうが大切な教訓ではなかろうか。全国のやる気無し同志においては。