大宅壮一文庫へ行ってきた。

 機会があって、大宅壮一文庫*1に行ってきた。以下は2015年9月13日、いち見学者としての訪問レポート。
 わざわざ日付を書くのには二つ意味がある。一つは、この日は月に一度のバックヤードツアーの日で、それに参加したこと。もう一つは、この日の早朝に東京で震度5弱地震があったこと。

  • アクセス

 最寄りの京王線八幡山駅から徒歩10分ほど、赤堤通りを歩く。通りの左側は大きな病院で、見上げるような大きなケヤキが茂る。つくつく法師とみんみんが盛んに聞こえる。通りの右側は一戸建ての多い閑静な住宅街。どことなく門構えの凝った家が多いような気もする。
 住宅街の中に立つ白い壁の2解建てが大宅壮一文庫(以下、長いので文庫)。建物は大宅壮一の旧居を改修したものだそうだ。現在は入口がガラスの自動ドアになっていて、看板も出ているので普通の住宅でないことは一見して分かる。しかしどこか公的機関とも違う。あえて言えば「事務所」のような雰囲気だ。

  • 前説

 バックヤードツアーは事前申し込み制。10時集合。参加者は10名ほどだっただろうか。
 最初に入口で、引率の男性スタッフ2名による前説が行われた。ここで早朝の地震の話が出てくる。揺れで書庫内の資料が少し落ちたという。それは災難だ。同情していたら、続く言葉に目をむいた。「普通なら、ここの書庫は資料がぎちぎちに詰まっているので落ちないんです」。…マジっすか。実際に東日本大震災でもほとんど落ちなかったそうだが、今回は昨日出納された資料を書架に戻しきれなかった箇所があり隙間があったため、そこだけ落ちたという。
 なお万一ツアー中に揺れがきたら2階の閲覧室に移動します、とのこと。建物は改修を繰り返しているが、2階は最初の建築時点からあるので一番安全なのだそうだ。言われてみれば建物の内壁は相応に時代がついている。ところどころヒビもある。朝に揺れを体験しただけに、ちょっとだけドキドキしながら眺める。

 前説のあと、2階の閲覧室へ。階段を上がってすぐのところに資料出納を申し込むカウンターがあり、閲覧用の席が50ほどある。ここで文庫の概説を聞く。このへんはウェブサイト*2を見た方が正確だろうから、印象に残ったところのみ。

    • 評論家大宅壮一が収集した雑誌を継承して開かれた。小書店や売店などに置かれる大衆誌を中心に、幅広く所蔵。
    • 所蔵していないものもある。その道のプロが定期購読するような専門性の高い雑誌*3
    • どのタイトルを所蔵しているかの情報は、残念ながら現在紙の台帳でしか管理していない。ホームページなどで公開したいがまだできていない。所蔵タイトルでも欠号があることもあるので、来館前に電話で確認するのがお勧め。
    • 大宅壮一は1900年に大阪で生まれた。家は醤油屋さんで、幼いころから家業を手伝った。1944年に八幡山に居を定めた。それまでは引っ越し魔で転々としていたため、本格的に蔵書を蓄積し始めたのはそれ以後。
    • 大宅には「資料を集めるのに100万円かかるとすると、それを収める建物を作るのに100万円、それを利用できるようにするための索引を作るのに100万かかる」という趣旨の発言がある。収集・保存・提供をあわせて意識していた。
    • 現在は年に1万冊ほど増加しており、書庫は満杯。マスコミ関係者の利用が多い。

 概説のあと、いったん1階に戻る。1階には24台ほどの端末がずらりと並んでいて、所蔵する雑誌記事のデータベース「Web OYA-bunko」を検索できるようになっている。ここでスタッフからWeb OYA-bunko*4の説明があったが、割愛*5。操作しながら、参加者からは質問が次々出た。それに答えたスタッフの説明で、印象に残ったものだけメモ。

    • 所蔵している雑誌すべてについて記事索引を作れている訳ではない。
      • スタッフの体制的に手が回らない時期もあった。
      • 社会要請の変化もある。たとえば文庫が始まって間もない80年代であれば、アニメ雑誌について索引を作っていなくてもあまり困る人はいなかった。今やそれでは不便。
      • 雑誌の編集方針が変わって、同じテーマを繰り返すようになったため索引を作るのをやめるということもある。
      • マニアックな分野については、それを専門に担当していたスタッフが体調を崩して、その分野をカバーできなくなるといったこともある。ただしコアになるもの、一般的な雑誌はなるべく索引公開が遅れないよう頑張っている。
    • 索引の取り方。
      • 目次を基本にする訳ではなく、現物をめくって索引を作る。目次のタイトルだけでは内容は分からない。
      • Web OYA-bunkoで、タイトルの隣に付される「※」の後の情報は大宅文庫で独自に入れたもの。80年代頃は技術的に全文検索が難しかった。目次だけで内容が分からない記事もどんなものかわかるように、説明を入れたもの。

 説明を聞きながら、色々と検索してみる。Web OYA-bunkoはこれまでも使ったことがあるが、改めて遊ぶと結構面白い。
 たとえば2014年に新発見で騒がれ、その後捏造疑惑が報じられた女性研究者の名前で検索。ヒットした記事の見出しを見るだけでも、当初完全にアイドル扱いでプライベートばかり報じられたのが、疑惑が話題になった途端手のひらを返すように批判され始めるのがよく分かる。当該分野の論文データベースにはもちろんその人の情報は出てくる訳だが、こんな生々しい動きはやはり雑誌ならでは。

  • 書庫ツアー

 いよいよバックヤードへ。列になって、出納カウンターの奥の事務室へ入る。事務机が並んでいて、これから修理でもするのだろうボロボロの雑誌が並んでいる。事務室から書庫に入る入口の傍には、所蔵する雑誌の台帳が分厚いファイルで並んでいる。普通のまちの図書館と違って基本的に資料を廃棄しないので、台帳もどんどん増えるのだという。この台帳もカウンターで請求すれば閲覧可能らしい。
 書庫に入る。床は木造で、木製の書架が並んでいる。「所狭し」という表現がぴったりで、書架の間の通路はかなり狭い。特に大柄でない自分でもつい肩をすぼめてしまうくらい。書架には、もちろん雑誌がびっちり並んでいる。配置はタイトルのアイウエオ順。2階の事務室に近いところがア行で、「アサヒ芸能」などが置いてある。

 量は膨大だが、眺めていると図書館の書庫というより、個人の蔵書家の本棚のような印象を受ける。理由はいくつかある。
 一つめは、建物がもともと大宅壮一の自宅を改装したものということ。閲覧室など外から見える部分はさすがに整備されていて個人の家には見えないが、書庫には、床や壁などに個人宅らしい雰囲気が残っている。
 二つめは、資料が製本されていないこと。図書館では、長く保存する雑誌はまとめて製本する*6ことが多いが、ここではそれをしていない。非常に古い資料については背表紙などを補修してあるものもあったが、まとめて綴じることはしないようだ。すぐ傷む雑誌を原装保存するのは覚悟のいることだから、信念があるのだろう。他の図書館でも見たことがある*7が、雑誌の背表紙の情報が見えると、ぱっと見たときに探しやすい。
 三つめは、とにかくぎっちり詰まっていること。図書館で雑誌を保管する書庫は、タイトルとタイトルの間に割とスペースを空けておくことが多い。既に所蔵しているタイトルの次号分と、新しく所蔵することになったタイトルが割り込んでくる分の両方に備えるためだ。そうしないと「入れるところがないから、アサヒ○○は『ア』の棚でなく別の場所へ」「○年より新しい号は別の場所へ」ということが起こり、アイウエオ順配置が乱れて探しにくくなる。
 ところが、ここの書架はその余裕分がかなり少ない。タイトルによってはあと一年分くらいしかスペースがなさそうだ。スタッフに聞いてみたところ、定期的に書庫全体の引っ越しをすることで、アイウエオ順配置を維持しつつ、増える分のスペースを作り出しているのだそうだ。…マジっすか。想像するにそれはPCにおけるディスクデフラグみたいな作業で、探す時の効率はとても上がるが、大量それもバラの資料を動かす訳だから、維持の労力は生半可ではないはずだ。
 四つめは、書架。木製だが、図書館にあるような木製書架ではなく、むき出しの木肌でどこかDIY風。そして幅が広い。スタッフによると大宅壮一が大工さんに特注したもので、幅80センチという。今は諸々の基準からそんな幅の書架は作れないらしい。理由を尋ねると「たわむから」。えっ、と改めて書架を見ると、確かに棚板の真ん中が微妙に下がっている。…マジっすか。
 そういう書架を縦に2つ重ねてある。重ねられた上の方は天つなぎ*8されている。ただし書架自体は載せてあるだけで、壁や下の書架には留められていない。と聞くとぎょっとするが、書架を建物に固定しないのは実はひとつの良いやり方なのだそうで、下手に固定されていると大きな揺れの時に書庫ごと崩壊する危険があるのだという。実際東日本大震災でも倒れたり落ちたりしなかったそうだから大したものだ。
 ツアーの間も、スタッフが入れ代わり立ち代わり資料を取りに来る。通路もスペースも狭いので、見学者も身を寄せなくてはいけない。狭く急な階段を伝って、書庫の1階に降りる。階段はこれまた木造で、住宅だったころの面影をしのばせる。ただし長年の使用により段の真ん中が凹んでいる。
 1階にはスチール製の書架がある。いわゆる集密書架もあった*9。1階だが、窓があまりなくコンクリに囲まれた空間なのでなんだか地下のように思われる。2階も1階もワンフロアではなくて複数の部屋を通り抜けてきているのだが、何しろ見通しが利かないので全体の構造はよく分からなかった。
 ツアー中も、参加者から質問がたくさん出た。スタッフの説明から、印象に残ったものだけメモ。

    • 1階書庫の天井にある四角い枠は、そこから集密書架の部品を入れた穴の跡。
    • 雑誌の付録は、雑誌本体とは別に段ボール箱で保存。場所を取るので大部分は分館に送っている。残念ながら、付録を閲覧に供するのはよほどのことがないと難しい。付録の場合、雑誌本体の表紙と、目次と、付録に書いてある情報がそれぞれ違ったりするのが悩み。
    • 資料の大部分は寄贈により収集。それもだんだん苦しくなってきて、小さい出版社などでは2冊寄贈してくれていたのが1冊になったりしている。一般的な週刊誌などは利用も多く傷むので、1冊では足りない。
    • 寄贈は、出版社から直接くれる場合が多い。編集者の方など「国会図書館と大宅にあれば、会社に何かあっても自分の作った雑誌が必ず保存されるから安心だ」と寄贈してくれる人がいたりする。そういう優しい人たちに支えられている。
    • 欠号は古本屋で探して補うこともある。最近はAmazonで手に入りやすくなったが、以前は神保町にひたすら通ったりした。3年かけてようやく見つけたこともある。
    • マンガ雑誌は所蔵していない。現代マンガ図書館*10があるので、お互いに所蔵対象外のものを融通したりしている。東京都内だと専門図書館のネットワークがあるので良い。

 興味は尽きないが、このあたりでバックヤードツアーは終了。

  • 閲覧、複写

 せっかくなので資料を利用してみる。1階に戻ってWeb OYA-bunkoで見たい記事を探し、申込書にタイトルと号数を書く。1枚の紙で10冊まで申し込める。申込書を持って2階の閲覧室に行き、出納カウンターに出す。
 利用したことのある知人が「出納がすごく早い」と言っていたのを思い出し、悪戯心で時間を測ってみる。10冊頼んだところ、12分くらいで出てきた。先ほど見てきた書庫の詰まりっぷりと通路の狭さ、それに自分の書いた申込書はアイウエオ順でもなんでもない出鱈目な並びで請求している*11ことを考えると、確かにかなりの早さだ。
 資料を眺めていると、色々な工夫に気づく。原装保存と言ったが、さすがに表紙にはラミネート加工のようなものが施してある。また分厚い雑誌では天地にタイトルと号数が押印してある。柔らかいのに分厚い資料は立てておくと自重で傷むから、たぶん横置きにしていたのだろう。
 また別な発見。ページ付けの無い雑誌や、途中でページ付けの方法が変わっている雑誌には、独自に鉛筆でページ付けがしてある。たとえば自分が出納した号の『正論』では、同じ一冊の中でも本文は265ページまで、以降「付録」としてまた1からページ数が始まっている。そこで「付録」以降には、鉛筆で266以降のページ数が記入されている。Web OYA-bunkoを検索した時表示されるページ数は、つまりこの独自に付したページ数なのだ。雑誌記事を探すための一般的ツールのように使っているが、本来は大宅壮一文庫という特定の図書館を使うための索引だったのだなぁ、と今さら実感する。
 さらに、記事をいくつか複写。複写はカウンターで申し込み、スタッフにやってもらう。複写物を受け取って出ようとした時、元の雑誌のタイトルと号数を控えておくのを忘れたことに気づいた。図書館で複写するときにありがちなミスで、これを控えておかないと後で出典が分からなくなる。慌てて複写物を見ると、なんと余白に雑誌名と号数を鉛筆でメモしてくれている。あるいは、元の雑誌のページの目立たない箇所にタイトルと号数のハンコが押されていて、複写物だけで出典が分かるようになっている。痒いところに手が届くとはこのこと。本日最後の「…マジっすか」が漏れた。

  • 全体の感想

 「何か探すなら、とりあえず大宅へ行け」という評判は伊達ではない、と実感する濃い空気だった。古い雑誌をめくるのは面白い。読み物として面白いというより、記事の内容から広告まで、確かに世相を映している。雑誌を作った人自身はもしかしたらウケることだけ考えて作っていたかもしれない。しかしそれが蓄積されることによってその時代の文化を映し出すというのは、やはりコレクションの力だなぁと思う。
 一方で、本が好きなだけの蔵書家なら持たないだろう「探せるようにすること」への情熱も感じた。公の作ったものだったら、書庫のメンテナンスにしても、索引にしても、かえってここまで作りこむことは難しいかもしれない。個人の情熱から始まったコレクションならではの強烈な体臭のようなものがある場所だったし、それはたぶん今働いているスタッフにもいくらか受け継がれているのだろう。

 余談。赤堤通り沿いに八幡山駅まで戻る途中、「芸能資料館」というものものしい看板を掲げた店を見つけた。アイドル関係資料専門の古本屋らしい。好奇心で覗いてみたところ、この店内がまたものすごい汗牛充棟ぶり。自分はアイドル自体にはあまり関心はないが、林立する本のタワーと立ちはだかる本の壁には少なからず圧倒された。どこか大宅壮一文庫と似たスピリットを感じる。見に行く方は、是非あわせて圧倒されてくるといいと思うよ。