温暖化と原子力発電 (2008)

科学者の課題は何ですか

福岡伸一:30年近く前になりますが、柄谷さんは生物学者の日高敏隆さんとの対談の中で、生物学者のナイーブさや素朴さを笑われました。その状況は今もほとんど変わっていません。生物学者は生物をテクノロジーの対象としてとらえ、機械論的に考えて操作できるという幻想を依然として追い求めています。
 また、生命現象において、二つ以上の出来事の間に原因や結果としての結びつきがあるという「因果性」が当時ほど明確ではなくなってきているということもあります。
 たとえば同じ遺伝子のセットを使って生命を操作しても同じ結果が現れるとは限らない。再生医学の切り札として注目を集めている胚性幹細胞(ES細胞)や人工多能性幹細胞(PS細胞)などの万能細胞も、われわれがコントロールできるかどうかわからない。
 「真か偽か」を見極められない予測不可能な科学の問題に対し、科学者はどのように価値判断をしていけばいいのかという課題に直面しています。
柄谷行人:科学認識に関しては、哲学者カール・ポパーの考えが今でも参考になると思う。彼は、有限な事例から普遍的な命題をいかにして導き出すかをつぎのように説明した。普遍的な命題をまず仮説として立てて、それに対する反証が出てこない限りで、暫定的に真理であるとみなす、と。
 科学認識は根本的に仮説である。ここで重要なのは、普遍的命題が「未来」という時間性を入れないと成立しない、ということです。普遍的命題はいわば「未来の他者」を前提とする。ゆえに、倫理の問題だけでなく、自然科学の認識に関しても、われわれは今ここにいる相手ではなく、異議を申し立てるかもしれない、「未来の他者」を念頭においておかなければならない。今生きている、われわれの合意だけで判断することは許されない。
福岡:因果性が明確でないのは、地球環境問題も同じです。過去千年間もほぼ一定だった大気中の二酸化炭素(CO)の濃度が、産業革命移行の200年余の間に上昇した。その上昇は人類の営みによる可能性が高いとはいえるが、それが本当に地球温暖化を引き起こす原因かどうかは議論が分かれていて実はよくわからない。この問題も、「未来の他者」との間で仮想的なコミュニケーションをすべきだということでしょうか。
柄谷:そうですね。たとえば、物理学者の槌田敦さんは、COの増大は温暖化の原因ではなくその結果だ、といっている。また、人類にとって本当に危険なのは寒冷化だ、と。実際、1980年代までは、寒冷化の危険の方が強調されていた。それが打って変わって急に「CO、CO」と言われるようになった理由は、科学よりも政治的なものの方が大きい。COを減らすという名目で、COの排出量が少ない原子力発電所を増やそうとしているのではないか。
 だが、あらゆる廃棄物のうち最も処理が大変なのは原発から生じる廃棄物だ。そのことを「未来の他者」はどう考えるだろうか。そう考えてみることが、未来の他者との仮想的なコミュニケーションだといえる。
 COを強調することで、別の環境問題をおおい隠すのはよくない。現在も将来も、環境危機は、砂漠化や汚染にあると思う。CO排出を減らすだけでそれを解決できるとは思えない。そもそも世界的に農地や森林が消滅しているのは、温暖化のせいではない。それは政治・経済的な問題である。いいかえると、国家と資本主義経済の問題です。
福岡:そのCOを排出できる量を国や企業が売買し、削減義務を達成する「排出量取引」が世界で動き出しています。さまざまな仕組みがあり、先進国がCOを減らす事業を途上国でした場合、その削減分を自国で使うこともできます。だれのものでもなかった土地に価値が生まれたように、COがあたかも貨幣のようになったことに歴史的な必然を感じますか。
柄谷:経済学者のアダム・スミスもマルクスも、使用価値はあるが交換価値がない例として、空気と水をあげた。そこから見れば、ついに大気まで交換価値をもつにいたった、ということだ。ただし、排出量取引の取り組み自体はおもしろいと思う。途上国への富の再分配になっている面があるから。世界の中の経済格差を解消するためには、COの規制のような方法を用いるのは一つの手だろう。
福岡:時間の軸をどうとるかという問題に絡んで、「時間の分節化」が起きています。「死」を決めるのは①心停止②呼吸停止③瞳孔拡散の3兆候だが、今は脳死判断で3兆候以前に死んだとされるケースもある。これとは対照的に「人はいつ生まれるか」という問題もあります。生物学者は最近、「脳死が人の死なら、脳の機能が始まるときが人間の始まりと考えられる」という新しい概念を導入しようとしています。つまり、受精してからかなり後になって「人間」になるという考え方です。脳死の議論が臓器の利用を可能にしたように、「脳始」の議論は、受精卵が分裂してできた細胞の塊(初期胚)の操作を可能にする。科学技術の先端化に伴って人間が延命できるのではなく、逆に人間の時間を両側から縮める分節化が起きている。こうした動きをどう考えますか。
柄谷:資本主義の浸透がついにここまで及んだということだ。現実に、臓器が商品として売買されている。この現実に合わせて、人間の死をどこで認定するかという医学的判断や法律的規定がなされている。しかし、そのようなものによって、人間の死や生命を判断することはできないでしょう。
 
(2008.4.7 『朝日新聞』朝刊掲載)
 
この対談の原文全体は、『エッジエフェクト 福岡伸一対談集』(2010年 朝日新聞出版刊)に収録されました。