経済古典は役に立つ

経済古典は役に立つ (光文社新書)

経済古典は役に立つ (光文社新書)


2010年4月から7月にかけて慶応義塾大学丸の内キャンパスにおける5回の講義(問題解決のための経済古典)内容をもとにしたという本書。


最期まで読み終わってみると古典サマリーの色合いが強く、それはそれで大変に有意義なんですが、その知見を今日の経済課題へ適用してみようという部分については極めてあっさりとした味付けですかね。「はじめに」を読んで過度な期待をした自分が悪いんでしょうけどね。それにしても生講義きいてみたかった。


解説されているのは、スミス/マルサス/リカード/マルクスケインズシュンペーター/フリードマンハイエク/ブキャナン、とその周辺人物といったあたり。どれも学生の頃に一度は興味を持った人物達ですが、今よみかえしたら、また何か感じるものがあるのだろうか。まぁ、なかなか骨の折れる作業ですね。


いちばん響いたのは「P.7 経済思想が先にあり、それを使って問題を解決しようとしたのではなく、彼らが提示した問題解決のスキルが蓄積されて、結果として思想になった」のところ。


いまは偉人と言われる人たちも、理論が先にあった訳ではなくて、強固な信念に基づいて幾度となく失敗を積み重ね罵倒されながら生涯が終わるという現実があり、運が良ければ随分先にもてはやされる可能性もある程度の話であるということ。(もちろん生前から評価される方もいますが。)


人の評価ばかり気にしている自分の存在のつまらなさを強く認識した次第でございます。もっと大きく考えないとね。


メモ:

  • P.5 「そんな質問はアメリカでは受けたことがない、ただあえて言えばモデレート・ケインジアンだ。今の経済学者は、みんなモデレート・ケインジアンだと思う」○○派というラベルで判断したがるのは、どうやら日本の特徴のようだ。


  • P.7 重要なことは、偉大な先達が、それぞれ目の前にある問題を解決しようとしたことである。経済思想が先にあり、それを使って問題を解決しようとしたのではなく、彼らが提示した問題解決のスキルが蓄積されて、結果として思想になった


  • P.30 利得の概念がはじめて生まれ、それが当時は拒絶され批判されたということである。つまり、変化や革新に対する社会の恐怖がいかに強いものであるか、ということだ。このような悲劇を350年も昔の話だと考えてはいけない。今の日本でも同じようなことが起きているかもしれない。市場システムが定着するのに13世紀から19世紀の中頃までかかったが、ひょっとしたら日本社会はまだその途上にあるのかもしれない。


  • P.43 論文を書きあげるのに12年の歳月を費やし、1776年に「国富論」が誕生する。


  • P.54 利己心と道徳心の両立ということが「国富論」での、利己心と経済的な秩序の両立という形につながっていることになる。これが「道徳感情論」と「国富論」をつなぐ重要なポイントである。


  • P.56 ちなみに、有名な「神の見えざる手」という表現は、「国富論」には一切登場しない。ただ「見えざる手」という表現が、この一カ所に登場するのみである。


  • P.58 人々は生産者の利益ではなく、消費者の利益のために労働している。「消費こそがすべての生産の唯一の目的である、生産者の利益は消費者の利益をはかるために必要な範囲内でのみ配慮されるべきである(下巻:250頁)」


  • P.96 問題は、失業率が25%に達するような状況が起きた時に、従来の経済学ではこうした不況と失業を説明することができなかったということ。従来の説明によれば、失業が増加すると賃金が下がり、その結果労働に対する需要が増加して失業が減少するはずだった。


  • P.118 ケインズが見落としたもの。「1.市場の失敗と同様に政府の失敗も起きる。」「2.非対称のリスク、良くなったときに総需要管理政策を引き締めることの難しさ」「3.クラウディングアウト」



  • P.147 馬車を何台繋いでも鉄道にはならないし、自動車はどんなに早く走っても空は飛べない。つまり、馬車から鉄道への変化、自動車から飛行機への変化のように、発展とは非連続なものであって、枠組みや慣行、機能そのものを変更することこそが経済発展の本質である。
    • 非連続な提案をしたいときに仕えそうな表現。


  • P.152 経済における革新は、中略、新しい欲望が生産の側から消費者に教え込まれ、したがってイニシアティヴは生産の側にあるというふうに行われるのがつねである。「経済発展の理論、P.181」
    • このあたりが、パーソナルファブリケーションの流れでどう替わっていくか楽しみだ。


  • P.160 東条英機池田成彬に、自らの軍門に下ることを条件に長男の兵役免除を提案する。池田は「ノー」と突き放し、兵役に就いた長男は戦死する。池田はまさに日本にとって何が必要かを考え実行した、最高の戦略家だった。江上剛「我、弁明せず」に詳しい。


  • P.164 シュンペーターが「資本主義は、その成功故に失敗する」と考えた三つの理由。1.トラスト化資本主義。2.知識人による資本主義への敵対化。3.別種の経済人の登場。


  • P.222 経済運営の基本は、スミスの指摘のように、やはり市場の「見えざる手」を活用することである。これなくして、経済運営はありえない。同時に、ときにケインズの言うような大胆な政府介入が必要な場合がある。これをためらってはいけない。そしてその背後で、つねにイノベーションが必要であり、企業も一国経済も「成功の故に失敗する」という教訓を忘れてはならない。まさにシュムペーターの私的である。また、あくまで自由を基本に、政府が肥大化するリスクを避けるための絶えざる工夫がひつ王だ。ハイエクフリードマン、ブキャナンの警告である。
    • この本、ここ読むだけでもいいのかもw



todo:経済古典は役に立つ (光文社新書)

  • 江上剛「我、弁明せず」を読む。
  • ロバート・ハイルブローナー「入門経済思想史」を読む。
  • 経済学および経済思想史がらみの本を月に1冊は織り込んでいく。

2011年02月12日のできごと