旭日旗というキッチュと「私を傷つけたものを思い出させるな」

MoMAニューヨーク近代美術館)で開催中の『TOKYO 1955−1970:新しい前衛』展で、旭日旗のイメージが使われている横尾忠則の作品が展示され、同展の広告としても使用されていることに、在米韓国人団体が抗議している。
MoMAに展示された横尾忠則氏の作品、韓国で物議に|MSNトピックス
在ニューヨーク韓国人団体「横尾忠則作:戦犯旗」を展示したニューヨーク近代美術館に謝罪と賠償を求める:Birth of Blues(ざっと見た中では一番詳しい)
韓国系住民ら旭日旗撤去求め抗議 NY美術館 - MSN産経ニュース


戦時中のニュース映像などでよく目にする旭日旗は、日本帝国海軍の軍艦旗として戦前まで使用されていた。Wikipediaによれば制定は明治22年だが、既に明治3年に帝国陸軍の軍旗として定められていたものを模倣したらしい。戦後は昭和29年に旧帝国海軍と同じ規格のものが、自衛艦旗として制定された(因に旭日旗とそっくりの朝日新聞の社旗が制定されたのは明治12年)。
横尾忠則が60〜70年代のポスターデザインに旭日旗を多用していることは有名で、横尾グラフィックのトレードマークと言ってもいいモチーフである。「横尾忠則、ポスター」で画像検索すればどっさり出てくる。
MoMAの展覧会に出品されている作品の一つ『新宿泥棒日記』(大島渚監督、横尾忠則主演、1969)のポスターが同展覧会の広報イメージとして使用されている関係で、旭日旗の入ったPR用の旗がMoMA周辺の街頭に多数掲げられているという。
抗議した在米韓国人の人々にとっては、「日本人は、かつて朝鮮半島を侵略・統治した日本帝国主義軍国主義の象徴である”戦犯旗”を戦後もまだデザインに使っている。それをアメリカの美術館が展示しているだけでなく、展覧会の広告に使って堂々と晒している。日米揃ってけしからん」ということになるのだろう。


これに対しMoMAは韓国人団体宛に館長名義の書簡を送り、「(作品に)議論を呼ぶようなイメージを使用したのは、日本の近現代史に対する批判的なアプローチのためであり、作者に日本の過去の帝国主義軍国主義を美化しようとする意図はなかった」と説明している(参照:横尾氏作品は日本軍国主義の美化とは無関係=米美術館(聯合ニュース)- Yahoo!ニュース)。
しかしその説明は了解、納得されず、撤去を求める抗議行動がその後の17日に街頭で行われている。たしかに旭日旗ではなくハーケンクロイツがニューヨークの街角に多数「広告」されていたら、それが「批判的アプローチ」でも、反発や抗議の声はもっと広範なところから上がっていたかもしれない。



横尾忠則による旭日旗の扱いは、60年代から70年代初めにかけて流行ったミリタリールック(アーミールック)と似ている。そこにあるのは「意味の脱臼」だと、とりあえずは言えるだろう。
米軍放出の古着を着ていたからと言って、アメリカ軍、まして戦争を賞揚しているのではない。むしろその逆だ。軍服というアイテムを普段着のファッションというコードにずらすとは、元の記号的意味を変化させることであり、米軍のミリタリーコートにピースマークのバッヂをつけたり、ラブリーな柄のシャツと合わせたりして、軍服という記号性の強いベタなアイテムをネタ化し、「戦争」の意味を脱臼させているのだ。
アメリカによるベトナム空爆が激しさを増していったその当時、こうしたファッションは「反戦」というメッセージを持つ「批判的アプローチ」として捉えることができた。
だがもちろん当時も、流行のオシャレとしてだけ着ていた若者も多かっただろう。今では単なるファションの一つでしかないところを見ると、「批判的アプローチ」などその時の”きれいごと”であり建前に過ぎなかったのではなかったかとも思えてくる。*1


横尾忠則が「反戦」や「反日本帝国・軍国主義」という強い意図をもって、旭日旗をポスターデザインに使っていたのかどうか、私は知らない。ただはっきりしているのは、そのモチーフがキッチュなものとして選ばれていたということだ。
キッチュとは陳腐、俗悪、紛い物などと訳される語で、アート文脈ではかつて、アメリカの美術批評家クレメント・グリーンバーグアヴァンギャルド(前衛)に対立するものとして批判的に位置づけた。一方60年代から70年代にかけての日本のサブカルキッチュカルチャー全盛期で、そのもっとも成功した例が横尾忠則のグラフィックだった。キッチュモダニズムの鬼っ子だが、当時はキッチュというよりアングラと言った方が、一般的な通りは良かったかもしれない。いずれにしても旭日旗が、反モダニズム的で古臭くダサくバッドテイストなデザインモチーフとして意識的に選択されていたのは間違いない。
横尾忠則と深い関わりをもった三島由紀夫寺山修司の二人がそれぞれ体現していた「日本」を、横尾は正しくキッチュの文脈で、ネタとベタの境目すれすれで表現し多くの人を惹き付けた。旭日旗の他にもポスターには招き猫、花札、富士山、日章旗春画蒸気機関車、隣寸の箱のラベル(桃や馬)、福ちゃん人形などキッチュな表象が多数登場している。それらをカラフルな配色でコラージュし日本的なポップに昇華した点が、高く評価されてきた。


つまり横尾忠則グラフィックデザインにおける旭日旗は、キッチュを扱う手法と美学を理解した上で初めて、アートやデザインの「批判的なアプローチ」として見ることも可能になる。言い換えればそれは、ネタを解読し表象の裏読みに長けているという一定の文化水準、リテラシーを前提にしているということだ。
キッチュやポップに対するリテラシーは、戦後の欧米を中心とした高度資本主義消費社会で育った文化を環境条件とする。そこではあらゆるコードが組み替えられ、脱臼され、新たな意味を生成するといった運動が絶え間なく起こる。そうした高密度な情報戦の中にいて常に刺激に晒され慣らされていると、その外の世界を想像することが難しくなる。
そして、「抗議」はいつも、外の世界から起こってくるのだ。



MoMAの問題は、少し前にあったPAPSによる森美術館会田誠展への抗議問題を思い起こさせる。
MoMAの展覧会のキュレーターには韓国人も名を連ねているし、会田誠展のチーフキュレーターは女性だから、国籍や性別が必ずしもこの問題に対する態度に関係してくるとは限らない。かと言って、リテラシー問題(ネタを解読できる人とできない人、アートを知っている人と知らない人の対立)のみにも還元できない。それだけなら、「こういう見方があります」「これはいわゆる批判的アプローチです」ということを丁寧に説明し、今後更にアートの啓蒙活動に努めるとともに、「知らない人」のためにもっと親切な展示や広報の仕方を配慮するといった解決策を導けばよい。
どちらの件にも感じられるのは、そういう「知的」な対応をいくらしても、こういう反発や抗議はなくならないだろうということである。そこにあるのが、感情だからだ。


10日の記事にも少し書いたが、第一には、ネタ・ベタという区分け、専門家・素人という階層の曖昧化、無効化がある。
たとえば、それぞれの専門領域とその周辺だけで消費されていた情報が拡散し、いろいろな人の目に触れるようになったことによって、「これはお約束」「ネタにマジレスしない」という、居心地のいい島宇宙内の「知っている人」同士の目配せや了解事項が通用しない場面が多くなった。
「わかってる人はわかってる」空気には風穴が開けられ、”知的ゲーム”として内輪で楽しまれてきたものに、「それのどこが面白いの?」「何の意味があるの?」または「不快だ」という言葉が直裁に投げかけられるようになった。


「知っている人」と「知らない人」を隔てていた壁が崩壊し、それまで前提としてあったさまざまなお約束やルール=「知」がスムーズに機能しなくなってきた時、全面化してくるのは、根強い負の感情だ。それは、既成の「知」が後退した隙間から”こちら側”に漏れ出てくる。
「私は傷つけられた」「私は被害者だ」という思いほど、人の自意識と感情生活を根強く支配するものはない。なぜなら本当はそれを忘れたいにも関わらず、決して忘れられないからだ。そしてやがて、忘れてはいけない、決して忘れまいという思いがアイデンティティに刻み付けられていく。
そうして深く刻み付けられた感情は、ある物事を契機に噴出してくる。噴出のストッパーとなるような「その世界の見方やルールがあるらしいから‥‥」という「知らない人」の門外漢意識は、「私は私を傷つけたものを忘れない。だがおまえは私を傷つけたものを思い出させるな」という捻れた強い感情の前に蒸発している。「例のアレを思い出させた」そのことが悪なのである。対する相手が美術館という権威の象徴、圧倒的な強者であることで、尚更被害者感情は高まる。
そこで「キッチュやポップという手法も知らないのか」と、一つの文化圏で通用してきた価値観を盾に取っても無駄なのだ。キッチュやポップの方法論はかつて現代アートサブカル、ファッションの広い領域で異化の効果を発揮したが、アヴァンギャルド自体が霧散して久しく前衛も後衛も洗練も俗悪も渾沌とした今は、使い古された文化的お遊びの一つでしかない。アートやサブカルチャーに蓄えられてきた(と信じられている)そうした「知」は、そこここで噴出する「私を傷つけたものを思い出させるな」という感情に根本的に対処する術がない。


ネットで散見する限り、PAPSも韓国人団体も「やれやれ」な視線で見られ、クレーマーの厄介者扱いされる傾向にあるようだ。しかし、抗議側にとってある一つの文化の中の手法や価値観(「批判的アプローチ」)が意味をなさないと同じように、意味とイメージの情報戦のただ中にどっぷり浸かっていると、その外の世界に渦巻く感情は見えない。
同時に、今や誰しも、自分の為した表現や発した情報がいつ誰に「抗議」されるのか、また、誰かの表現や情報にいつ自分が「抗議」せざるを得ない立場に立たされるのか、まったくわからない状況にある。「私(たち)はもう十分に傷ついたし、傷つけた。これ以上はいらない」はずなのにも関わらず。
これは、万人の意見を尊重しつつ万人に情報を行き渡らせようとした結果としての、万人が勝手に各々の仕方で情報を受取り、意見という名の感情をぶつけ合うような社会の到来である。その中で、モダニズム以降のアートやサブカルを支える「知」の限界が露呈されてきている。


美術館と抗議側の間のあまりに深い溝に、呆れたり嘆いたりしても仕方がない。「批判的アプローチ」の啓蒙というかたちで既成の「知」を補強するのも、たぶんもう意味がない。
そもそも私たちはこれまで「批判的アプローチ」の力を本当に信じてきたのか、信じるふりをしてきただけではないか?というところから始めるべきだと思う。



●追記


美術館が言うことは、やっぱり”きれいごと”や建前だと。

*1:2年ほど前にユダヤ人の人権擁護団体が、ナチス・ドイツの親衛隊(SS)に酷似した衣装でテレビ番組に登場したとして、 ロックグループ「氣志團」と番組を放映したMTVJなどに抗議した件でも、誰も「氣志團」の衣装を反ユダヤへの「批判的アプローチ」とは思わなかっただろう。