総合研究大学院大学と東京大学は11月1日、日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)のゲノム解析により、現代日本列島人は、縄文人の系統と、弥生系渡来人の系統の混血であることを支持する結果を得たとし、アイヌ人から見ると琉球人が遺伝的に最も近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示されたと発表した。

成果は、総合研究大 生命科学研究科 遺伝学専攻教授を兼任する国立遺伝学研究所 集団遺伝研究部門の斎藤成也教授、東大大学院 医学系研究科 人類遺伝学専攻分野の徳永勝士教授、東大大学院 理学系研究科・理学部の尾本惠市名誉教授らの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、11月1日付けで英国学術誌「Journal of Human Genetics」オンライン版に掲載された。

日本列島は南北4000km以上にわたっており、3万年以上前から人間が居住してきた考古学的・人類学的証拠がある。現在は北から順にアイヌ人、本土人、琉球人という3人類集団が分布している状況だ。

これらの人々の起源と成立については、以前からさまざまな説があったが、東京帝国大学医学部の教官などを務めたドイツ人Erwin von Baelz氏(1849-1913)のアイヌ・沖縄同系説(1911年にドイツの雑誌に発表)に端を発し、鳥居龍蔵氏(1870-1953)や金関丈夫氏(1897-1983)らが提唱した混血説の流れをくむ「二重構造モデル」が現在の定説となっている。

これによれば、日本列島に最初に移住し縄文人を形成したのは、東南アジアに住んでいた古いタイプのアジア人集団の子孫だという。その後、縄文時代から弥生時代に変遷するころに、北東アジアに居住していた人々の一派が日本列島に渡来してきた。

彼らは極端な寒冷地に住んでいたために、寒冷適応を経て、顔などの形態が縄文人とは異なっている。この新しいタイプの人々(弥生時代以降の渡来人)は、北部九州に始まって、本州の日本海沿岸、近畿地方に移住を重ね、先住民である縄文人の子孫と混血を繰り返した。

ところが、北海道にいた縄文人の子孫集団は、この渡来人との混血をほとんど経ず、やがてアイヌ人集団につながっていったのである。沖縄を中心とする南西諸島の集団も、本土から多くの移住があったために、北海道ほど明瞭ではないが、それでも日本列島本土に比べると縄文人の特徴をより強く残した。

これまでの遺伝学的研究では、アイヌ人と沖縄人の近縁性を支持する結果はいくつか得られており、そうした話をご存じの方も多いことだろう。しかし、決定的なものではなかったのである。

そこで今回、徳永教授の研究室で使用している、ヒトゲノム中のSNPを示す100万塩基サイトを一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人と琉球人のDNAを新たに調べることにしたというわけだ。

北海道日高地方の平取町に居住していたアイヌ系の人々から尾本名誉教授らが1980年代に提供を受けた血液から抽出したDNAサンプルについて、これまでミトコンドリアDNA、Y染色体、HLAの研究が行われてきたが、それらの内、36個体分が用いられた。

サンプル収集時期が30年近く前なので、2012年に入って平取町を3回訪問し、町役場のアイヌ施策推進課の協力を得てアイヌ協会平取支部の方々に面会し、これまでの研究成果と今回の成果についての説明も実施。琉球人のDNAについては、琉球大学医学部の要匡 准教授らが数年前に提供を受けた35個体分が用いられた(画像1)。

画像1は、今回の研究で用いた日本列島の3人類集団とHapMap計画で検査された4人類集団の基礎的な情報。Ref.35は徳永教授らの研究成果である。Average heterozygosityは「平均ヘテロ接合度」と訳し、個体の遺伝的多様性を示す指標の1つ。アイヌ人が最も低い値を示し、アフリカのヨルバ人が最も高い値を示している。

画像1。今回の研究で用いた日本列島の3人類集団とHapMap計画で検査された4人類集団の基礎的な情報

今回の研究では、個人を単位にした解析と集団を単位にした解析を実施。前者については、多変量解析の標準的な手法である主成分分析(画像2)、祖先集団を仮定してそれらの遺伝子交流を個人ごとに推定する方法(画像3)の2つを用いて解析が行われた結果、アイヌ人から見ると、彼らから地理的に大きく離れている琉球人が遺伝的に最も近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された(画像4・5)。

画像2は、主成分分析の結果。PC1(横軸)は全体の分散を1つの軸に沿って表現した時に分散の度合いが最大になるように、線形代数を用いて計算された結果だ。PC2(縦軸)は横軸で説明された分散以外の中で、分散の度合いが最大になるように計算した結果である。

カッコの中の数字は、全分散の中でそれぞれの軸に沿った分散が占める割合を示す。小さい値ではあるが、これらが全体の分散の中で最大の要素なので、全SNPが同じ影響を受ける集団の遺伝的分化あるいは混血の影響を示すものだと解釈できる。

その結果として、横軸は左にゆくほどより縄文的要素を、右にゆくほどより弥生的要素を示していると解釈できるというわけだ。縦軸は、アイヌ人以外の集団を見ると、北京の中国人、本土日本人、琉球人の順に上から下に並んでいるので、縄文と弥生の差以外の要因によるものだと考えられ、東アジアにおける南北の地理的勾配を表している可能性がある。

アイヌ人は、本土日本人よりも琉球人に近いが、大きな多様性を示しているのが特徴だ。これは、本土日本人の変異の中に3個体がある一方で、上の方に位置する赤の破線で囲った5個体は、本土日本人とは別の、おそらく北海道以北に居住する集団との混血集団であろうと推測される。

画像3は、祖先集団の数(k)を指定して各個人の混血パターンを推定したもの。細い縦軸1本1本が1個体に対応する。k=2の場合は、青色部分が縄文的要素、オレンジ色部分が弥生的要素といえる。k=3の場合は、青色部分は縄文的要素だが、k=2の時のオレンジ色部分がオレンジ色と赤色に分かれている。

この場合、解釈が難しくなるが、赤色部分を弥生的要素と考えると、オレンジ色部分は縄文系と弥生系の長年の混血によって形成されたものと考えることが可能だ。ただし、この解析手法はさまざまな仮定を必要とするので、以下の結果をそのまま鵜呑みにすることはできないという。

そして画像4は、Human Genome Diversity Project(ヒトゲノム多様性研究計画)によって収集され、SNPタイピングされた人類集団のデータと、画像1で示した集団のデータを合わせて、主成分分析を行った結果。

画像5は、画像4で用いた集団に、さらにPanAsian SNP Consortium(汎アジアSNPコンソーシアム)が収集しSNPタイピングした人類集団のデータを合わせて、主成分分析を行った結果だ。

どちらの場合も、横軸の右端にアイヌ人が、その隣に琉球人、本土日本人がこの順に並んでおり、日本列島の人類集団の特異性を示している。画像5では、画像4には含まれていなかった韓国人が、日本列島人とほかの東アジア集団との中間に位置している

画像2。多変量解析の標準的な手法である主成分分析の結果

画像3。祖先集団の数(k)を指定して各個人の混血パターンを推定したもの

画像4(左)は、Human Genome Diversity Project(ヒトゲノム多様性研究計画)によって収集され、SNPタイピングされた人類集団のデータと、画像1で示した集団のデータを合わせて、主成分分析を行った結果。画像5は、画像4で用いた集団に、さらにPanAsian SNP Consortium(汎アジアSNPコンソーシアム)が収集しSNPタイピングした人類集団のデータを合わせて、主成分分析を行った結果

また、アイヌ集団が本土人およびおそらく北海道よりももっと北方の人類集団と遺伝子交流をしてきたことにより、個体間の多様性が極めて大きいことも判明。ほかの30人類集団のデータとあわせて比較しても、日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)の特異性が示された形だ。

これは、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成、おそらく縄文人の系統を日本列島人が濃淡はあるものの受け継いできたことを示している。

集団を単位とした解析では、アイヌ人と琉球人が統計的に極めて高い精度で枝(クラスター)を形成し、それと本土人、韓国人がそれぞれつながってゆくパターンが同様の高い精度で支持された(画像6・7)。

画像6(左)と7は、これまでの個人を単位とした解析と異なり、集団を単位とした系統解析の結果である。画像6は、根井の標準遺伝距離を東アジアの29人類集団間で計算し、それらに対して近隣結合法により系統樹を作成した結果。アイヌ人、琉球人、本土日本人が1つのクラスターをなしている。

画像7は、対立遺伝子頻度データから最尤法を用いて系統樹を作成し、枝の信頼性を測るためにブーツストラップ確率も計算した結果。アイヌ人と琉球人が100%の確率でクラスターを形成し、このクラスターと本土日本人がやはり100%の確率でクラスターとなり、この日本列島人クラスターにさらに韓国人が加わって、ほかの東アジア集団につながっている。

画像6(左)は、根井の標準遺伝距離を東アジアの29人類集団間で計算し、それらに対して近隣結合法により系統樹を作成した結果。画像7は、対立遺伝子頻度データから最尤法を用いて系統樹を作成し、枝の信頼性を測るためにブーツストラップ確率も計算した結果だ

以上から、現代日本列島人は、旧石器時代から縄文時代を通じて居住してきた縄文人の系統と、弥生時代以降を中心に日本列島に渡来してきた弥生系渡来人の系統の混血であることがはっきりしたというわけだ。また、アイヌ人はこれらとはさらに別の第3の系統(ニブヒなどのオホーツク沿岸居住民)との遺伝子交流があったことがわかった(画像8)。

画像8は、今回の結果および考古学的知見をもとにして、日本列島人の遺伝的な変遷を予想したもの。1万年以上前から、日本列島には縄文人が広く薄く居住してきたが、3000年ほど前に大陸からの渡来人(Yayoi ancestors)が稲作農耕をもたらして、弥生時代が始まった。

その後、九州、四国、本州の本土日本人は旧石器時代、縄文時代以来の先住民と大陸からの渡来民との遺伝子交流がひんぱんに生じたが、北海道を中心に居住していた人々は農耕を受け入れず、独自の文化をその後も維持して、その後アイヌ文化を生み出していった。

その間に、北方から渡来したオホーツク人とも遺伝子交流があり、さらに近世以降は本土日本人との遺伝子交流が活発になり、現在に至っている。この結果、アイヌ人は縄文的要素を最も色濃く現代に伝えているというわけだ。

琉球人は、九州からもたらされた稲作農耕を受容すると共に、本土日本人との遺伝子交流が歴史時代を通じて存在したが、なお縄文時代以来の先住民のDNAを、本土日本人よりは高く保持している。このため、北のアイヌ人から見ると、南の琉球人が遺伝的に本土日本人よりも近い状況になっているというわけだ。

画像8。今回の結果および考古学的知見をもとにして、日本列島人の遺伝的な変遷を予想したもの

今回決定した100万SNP座位のデータは、さらに詳細な研究を進める上での基盤情報として貴重なものであり、今後は日本列島に渡来して来た祖先集団の出自の問題の探求や、表現型の違いとゲノムの違いを結びつける研究にも貢献することが期待されると、研究グループはコメントしている。