福島県高等学校野球連盟

高野連の正式名称は、高等学校野球連盟。
高野連は高校野球に関する
さまざまなことを管理している。

勝手ながら、高野連というと、
ものすごく厳格なイメージがある。
こう、出場辞退とか、時間厳守とか、
品格とか、服装とか、高校生らしさとか。
とにかくいろんなことに厳しい団体だと
勝手にぼくは思っていた。

だから、最初に電話したときは、かなり緊張した。
背筋もいつもよりしゃんと伸びちゃってたと思う。

福島県の高野連事務局は、福島商業の中にある。
そのことも意外だったけれど、
時間を割いてくださった
福島県高野連理事長の宗像治さんが
穏やかで優しい人だったことが
たいへんいい意味で、予想外だった。

福島の甲子園の予選を取材するにあたって、
いろいろと資料を集めてみたけれど、
やっぱりナマの情報が知りたい。

どこの高校が強いのか? 注目を集めている選手は?

企画の趣旨をメディアの特殊さをお話ししたうえで、
福島県高等学校野球連盟理事長の宗像治さんに
福島大会の基本的なことをうかがった。

宗像
「本来なら、春に開催される
 福島大会と東北大会の結果で
 チームの力を見極めるんですが、
 今年はそれが震災の影響で中止になりました。
 したがって、今回の夏の大会では
 去年の秋の県大会の成績をもとに、
 シード校を4つ決めたんです。
 そのなかでも、軸になるのは、
 やっぱり、聖光学院」

聖光学院。
過去、夏の甲子園に7回出場している強豪校。
最近では、2004年から4年連続で夏の甲子園出場。
去年の夏は優勝校の興南高校(沖縄県代表)に
準々決勝で敗れたもののベスト8進出。
うん、やっぱり強いのは、ここだ。

宗像
「聖光学院の注目選手は、歳内宏明投手です。
 去年の夏は2年生ながらエースとして
 ベスト8進出に貢献しました。
 プロの球団も注目していると聞きます。
 聖光学院は、歳内くんだけなく、
 毎年、ほんとうにいいチームになっています」

宗像さんをはじめとする、
福島の高校野球をよく知る何人かの方に
話をうかがったのだけれど、
やっぱり聖光学院は頭ひとつ抜けている感がある。

宗像
「しかし、まぁ、高校野球の場合、
 やってみないとわからないところはあります。
 シード校の、学法福島、日大東北といったあたりも
 ここ数年、着実に力をつけてきています。
 そして、もう1校のシード校が原町高校。
 投手力のある、まとまったチームです。
 ただ、原町は、福島第一原発の圏内にあって、
 いわゆるサテライト校で練習している状態ですから、
 その影響がどうか、というところでしょうね‥‥」

そう、もう何度もぼくらが目にしている、
福島第一原発を中心に同心円が描かれた福島の地図。
30キロの圏内に福島高野連に加盟する7つの高校がある。

小高工業高校、相馬農業高校、富岡高校、
浪江高校、原町高校、双葉高校、双葉翔陽高校。

去年の秋の大会でベスト4に入った原町高校は、
自分の学校で授業や練習ができず、
サテライト校と呼ばれる、協力校で練習している。
福島第一原発にもっとも近い双葉高校は、
過去に3回甲子園に出場している伝統校だ。

そして、上に挙げた7つの高校のなかでも、
状況が深刻なのが、
相馬農業高校、富岡高校、双葉翔陽高校。
この3校は、原発の事故が起こって以降、
他県へ避難したり転校したりする生徒が多く、
大会への参加が危ぶまれるほど部員が減った。

そこで、3校は「相双連合」という
連合チームをつくって参加することになった。
生徒数の減少による学校の統廃合ではなく、
こういった形での連合チームの結成は
はじめてのケースだという。
たくさんのニュースで報道されているから
知っている人も多いと思う。

宗像
「なにしろ前例のないことですから、
 福島のほうから日本高野連へ
 さまざまなことを申請して
 特例措置として認めてもらいました。
 3つの高校の監督さんも、
 本来ならベンチに指導者は
 ふたりしか入れないところ、
 連合チームの監督、部長、副部長として
 特別に3人ベンチ入りできるようになりました」

連合チームの選手は
それぞれ元の高校のユニフォームを着ている。
つまり、ばらばらだ。
けれども、帽子は真新しい連合チームの帽子。
トップに「相双」の文字が刺繍されている。

宗像
「勝ったときに掲げるチームの旗は
 いちばん部員数の多い双葉翔陽の校旗を
 つかうことになったそうなんですけど、
 連合チームが勝ったときに歌う校歌は
 どうしようかということになりましてね‥‥。
 高野連の規定では、3校のうちの
 いずれかの学校の校歌を歌いなさい、
 ということになっていたんですけど。
 連合チームに決めさせてあげてください、
 ということを高野連にお願いしましてね。
 それで相談してもらった結果、
 3校のどこかの校歌じゃなくて、
 『栄冠は君に輝く』を歌おう、
 ということになったそうです」

高校野球ファンの琴線に触れる話だった。
不意をつかれた。じわっと来た。

ぼくは、福島の高校野球を取材するにあたって、
非常にささやかで個人的な目標をもっている。
それは、じつに情けない目標だけど、
「できるだけ泣くまい」ということだ。

もともとぼくは涙もろく、
とりわけスポーツ関連のさまざまな場面において
あっさりポロポロとやってしまう。
テレビの前でそれをやるのは
まったくもってぼくの自由だが、
取材中にそれはあまりにもみっともないというか、
ちょっと相手や場に対して失礼だと思う。

だから、まぁ、どうしようもないときは
どうしようもないと開き直るけれども、
せめて心構えとして、そういった目標を
こっそりこころに定めていた。
だが、こんなところで涙腺が緩みそうになるなんて、
まったくもって予想してなかった。

頭の中に、あのメロディーが流れた。
条件反射のようにして、
立体的な白い雲が脳裏に浮かんだ。
が、こらえた。
取材を録音したICレコーダーには、
数秒間の不自然な沈黙ができた。

あのぅ、相双連合は、
初戦、どこと当たるんですか、と、
気持ちの揺れをごまかすように質問した。

宗像
「喜多方高校ですね。
 ここも力のあるチームですから、
 いい試合になると思いますよ」

相双連合が勝って、満員の球場に
『栄冠は君に輝く』が流れたら
感動的だろうなあと思った。
そう思いながら、気持ちが反対側に回り込んで、
あっ、と思った。
たぶん、スポーツを取材する身としては
とても甘っちょろい考えだ。
しかも、ぼくはそれをあっさり口に出してしまった。
宗像さんに向かって、ぼくは言った。

「喜多方高校は、やりづらいかもですね」

宗像さんは、軽く苦笑した。
中立の立場にある宗像さんが
そんなことを言われて答えられるはずはない。
そして、ぼくは、口から出てしまったことばに
自分で慌ててしまっていた。

やりづらいって、どういうことだ?
つまり、連合チームが話題になっているから?
要するに、連合チームを応援している人が多いから?
震災と原発事故をそこに重ねて
ドラマとして伝えようとする人が多いから?

それは俺じゃないか、と思った。

3月11日に地震が起こらなければ、
おそらくふつうの1回戦が行われていた。
喜多方高校も双葉翔陽高校も相馬農業高校も富岡高校も、
全国的なニュースになったりせず、
ふつうに、夏をかけた試合をしていただろう。
ほんとうはそれが一番よかったはずだ。
でも、そしたらぼくはここに来なかっただろう。
じゃあ、相双連合と喜多方の試合は
どうなってほしいとぼくは思っているのか?

そういう混乱した考えが、さぁっと頭をよぎった。
その場面を思い返しながら、いま思う。

たぶん、これから先も、取材を続けるなかで、
こういうことがよくあるのだろう。
個々の事実に向き合うことで、
あらためて矛盾したり混乱したりすることが。

ぼくはこの取材を「わからない」ままにはじめた。
たぶん、「わからない」という場面が、
これからどんどん増えていく。
しかも、現実的で、具体的な状況に際し、
その淵のぎりぎりのところで
「わからない」と立ち尽くすようなことが。

しかし、その「わからない」には、
意味があるとぼくは思う。

福島について考えるとき、
もっと大きくいえば原子力とか、
人の進歩について考えるとき、
あっさりとひとつの答えにはたどりつかない。
そこにはきっと辻褄の合わないことがあり、
矛盾やケースバイケースや暫定や保留がある。
なにかひとつのことだけを強く言うとしたら
ほかののことは切り捨てられてしまう。

そして、重要なことは、そういったことが、
「考えるまえにすでに予想できる」ということだ。
つまり、それについて考えるまえに、
「わかりやすいひとつの答えが出ない」
ということが、あらかじめ予感できてしまう。
それは、考えようとする人の出鼻をおおいにくじく。
考えようとする人は、たじろぐ。やっかいに感じる。

それで、ま、難しいねぇ、
というあたりのところから深入りしないようにする。
少なくとも、震災前のぼくはそんな感じだった。

もちろん、もっとしっかり考えて
自分の意見を突き詰めている人もいるのだろうけれど、
これまでの自分はそんな感じだったと思う。
なんというか、まったく無視していたわけじゃないけど、
考えることの優先順位をそれ以上に
上げようとはしていなかったのだ。

正直にいえば、いま、そんな自分の過去を
激しく後悔するまでの気持ちにはなれない気がする。
けれど、これからはそういうわけにはいかないなと思う。

難しいねぇ、と簡単に結論づけるよりは、
しっかりと「わからない」と言いたい。
「ここから先は簡単には選べない」という
ぎりぎりの淵までは進んでみたい。
そこまでは、やろうと思えばできるはずだ。

この夏、福島の高校野球を追いかけるというのは
自分にとってそういう意味があるのだと思う。
でも、それも、実際にこうして動いて、
自分の矛盾や曖昧さに直面したからこそ
わかりはじめたことだ。





さて、最初の取材で、ぼくはさっそく混乱していた。
そして、混乱を引きずりながら、
宗像さんにこんなふうに言った。
「こういった独特のムードのなかで、
 選手たちは野球に集中できてるんでしょうか?」と。
すると、宗像さんはあっさりこう答えた。

宗像
「集中できるできないというより、
 いま、グラウンドに出られることの喜び、
 そっちのほうが強いんじゃないでしょうか」

あーーー、と思わず相づちをうつ。

宗像
「今日、新聞を見たら、ある高校が、
 ようやくグラウンドが使えるようになったと
 書いてありました。
 放射線のことを考えて、学校のほうで
 外で運動させることを見合わせていたようです。
 そういった状況のなかで、
 野球ができるよろこびというのは
 選手ひとりひとりが強く感じてると思いますよ」

そう、なにしろ、
春の大会も東北大会も中止になっている。
最近になって福島を6つの地区に分けた
大会は開催されたけど、去年の秋から公式戦はそれだけ。
おそらく選手は「真剣な野球」に飢えている。

宗像
「練習試合なんかもね、
 ずいぶんキャンセルされたんですよ。
 他県の学校との練習試合というのは
 だいたい1年前くらいから組むんですが、
 震災以降、福島には行けませんとか、
 あるいはまさに風評被害といいますか
 福島のチームは来ないでくれ、
 なんていう断られ方をすることもありましてね。
 そういう面では、生徒はかわいそうです。
 聖光学院なんかも20試合くらい
 練習試合がキャンセルされたと聞きました。
 県外の高校へ転校した子も多いと思います。
 移ったところで野球を続けられていれば
 まだいいと思いますけど、聞いた話では、
 野球をやってるような状況じゃないということで
 あきらめてしまった子もいるようです。
 その、経済的に、困難な状況で」

うーん、と思わず声が出る。
だからこそ、と宗像さんは続ける。

宗像
「だからこそ、選手はいま、非常に元気がいいですよ。
 野球ができる喜びを体現しているというか。
 それは生徒だけでなく、指導者もそうです。
 今年の夏にかける思いは、
 強いものがあるんじゃないかな」

宗像さんのことばをかみしめながら、
特別な夏ですね、とぼくは言った。
ほんと、特別な夏です、と宗像さんは言った。

宗像
「大会の役員の立場としていえば、
 まず、ここまでがたいへんでした。
 やれるかどうか、ほんとうに不安でしたけど、
 やれる見通しも立ってきましたし、
 ほんとうに待ち遠しい。
 子どもたちはたいへんななかで活動してますし、
 なんとか晴れ舞台をいい条件のなかで
 やらせてあげたいなと思います」

思えばいただいた時間をオーバーしていた。
写真を何枚か撮らせていただくことにした。
ちょっと固い表情をゆるめるため、
ぼくはファインダーをのぞきながら話しかける。
そうだ、あの話をしよう。
宗像さんを紹介してくださった
朝日新聞の方に聞いた、あの話を。

宗像さんは、
甲子園準優勝チームの一員なんですよね?

宗像
「はははは、ええ」

1971年、磐城高校。夏の甲子園、準優勝。
この記録が福島県の‥‥。

宗像
「そうです。最高順位。
 まだ、福島県の甲子園優勝はない。
 はやく、私たちの準優勝という記録を
 破ってほしいんですけど」

それが願いです、と、
宗像さんは笑顔でつけ足した。
福島県はもちろん、
東北地方に深紅の大優勝旗がわたったことはない。
いわゆる、「東北の悲願」だ。

そこでは話さなかったけれど、
たまたま読んだ甲子園についての本で、
ぼくは宗像さんのいた磐城高校のことを
もう少し、詳しく知っていた。

1971年の夏、宗像さんは、
磐城高校のセンターを守っていた。打順は2番。
磐城高校快進撃のきっかけとなった初戦の日大一高戦、
両軍を通じて唯一の得点となった3回表の決勝点は、
宗像さんのバットが叩き出している。
そして、逆に、惜しくも桐蔭学園に敗れた決勝戦、
両軍を通じて唯一の得点を導く決勝打は
左中間を破ったという。
おそらく、宗像さんはそれを追っただろう。

やっぱり思い出しますか、と聞くと、
ああ、そりゃもう、やっぱりね、と
宗像さんは照れながら言った。
さっきまでの、高野連の理事長の発言のときとは
あきらかに表情が違っていた。

こうして、高野連での最初の取材が終わった。
東京に帰ってから、
ぼくは3つの高校に取材の依頼をした。