○下と事件の舞台になった会社について、3日ほど前のつぶやきのまとめ | 廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

 殺人未遂事件として木梨松嗣弁護士、長谷川紘之弁護士を金沢地方検察庁に刑事告訴手続き中 (さらば弁護士鉄道\泥棒神社の物語)

 市場急配センター(石川県金沢市)の組織犯罪と加担、隠蔽をした弁護士らの物語(事実)。

 3日ほど前のツイートになりますが、まとめておくのを忘れていました。

今、被告発人・被告訴人YSNに焦点を当てて記述していますが、しばらく中断し、別に独立させて、○下について書いておこうかと思います。○下は被告発人に含めていませんが、真相解明の上でも事情を知る重要な人物と言えます。

○下は市場急配センターの古参運転手でした。年は自分と一緒だったと思います。金沢市近郊の河北郡津幡町から来ていると聞いていました。市場急配センターをよく知る人物です。

前にもある程度のことはTwitterで書いていると思いますが、市場急配センターの生い立ちについて、再度触れておこうと思います。そのことが、事件の全体像をつかむ上でも、必要と思います。

20年以上前のことになるので、余り正確には思い出せないと思いますが、ポイントのようなものは書くことが出来ると思います。市場急配センターは金沢市場輸送から独立した会社でした。

私が金沢市場輸送に長距離トラックの運転手として在籍した期間は3つあります。初めは昭和59年の1月から10月まで。次に昭和61年の8月から昭和62年の1月までの間です。

この2回目の入社は、直前にYSNの世話で岐阜県海津町で仕事をしていたこと、YSNと同じように市内配達の仕事をしながら大型免許を取得したことなど共通点もあります。自分は自動車学校には通わず、

一発試験で合格しました7回目か9回目の合格で、誕生日の翌日の昭和61年11月27日に合格したと記憶しています。試験は一回千数百円程度だったので、費用も大して掛かりませんでした。

YSNにも一発試験を強く勧めたのですが、彼は頑として受け入れませんでした。50万円の前借りというのも、自動車学校の費用が含まれていましたが、他にサラ金の借金があるとも話していました。

初めは20万円とか30万円という話だったのですが、彼の方から金額をつりあげて結局50万円ということになったのです。

○下について書く予定が、多少脱線していますが、自分は今回この○下の存在について重視しています。被告発人に含めていないということもあるので、事情を知る貴重な第三者という意味もあるからです。