民進党の蓮舫代表が、近々「戸籍(謄本)」を公開してご自身のいわゆる「二重国籍」問題を説明する意向だ、と報じられた(こちら)。

 まったく予想していなかったニュースで、正直なところ、びっくりした。
 というのも、この問題は、すでに終わった話だと思っていたからだ。

 「終わった話」というのは、「きれいにカタがついた話」という意味ではない。「世間はもう忘れている」という意味に近い。いずれにせよ、私は、いまさらこんな話を蒸し返すのは、不自然な態度だと思っている。

 単に不自然なだけではない。
 不適切で不道徳で不気味で、そして、少々不憫でさえある。

 もう一度言うが、世間は忘れている。
 それ以前に、そもそも、はじめからたいした問題だと思っていない。

 仮に、蓮舫氏が二重国籍だったのだとして、
 「それがどうしたの? 二重国籍で何か問題があるわけ?」
 といったあたりが、現代に生きている多数派の日本人の平均的な認識なのであって、だからこそ、彼女の二重国籍問題のニュースは、去年の9月に一時的にメディアを賑わせたものの、ほんの半月ほどで忘れ去られた、と、少なくとも私はそう考えている。

 ちなみに、日本テレビが昨年の9月に実施した世論調査(こちら)では

《民進党の新しい代表に選ばれた蓮舫議員は、日本国籍以外に、台湾籍を持っていたことがわかりました。あなたは、このことについて、どのようにお考えですか?》

 という設問に、以下のような回答が寄せられている。

 (1) 国会議員がいわゆる二重国籍であることは問題だ 14.6 %
 (2) 当初の発言と食い違っていたことが問題だ 15.5 %
 (3) 日本国籍を持っており問題ない 30.4 %
 (4) そもそもいわゆる二重国籍自体を問題にすることはない 31.7 %
 (5) その他 1.1 %
 (6) わからない、答えない 6.7 %

 その、時間の砂の下に埋もれたはずのゾンビネタを、またぞろ掘り返して白日の元に晒すことに、いったい何の意味があるのだろうか。
 また、掘り返そうとしている人々は、いったいどのような狙いを持って、それをしているのだろう。

 もしかして、蓮舫氏は、この約1年ほどの間、戸籍の開示を迫る周囲の圧力をずっと感じていて、ついに耐えられなくなって、戸籍の開示を決意した、と、これは、そういうスジのお話なのだろうか。

 それとも、彼女は、都議選の惨敗に伴う内外からの批判を、戸籍開示という自爆ネタをカマすことで有耶無耶にしようと画策しているのであろうか。あるいは、あえて万人の前に戸籍を晒される「被害者」のポジションをとることで、苦境を打開するつもりでいるのだろうか。

 …と案じていたら、13日に本人が記者会見で「戸籍謄本そのもの(を公開する)という風には言っていない」と発言した(こちら)。やれやれ。だが、ともあれ、公開する内容をどうこう言う前に、私は、もっぱら、「公人が(一部であれ)戸籍謄本を開示することの副作用」を心配している。

 こういうことが当たり前になれば、開示しないところについてさらに公開圧力が増すのは目に見えている。悪い前例ができれば、日本中にあまた散らばっているはずの帰化者や混血の子どもたちが影響を受ける。彼らだけではない。帰国子女や、外国生まれで出生地の国籍をあらかじめ併せ持って生まれてきた日本人や、ほかの民族の血筋に連なる日本人や、あるいはたまたま異国的な風貌を持って生まれてきた子供のような、「誰の目にも一目瞭然で日本人とわかる典型的な多数派の日本人」とは別の、「マイノリティーの日本人」が、様々な場面で、戸籍の全面開示を求める圧力にさらされることになるはずだ。こういうバカな近未来を招来してはならない。

 今回述べたいことの本筋ではないし、ここが論点で荒れるのは面倒だが、改めて述べれば、私自身の「二重国籍」の件自体についての認識は、昨年の9月に当欄で書いた内容から基本的には変化していない。

 ひとことで言えば、蓮舫氏が、日本国籍を有している以上、国会議員として、また、公党の代表として執務するにあたって、法律的な問題はないということだ。

 彼女のもともとの国籍(台湾籍)が、どの時期にどういう経緯で処理され、現在どういうことになっているのであれ、また、その自分の過去の国籍についての彼女自身の認識が事実に即した正確なものであったのであれそうでなかったのであれ、すくなくとも、蓮舫氏が、現に日本国籍を有している限りにおいて、その余のことは言ってみれば瑣末事で、大筋としてはたいした問題ではないのだと考えている。

 つまり、二重国籍であるのだとしてもそれがただちに法律違反にはならないということだ。

 相手が政治家であれ公務員であれ、二重国籍を「疑惑」と呼び、それを問題視し、戸籍の開示を迫ることは、外国籍を持っている(あるいは持っていた)日本人に対する差別と言っても過言ではない。

 何人かの人が既に指摘していることだが、わが国では、2007年に、ペルーの元大統領であり、日本とペルーの二つの国籍を有する明らかな二重国籍者でもあるアルベルト・フジモリ氏が、国民新党(当時)から参院選に立候補した事例がある。この時、フジモリ氏の立候補は当局によって何の問題もなく受理された。二重国籍であることを理由に彼の立候補に異を唱える声も特に出なかった。本国のペルーで、大統領が二重国籍であることを隠していたことが批判されていたにもかかわらず、だ。とすれば、今回、蓮舫氏の二重国籍だけが問題化されているのは、話のスジとしておかしい。

 蓮舫議員に関して
 「中国のスパイだ」
 といった種類の中傷が、いまだにネット上にあふれていることからしても、彼女の国籍に執着する人たちの質問は、あまり真に受けるべきものではない。

 蓮舫氏が二重国籍問題を問いただす質問に対して、きちんと筋道の通った説明ができていないことがその通りだとしても、そもそも、質問自体が不当であったことを思えば、結局のところ、たいした問題ではない。

 ついでに言えば、帰化した日本人の元の国籍は、当然のことながら、相手国の処理に依存している部分のある話で、それゆえ、単純に一本化できるとは限らない。そう思えば、純粋にひとつだけの国籍にこだわるものの考え方は、時代遅れであるのみならず、非現実的でもあると言わなければならない。

 比較的簡単に国籍を取得できる国もあるし、そうでない国もある。発行の基準も国ごとにまちまちで、なおかつ、国籍抹消の事務手続きについては、基本的に他国は関与できる話ではない。それゆえ、法務省も、「国籍唯一の原則」を立てた上で、帰化日本人の元の国籍の離脱については「努力義務」にとどめている。なぜなら、外国の国籍を、日本にいる日本人が意図どおりにコントロールできるとは限らないからだ。

 蓮舫氏の場合、台湾の「国籍」をどう扱うのかについて、微妙な外交問題が生じる可能性がある。台湾を「国」として認めるのか、あるいは、国籍の発行国はあくまでも中華人民共和国であるとするのかによってこちらの扱いが違ってくるわけで、ここのところを一刀両断にはっきりさせることは、必ずしも簡単ではない。おそらく法務省としても、彼女の国籍問題は、あまり表立って問題化したくないのではなかろうか。

 このような事情があったとしても、国籍を「忠誠の対象」と考えるタイプの思考の持ち主からすると、二重国籍が「二君に仕える」的な不忠の証のように見えるのかもしれない。
 が、そういう世界は、もう100年以上前に滅び去っている。

 話を戻す。

 彼女の「国籍」に関して証言の内容が、説明の機会ごとに、二転三転していたことは事実で、責められても仕方がない。私は、その彼女の説明のでたらめさ加減を見て、彼女の政治家としての資質を疑う人が出て来るのは、仕方のないことだと思っている。

 ただし、蓮舫氏の説明が不十分だったことと、戸籍謄本を公開することは、話がまるで別だ。彼女の説明が不明瞭だったのだとして、だからといって、戸籍を公開して説明すべきだという話にはならない。

 そんな展開になってはいけないのだ。
 なぜなら、「疑われたら戸籍の公開が当然」のような社会になってしまえば、それは、説明の出来不出来みたいな話とは別次元の、極めて重大な影響をもたらす個人情報の危機だからだ。

 蓮舫氏が「戸籍謄本を開示する」旨を表明したとするニュースが流れた11日から翌日にかけて、私は

つまり、混血だったり外国生まれだったり顔つきがエキゾチックだったり帰国子女だったり両親のうちのいずれかが外国籍だったりする日本人に対して、公然と戸籍謄本の開示を要求できる時代がやってきたのだな。で、その開示要求を拒絶した場合は、愛国心を疑われても仕方がないわけだ。

自分以外の誰かに対して、戸籍謄本の開示を要求している人間は、結果として、自分が出自によって他人を差別する人間であることを告白しているのではなかろうか。
たとえば私が誰かに「オダジマには強烈な田舎者のにおいがする。こいつが東京生まれだというのはウソに違いない。戸籍謄本を公開してみろ」と言われて、言われた通りに戸籍謄本を開示したら、結果として、私は、「東京出身者以外は田舎者だ」という先方の見解を認めたことになってしまうと思うのだが

 という一連のツイートを投稿したのだが、これらの書き込みに対しては、合計で100件以上の反論(2割ほど賛同の意見もあったが)が寄せられた。

 反論の主なものは、

 「手当たり次第に戸籍の開示を求めているのではない。蓮舫氏が国会議員であり、総理になる可能性を持つ野党の党首だから国籍をはっきりしろと言っているだけだ。論点をズラすな」

 という感じのお話だった。そのうちには
 「二重国籍という明らかな法律違反」
 という書き方で当件に言及している人たちが、相当数含まれている。

 なるほど。いまだに国会議員が二重国籍であることを、法律違反だと思っている人が少なからず生き残っていて、そう思っていない人たちの中にも「現行法に触れてはいなくても、常識としてあってはならないことだ」と考えている人たちがそれ以上たくさんいるということのようだ。

 この点については、もうすでに昨年の9月の段階で、すっかり議論が尽くされていると思っていたのだが、一部の人々の民意は、いまだに同じところを行ったり来たりしているわけだ。

 結局、不信感を持っている人たちには、「議員になっている時点で、国籍の問題はクリアされているはずじゃないか」という話が、まるで通じていなかったということだ。

 が、多数派の日本人は、冒頭で示したとおり、この問題をほとんど忘れている。

 にもかかわらず、どうしてまた蓮舫氏は、日本中の在日外国人や、帰化日本人や、外国生まれの日本人や、二重国籍者や、婚外子や、養子や、離婚者や、その他、心無い人たちに偏見を持たれるかもしれない戸籍をかかえてやっかいな思いをしているたくさんの日本人に要らぬ心理的プレッシャーをもたらし、一部の日本人が牢固として捨てようとしてない純血主義や国籍至上主義や神話的家族主義に勢いを与えるような挙に出たのだろうか。

 ご本人の心境は、おそらく、私のような人間の理解を絶したところにあるものなのだろう。心労の深さも、私には想像がつかない。
 であるから、一人の人間としての蓮舫代表のこの度の決断に対して、外野からどうこう注文をつけようとは思っていない。

 ただ、この状況のこのタイミングで、あえて自らの戸籍に注意を集める挙に出た蓮舫代表の政治的直感の鈍さには失望した、ということだけは申し上げておきたい。

 中世末期に横行したと言われる異端審問では、魔女と見なされた容疑者に、重たい石をくくりつけて水に沈めることで罪の有無を判断したのだそうだが、どんなふうに判断したのかというと、そのまま沈んだら無罪で、浮かび上がってきたら魔女として有罪認定されたということらしい。

 おそらく、戸籍の開示を求めていた人々は、会見や一部の公開をもって満足することはないだろう。彼らは、魔女が沈むまで次のツッコミどころを探すはずだ。

魔女狩りって、教会や王様がやらせたわけではなく
民衆主導だったんだそうですね…

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。相も変わらず日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。

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