はてなの近藤さんのブログの「怒る必要などない」というエントリーで、京都ではてなと同じビルに入っていた歯医者さんの引退飲み会に参加して、引退する彼の「怒る必要などない」という話を聞いたことが紹介されている。
先生が30代の頃は毎日スタッフのミスをメモし、診察時間が終わるとそのスタッフを怒っていたそうです。ところがある時、「怒る必要などない」ということを悟り、対等な人間として接するように変わったそうです。それから入ったスタッフの方の多くは、10年以上も勤務され続けたそうです。怒るのは自分の自信のなさの現れである、と仰っていました。
私は仕事柄、社内でプログラミングしたり外でプレゼンしたりしている時間の他にも、他社を訪問したり、メールのやり取りなどで他の会社の方と接することもそこそこあるのだが、時折、部下を汚い言葉でしかりつけたり、仕事で関係するパートナーに侮辱的な言葉を投げかけたり、呼び捨てにして罵ったりする人を見かけることがある。
私個人としては、社内で人のことを「○○君」と呼ぶことにも抵抗があるタイプの人間で、「上司が部下を○○君と呼んだりしてるけど、もし立場が逆転したらどうするつもりなの?」と素朴に思ったりしてしまうわけだが、取引先や社内の関係者に対して、冷静な言葉を保てず、怒ったり威圧するような態度を取る人というのは、不愉快であることを通り越して、その人やその人の所属している会社の価値を下げているようにしか思えない。そういう態度を容認する会社も「対外的な礼節を守ることが出来ない会社」として評価が下がるし、よく、取引先に転職、という話があるけれども、そういう人と一緒に仕事をしたいという気持ちになる人は少ないだろうし、怒った当人が「萎縮させてプレッシャーを与えられた」という本人だけが感じる満足感以外に何も得るものがないように思える。
関係者に対して敬意を払うことを忘れず、問題が出てきたとしても次からそうならないように工夫して行き、自分にできることは極力取り組んで成果を出し、互いにリスペクトできる関係を保ちながら物事を良い方向に進めていくのが仕事の基本だと思うのだが、口汚く罵ってプレッシャーを与えることをスキルか何かのように勘違いしている人が幅を利かせたりしているのが日本のエンタープライズ業界の競争力向上の妨げになっているような気がしてならない。切れて怒りを露わにすれば失敗は少なくなるだろうが、新しいチャレンジへの意欲も同時に摘み取ってしまうところが罪である。
他の業界・他の会社のエンジニアと交流し、思いついたことを形にして発表し、面白そうなプロジェクトになりそうなら共感を得られる仲間同士で集まって会社を興すなり社内ベンチャーを立ち上げるなりして、つくりたいものをつくっていく。そんな自由で創造的な環境の中でこそ面白いソフトウェアが生まれてくるのだと思うけれども、ソフトウェアが広まっていく途中段階でそういう「怒って萎縮させて色々な対応を無理強いする」ことを自身の成果だと思っているような人とぶつかってクリエイティブな人たちが怒るのが大好きな人たちにつぶされて行っているとしたら、それはとてもとても悲しいことだ。アプレッソはもうこの業界でパッケージビジネスを10年以上やってるので十分対応可能だが、会社がかなり軌道に乗ってきた今でも時折そういう人と接することがあって、そういう人を見るたびに、なんだかなぁ、と眉をひそめてしまう。
私個人としては、社内で人のことを「○○君」と呼ぶことにも抵抗があるタイプの人間で、「上司が部下を○○君と呼んだりしてるけど、もし立場が逆転したらどうするつもりなの?」と素朴に思ったりしてしまうわけだが、取引先や社内の関係者に対して、冷静な言葉を保てず、怒ったり威圧するような態度を取る人というのは、不愉快であることを通り越して、その人やその人の所属している会社の価値を下げているようにしか思えない。そういう態度を容認する会社も「対外的な礼節を守ることが出来ない会社」として評価が下がるし、よく、取引先に転職、という話があるけれども、そういう人と一緒に仕事をしたいという気持ちになる人は少ないだろうし、怒った当人が「萎縮させてプレッシャーを与えられた」という本人だけが感じる満足感以外に何も得るものがないように思える。
関係者に対して敬意を払うことを忘れず、問題が出てきたとしても次からそうならないように工夫して行き、自分にできることは極力取り組んで成果を出し、互いにリスペクトできる関係を保ちながら物事を良い方向に進めていくのが仕事の基本だと思うのだが、口汚く罵ってプレッシャーを与えることをスキルか何かのように勘違いしている人が幅を利かせたりしているのが日本のエンタープライズ業界の競争力向上の妨げになっているような気がしてならない。切れて怒りを露わにすれば失敗は少なくなるだろうが、新しいチャレンジへの意欲も同時に摘み取ってしまうところが罪である。
他の業界・他の会社のエンジニアと交流し、思いついたことを形にして発表し、面白そうなプロジェクトになりそうなら共感を得られる仲間同士で集まって会社を興すなり社内ベンチャーを立ち上げるなりして、つくりたいものをつくっていく。そんな自由で創造的な環境の中でこそ面白いソフトウェアが生まれてくるのだと思うけれども、ソフトウェアが広まっていく途中段階でそういう「怒って萎縮させて色々な対応を無理強いする」ことを自身の成果だと思っているような人とぶつかってクリエイティブな人たちが怒るのが大好きな人たちにつぶされて行っているとしたら、それはとてもとても悲しいことだ。アプレッソはもうこの業界でパッケージビジネスを10年以上やってるので十分対応可能だが、会社がかなり軌道に乗ってきた今でも時折そういう人と接することがあって、そういう人を見るたびに、なんだかなぁ、と眉をひそめてしまう。
コメント
コメント一覧 (11)
ただ、周りに萎縮させるやり方の人間がいるという事は事実であり、何かしらの対策をとって対応しなければいけない現実があります。私はそれに対して柔軟に対応出来る能力が欲しいです。
とっても、共感いたしました!!
関係性を考えずに、気軽「○○君」は危険だし、相手が不愉快になる確率が高いと思っています。
よっぽど親しく、相手との同意形成が取れていない限り、軽々しく、○○君、や○○ちゃんは、使わないほうがいいと個人的には感じています。
新人ちゃんと、いう言い方も、聞いたこともありますが、侮蔑表現の一つと思っています。
どんな相手でも、意識できる限り、敬意を払える人間になりたいです。
私自身もできていないことがまだまだ多いので、自戒をこめて。
>怒るのは自分の自信のなさの現れである、と仰っていました。
これはこの意見を述べた医師の語った事を見れば、この医師の自己反省の気持ちから出たものに過ぎません。
「怒(おこ)る」必要がある場合は理想的には、「感情的に怒(いか)る」のではなく、「叱る」(=声を荒立てて欠点をとがめる[広辞苑])の方が良い事は比較的知られています。
基本に立ち返って考えれば、諭すにしても、注意するにしても、叱るにしても、どれもコミュニケーションの一種なのですよ。しかも、相手に対して改善を要求するという、比較的高度な。
自分の事、相手の事、周囲の様子や影響までもを考慮に入れる、という風に、常に「頭と心を使って」その場、その場で最良の方法を探る様にする。
これができてこそ、本当の意味での人に対して「怒(おこ)る」、という事ができるのです。
これと同様に一律に「君付け」を駄目だと考えるのも軽率のそしりを受けかねません。近藤さんの話にうかつに感銘された御様子ですから、すこし落ち着いて、以上の事に思いを馳せて見られる事をお勧めします。
若くして成金的に成功すると、妙に簡単に悟ろうとする嫌いが見られる人が多いのです。そうならない様に精進なさって下さい。
萎縮させることがいけないと言っているのか?
後者であるなら人を萎縮させるのは暴力的な言動だけではないですよ。
たとえ丁寧な言動であっても脅迫や懲罰によって人を萎縮させることも可能です。
むしろ私は怒られることもなく丁寧に切り捨てられたり
丁寧に批判される方がよっぽど冷酷な印象を受けます。
このように受け取る側も千差万別だということは
一企業を率いるあなたならお分かりでしょう。
自分が外注業者さんを雇ったりした時の話ですけど、そこの会社の先輩なり責任者なりが後輩や部下に当たる人を怒っていたりする時、だいたいその怒っている人は、その案件について何も知らない場合が100%でしたねw
理性で叱る(苦言を呈するなど)と、感情的に怒るは違います。
(でも叱るにしても、第三者が居る場で行うのは、みっともないです)
冷静な言葉を保てない時点で、その人は理性ではなく感情が優先していますよね。
清少納言も小人物ほど目下の物に対して威圧的態度や粗暴な言葉を使うものだと書いてある事から、この問題は1000年以上前からあるんですね・・・
このエントリーで取り上げられている”怒る”に関してですが、怒って物事が解決したら何も苦労はしません。
後輩の教育に関しては子供の教育と一緒で、その子(人)の事を思うがあまり感情的になってしまう場合も理解出来ますが、感情を抑えて家庭でも職場でも理性的で居られる人間になりたいものです。
この問題について改めて考えさせてくれて小野さんには感謝です。
それと偉そうな事書いてしまってすみません。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
無礼ついでに、、、
>よく、取引先に転職、という話があるけれども
借りてきた猫のようになってしまった人間を何人も見て来ましたww
非常に勉強になります。
怒るでなく、叱る。。。
そう思っていてもなかなか、思うとおりにはいかないですけどね。
私はそういう理屈で捉えるスタイルなので、基本的に感情的に怒るような人とは仕事をしないようにしています。
また、私も新卒で入った会社は柄が悪かったのですが、ある中途の方が「客先で部下を呼び捨てにするようなスタイルで怒るのは『その程度のレベルの人間を売っている』という失礼に当たるのですべきではない」と言って皆なるほど!と思ったことがあります。
自分のポジションがどれだけ高くなろうがお互いリスペクトして、「私にさん付けされるにふさわしい人間になってね」というメッセージを伝えるほうがよほど効果的だと思いますね。