ジャパンタイムズ「絶望に包囲されたパキスタン難民−−難民家族が日本の政治的な入管政策の犠牲に?」(デイヴィッド・マクニール)


Despair engulfs Pakistani asylum seekers
Refugee family victim of Japan's politicized immigration policies?

By DAVID McNEILL
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20110325f6.html

絶望に包囲されたパキスタン難民−−難民家族が日本の政治的な入管政策の犠牲に?

デイヴィッド・マクニール
ジャパンタイムズ(2011年3月15日)


(【】内は、私たちが現時点で把握していることに基づく補足です。)


 湿気とカビた木の臭いがたちこめたX市の粗末な家で、Aと家族は運命の結果を待っている。
 パキスタン国籍の彼と妻のB、さらに5人の子どもたちは難民保護希望者として2009年8月25日に日本にやってきた。だが、3月11日の地震からは無事で、耐久生活を長期にわたってしのいできたものの、一家は絶望状態にあり、自殺をほのめかしている。
 この国での滞在期間のほとんどのあいだ、一家は政府系団体である難民事業本部(RHQ)からの緊急支援によって生計をたててきた。しかし、今月になって、支援金は出しぬけに停止され、一家は事実上の極貧状態に陥った。
 3月4日、Aは難民事業本部本部から要求書を受けとった。2009年10月から支払われていた570万円の支援金を返却せよというものだ。【さらに、今後いっさいの経済的支援を打ち切るとのことです。】
 「お金がまったくないのに、どうやって返せばいいのでしょう」と彼は言う。「私たちは難民です」。
 一家は耐久生活をしていて、働くことも自力で生計をたてることもできない。電気やガスは打ち切られようとしている。冷蔵庫には、ほとんど食料がない。子どもたちは、学校に通っていない。B【Aさんの妻・一家の母】は病気で、妊娠している。15才になる娘のCの足には肥大した膿瘍があるが、これまでに複数の医師の診療を受けても、治療に結びついていない。【現在では、Cちゃんも、他の家族も、医療を受けていません。また、病状が悪化しており、さらに栄養失調の中で他の幼児もさらに病気になっています。】
 Aは3月14日に東京品川入管に呼び出された。彼は、収容されて妻と子どもたちが置き去りにされるのではないかという恐怖にかられた。Aは、もう捕まってなるものかと決意している。
 彼は言う。「私たちは死んでしまいます。それでけっこうです。でも、捕まるのはごめんです」と彼は言う。
 一家は1月7日、難民申請について話し合うことを望んで品川入管を訪れた。その際、彼らは十数名を超える入管職員に取り囲まれ、立ち去ることを妨げられた。厳格なイスラム教徒であるAによると、混乱のなかで彼のターバンはひったくられ、妻のブルカが引きはがされた。結果として、彼女の顔がさらされることになった。
 YouTubeのビデオには、憤慨したAが入管職員に妻に手を出すなと要求する姿がうつっている。【削除済み。】
 小規模な支援者グループに属する常野雄次郎(つねの・ゆうじろう)は、次のように証言する。「Aさんは、暴力にうったえませんでした。手を出したのは、入管職員の方です。彼が入管職員をたたいたと入管側が主張して、彼は逮捕されました。でも、証拠がないために、検事は不起訴処分をくだしたのです」。
 Aは警察に捕まり、19日間拘留された。また、日本で生まれた1才の娘であるDは、親と引き離されてしまった。親が娘を取り戻そうとすると、警察は娘の出生証明書を要求したとのことだ。数日後に娘が家に戻ってきたときには痩せていて、高熱をだしており、泣き続けていたという。父親は、娘への扱いを「児童虐待」であるという。
 難民事業本部は、こういったことについてコメントしようとしない。管轄機関である外務省による個人情報配慮が理由とのことだ。だが、同本部は難民申請希望者は平均して4ヶ月のみの経済支援を受けるのであって、延長されるのは緊急のケースだと主張する。
 難民事業本部のオオハラ・シンは、「納税者からの資金を使っているのだから、誰に援助するかということについて慎重であるのは当然です」と述べる。彼は逮捕についても、なぜ一家への支援が打ち切られたのかということについても語ろうとしない。だが、この件について関わっている者たちは、Aが妻の妊娠検診について援助を申請しようとしたために難民事業本部職員を激怒させたのだと言っている。
 Aは、そうしてはならないというルールについて知らなかったのだと主張する。この件について、鈴木雅子弁護士に対して難民事業本部が行った説明によれば、同本部は彼の医療費についての申し立てが「虚偽」であったと結論づけ、支払いを停止して払い戻しを要求することにしたとのことである。
 払い戻し要求は報復的なもので不条理だと支援者たちは批判する。しかし今となっては、一家が支援を受けることができるあてを見つけることが優先事項となっている。
 多くの難民は、小規模な非営利団体である難民支援協会(JAR)に助けを求める。この団体は、【記事掲載の】2週間前に緊急支援として10万円を一家に支給した。
 しかし、同協会のカシマ・ミホコは、能力は限られており、最悪の場合ホームレス状態となる人々への支援の空白を埋めようとすることしかしないと述べている。
 彼女は、「援助を必要とするすべての難民申請希望者はは日本政府が支援すべきだということを私たちは訴えています」と言う。
 オオハラは、一家はセカンドハーベストのようなNGOにあたってみてはどうかと言う。
 創設者のチャールズ・E・マクジルトンによれば、セカンドハーベストは最長3ヶ月にわたって月当たり2回の15-20キロの食料を提供するとのことだ。そのあとは、自分たちでなんとかしなければならない。それでも、彼は難民事業本部を批判せず、同本部は最善を尽くしているのだという。彼によれば、「問題なのは、難民認定を得られる人があまりにも少ないということだ」。
 どのくらい少ないのだろうか。これまでの30年近くあいだに、日本で難民申請をした約5,000名のうち、たったの410名が認定を受けている。批判的な者たちは、認定過程はとても政治的で、ミャンマーに偏っていると指摘する。認定を得た申請者の半数近くは、同国出身者である。
 難民高等弁務官によると、昨年の9月、日本はアジア初の再定住政策の一環として、第一団となる90人のミャンマー難民受け入れを開始した。「認定対象はビルマ出身者に限られているようだ」とミャンマーの旧名を使用しつつマクジルトンは指摘する。
 1951年の国連難民の地位に関する条約や1967年の難民の地位に関する議定書の加盟国として、日本は難民の基本的人権を保護する義務を負っている。だが、申請が審査されるのを待つあいだ、多くの難民は困窮にさらされている。そして却下されると、母国への送還の可能性に直面することになる。
 ジャパンタイムズは確認できていないが、Aは、政府やアルカイダを批判する本を書いてパキスタンで命の危険にさらされたと述べている。
 彼は、2009年9月15日に日本で難民申請を行った。申請は1月21日に却下された。彼はもう日本で生きていく希望を失い、出国するための一時的なビザを求めている。彼は言う。「ここにはいたくない」。
 日本の入管政策は、A一家のような難民申請者を実質的に第三国へと追いやるものだ。しかしその上で、移動を容易にする書類発行を拒むことで法的な辺獄に捕らえてしまう。
 「退去を迫られていますが、そんな状態でどの国が私たちを受け入れるのでしょうか」とAは言う。「移動するためには、適切な出国ビザが必要です。オーストラリアは私たちに緊急の医療ビザを出すと言っていますが、まず適切な書類が必要です」。
 1ヶ月前の病院検査により、妊娠しているBが、背骨や腎臓の問題、インフルエンザといったさまざまな病気にかかっていることが明らかになった。
 彼女は痛み止めを飲んできたが、もう家族には購入する余裕がない。
 「今の状態では、人道はありません」と彼女は言う。「私たちはたたかっています。ずっとたたかっています。入管も、難民事業本部も、警察も、みんな示し合わせたように私たちを欺いています」。
 ことによると当然とも言えるが、彼女の夫の語り方はますます絶望的なものとなってきた。「入管は私と私の家族を殺したいと思っています」と彼は言う。「その前に自分で死にます」。
 常野は、次のように指摘する。「私は、彼が自殺的というに近い状態にあるのではないかと恐れています。一家に残された希望を保って、人権団体や国際社会・日本社会のさまざまなコミュニティに一家を支援しようという気持ちになってもらうことが課題です」。

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