URBAN SOUL RELAX blog — Google+をはじめるまえに、ひと呼吸、SNSについて想ってみる

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Google+をはじめるまえに、ひと呼吸、SNSについて想ってみる

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Google+

http://www.google.com/intl/ja/+/learnmore/

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様々なSNSを渡り歩き、どこもかしこも経年劣化させてきた皆様、こんにちわ。

新しいのきましたね、Google+。

Google+についての解説は、生卵てんてーのブログ記事も紹介しておきます。

“Google+でソーシャルネットワークはどう変わる?”

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みんな思い思いにSNSを使い倒してきて、いろいろな疲れ方をしてきたと思うんです。それで結局SNSごととかで人格分裂引き起こして妥協点見つけるとかしないと対外的にスマートな落としどころが見つからなかったりするわけですよ。そんな、”あー面倒くせえ”©byIWGP にケリをつけるべく登場したのが、このGoogle+なんだと思います。だから賞賛されてる。

主観的にSNSの経年劣化を書き連ねつつ、Google+までの答えを書いていきたいと思います。なので、これは僕のSNSやネットリテラシーなどに対してのひとつのスタンスであって、俯瞰してサービスを説明する記事ではありません。

閉鎖型のSNSは、クラス替えもない、進学も無い、引っ越しも無い、ずっと同じ教室で、長年ずっといなきゃいけないみたいな場所だと思う。mixiはじめてさ、大学生が会社立ち上げて仕事してる、っていう経過がリアルではあるのに、SNSではソーシャルネットワークは拡大していって、遡れる記録を辿られ、過去からの地続きの自分を認識されるわけです。そして、当然個々に振る舞いを使い分けるはずなのに、ひとつのサークルの中でしか、アクティビティを表明できないわけです。これら様々な不和がSNSの経年劣化であり、クラス替えの無い教室で延々と過ごす光景です。

*mixi Facebook

対称的共有の枠であるmixiでこういったSNS疲れを引き起こしたわけです。これは、FaceBookも同じだし、たぶん外人は同じ症状に悩まされて、今こじらせてる真っ最中な気がする。日本人にとっては、辿る順序として、mixi >> FaceBookっていう流れになっているだけで、結局これ、SNSごと引っ越すことで環境リフレッシュさせただけで、SNSのスタンスとしては、mixiと同じ末路を辿るもので、mixiでの失敗をわかってない人はFaceBookでも経年劣化引き起こしてやがて使えなくなると思う。とにかくFacebookをみているとmixiが流行らなくなったから惰性でアカウントとってるような人が多い。日記とかみんな書いてないからアクティビティ共有の質で言ったらmixiの時代の方が圧倒的によかった。あと、徹底して”友人”とのフレンド登録共有をしている人がいない。DJはみんなプロモーションのために誰構わずリクエストで質の低いフォロワー構築しちゃってる。僕は必ずリアルで面識のある人だけにフレンドを留めているんですが、これがまたTLが最高につまらない。上がってくるのはクラブイベントの招待ばかりとか、Twitter連携きめてFBに同時投稿させたりとか、ほとんどスパム&ノイズの勢い。これ、もちろん自分にもブーメランな発言なので、周囲をdisっているわけじゃないんです。結局、僕がリアルの交友関係だけで構築して、至ってリアルな自分としての振る舞いを書こうとしたら、あまり冗談めいたことは書けないですし、パーティーの案内がくるのも当然なんです。僕はDJなんだから。FaceBookも対称共有であるわけです。つくづく人と向き合うためのSNSです。

ひとによって、使い方は違うと思うんですが、構築したTLをどういう赴きにしたいのか、どのSNSを使うとどのような赴きになってしまうのか。ここが重要なんだと思います。僕は、人と向き合うためのTLではなく、情報と向き合うためのTLを構築したいわけです。限りなく情報に近いパーソナルアクティビティ、という認識まで切り刻んで、面倒な摩擦を起こさないでコミュニケーションしたいんだと思います。たぶんそこまでマッシュアップしていくと、全てがコンテンツになって全てがノイズになって、そのゆらぎの中で、常に新鮮な体験ができると思うんですよね。なので、リアルな交友関係だけ抽出してしまうFaceBookというのは、僕が楽しい情報に常に充てられていたいという欲求からすると、ひどく縁遠いTLの光景になってしまうのは当然の解釈なのかもしれません。

*Twitter

クローズ型のSNSが息苦しくなって来たところで、全く真逆のアプローチで登場したのがTwitter。140文字という制約、1人称であるつぶやき。いろいろ許される開放的な空気がとても居心地のいいものです。ただ、あまりに広大に流れるソーシャルストリームがある中で、ローカルルール的なものを唱える輩なども増えてしまいました。Twitterは非対称で一方的ではあるが、フォローとフォロワーという視覚化されたパラメーターが”他人にどう見られたいか”をやはり意識させてしまうものなのです。気にしないで使うのが普通なんですけど、こういうのを気にしちゃう情弱がいるってことですね。うん、面倒くさい。

Twitterのいいところ。1人称のつぶやきという基本スタンスがあり、そこから多面的に表情を変えることができるのがTwitterのいいところです。これは1人称なのか2人称に向けてなのか、3人称に向けてなのか。誰かに話しかけているのか、世の中にシャウトしているのか。ソーシャルネットワークの肥大化によってもたらされる、複数のクラスタが流入して来ちゃって発言躊躇してしまうあれ。誰かに学名を考えてもらいたいね。普通はここでSNS疲れをひきおこすきっかけになるんですが、前述したTwitterのスタンスと言いますか、ある種の逃げ道。受けてからするとそれが誰に向けられて発信されたのかが見えづらい点。誰かに向けられたわけでもないかもしれない。リアルな交流でもそうだと思うけど、クラスタごとの振る舞いは当然違いますよね。Twitterだと誰かの違うクラスタへの振る舞いも眺めたりできるのがおもしろかったりして、その人の人となり、多様性を感じることが出来る。その反面、受け手ひとつの解釈で印象が歪曲するからあらぬ誤解を得たりね、嫌悪されることもあるかもしれない。

僕もこういうシチュエーションに立たされて面倒なことによくなったりするんですが、そんな情弱にあわせてる気もないんで放っておいたりしてるw。オープン型のSNSはとりあえず恐れずにアクティビティ共有していかないとダメだと思う。余計な野次なんかに構ってられない。面白いこと何も生まれないし、やりもしないで批判したりはナンセンスだよね。

でも、言うても、さすがにちょっと狭くなって来ましたよね、Twitter。なんでこうも情弱増えちゃうのってw。そんな息苦しさありますね。周囲を見ているとね。僕はあまり気にしてませんけどもw。SNSとは人そのものの渦。どんなにこれが素晴らしいと思えても経年劣化というのは引き起こしちゃうんですね。

*Google+

そこでやっぱり、クラスタごとにアクティビティ共有したほうが、情弱とか回避できるし、いいんじゃね?、みたいなサービスがGoogle+のサークルという概念です。

サークルという機能をトップダウンに持って来ているアプローチがとても明快なのです。

Facebookやmixiにも似たような機能ありました。グループ分けして公開範囲を設定できました。ただしmixiは途中からサービスインした付加機能であり、時すでにお寿司状態で、そこまでクラスタ分けして使おうというモチベーションを喚起させるには至らずに、摩擦を緩和させる程度の効き目だったはずです。

サークルってのは一見、閉鎖的で馴れ合いの巣窟なんじゃないかって見え方もあるのかもしれませんが、誰がどのサークルに入っているか相手からはわからないのです(基本的には)。つまり、自分が他人にどう見られているか?、ということを意識する必要はないですし、意識しなくてよいのです。僕が共有したサークル、あなたにはそれをコントロールする権限もローカルルールも発動できないのです。

例えば僕だったら、友達、二コ生関係、ビデオチャット、DJ、とかサークル分けをしたりしているんですけど、アクティビティ共有の中には、これらを組み合わせたり、また一般公開という設定もあるので、閉鎖的なようにみえて、流動的に蛇口をコントロールできるのが便利です。

使用感なのですが、この”サークル”ってやつを秘密サークルにしちゃいけないな、っていうのを感じました。誰かを入れないためにサークルを作るのではなく、この話題は、あの人にとっては無関係だな、興味ないだろうな、ネタ通じないからマジレスしちゃうんだろうな、とかそういうやさしさ補正でサークル作りに取り組むといいんじゃないでしょうかねw。どうしても限定的なコミュニティが発生するとそこでしか取り交わしできないコミュニケーションてのはあると思うのですが、この辺の使い方には精神衛生を保つためのハンドリングが必要だと感じました。

しかし、Google+が一般公開という設定を設けたということは、これをオープンに使うもプライベートに使うもサークルで仕分けできるんだから自由に使いなよ、ってスタンスがあるわけです。Twitter的で、開いた印象を持てるし、”サークル”という概念が最もな魅力でありながらも、基本は一般公開でアクティビティを共有していって、そこから派生し、深化していくソーシャルネットワークが現出するならば”サークル”で切り離すこともできて、その苗を別の鉢で育てることもできるよっていう。デメリットをいえば、サークルごとに切り離されることでアクティビティが見えなくなっていきます。パブリックな視点から見れば減っていく状態です。これをどう捉え、バランスをとるのかが重要かと思います。個人的にはTwitterでのアクティブな状態をできるだけ恐れないで運用していって、どうしてもふさわしくない、または摩擦が起きやすい状況に、サークルに落とし込むのがベストだと思います。

Google+のSparksとHungout

ハングアウトって言葉がGoogle+をあらわしていると思います。意味はぶらぶらする、だらだらする、溜まり場に集まる。まあ、こんな感じ。ビデオチャットの機能は最高です。ステカムに入り浸ってWEB呑みしたりとか、二コ生の楽屋裏として作戦会議したりとか、あのときの感覚に似ているかも。Skype会議とかで楽しんでる人とかも同様の感覚だと思います。ビデオチャットはTLで取り交わすコミュニケーションの最も接点が大きい状態。SNSという概念から外れないものなのです。逆に言うとビデオチャットの抽象度を高めたものがTwitterだったりのTLになります。接触面のふり幅を両極端に搭載してしまったGoogle+は、だからすごいのです。

今のGoogle+は、パブリックTLでは、Tumblrライクなネタ画像とかが飛び交っています。一番摩擦を起こさずにみんな笑えたり、積極的にシェアできる記事がこの手のものになるからです。つまるところパブリックな場でのスマートな落としどころがこれなのかもしれませんね。

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*Tumblr

Tumblrはコンテンツと向き合うためのSNS。しかし、Reblogという行為は愛だ。コンテンツの向こう側にいる相手への賛美。コンテンツを通してその向こう側の人間に対して拍手を送っているわけだ。自らアウトプットしたり、ネットからネタを拾って来てスクラップしたり、そしてそれらをさらにリブログをしたり、みなTumblrに投じているユーザーは、キュレーターであり、キュレーション能力を能動的に働かせている。人となりを共有するわけではない、もっと個人的な趣向をひたすら表明していたりする。ライクをつけるなら、コメントをつけるなら、黙ってリブログをしてくれ。お前のものは俺のものというジャイアンよろしくな寛容的な精神によってシンプルでありがなら強固なソーシャルストリームが巻き起こっている。

正味な話、誰かと触れ合うのならネット越して体温を感じることは出来ないわけで、求める必要は無い。楽しくてフレッシュで、毎日が刺激的な情報を取得できればいいんですよ。大量のRSSフィードにちょっぴり人間味がある程度、それがスマートなSNSの形でいいだろう。ってことを考えたので、Tumblr最強説を唱えておきます。結局、割り切ってドライなスタンスが心地いいと感じれる人じゃないとSNSの利用は難しいね。

まとめ

SNSってのは、人が集まらないと何もはじまらないので、人がいることが大事なんですけど、似たようなSNSであっても見せ方や解釈、時代背景とか、そういういったSNS消費の中で、ずいぶんと使用感が変わってくるものです。人間はどうも不揃いで面倒くさい生き物だよなー、これでうまくやってくれよっていうのがGoogle+です。だから次こそは失敗しないように使いたいものですね。ひとはひとつでしかありえないのだから、それぞれのSNSで人格分裂引き起こすんじゃなくて、私が発信するある一部分を誰かに対してフィルタリングしてあげるやさしさみたいなものを持ってあげるのが大事なのかな。

誰かを拒絶したり嫌悪したりっていうのはよくない発想だよ、可能な限りリーチをのばしてあげつつも、紙一重のやさしさフィルタリングを駆使してソーシャルネットを広大に見渡してハングアウトできる能力が欲しいねw。

Google+をはじめるまえに、ひと呼吸、SNSについて想ってみる、記事でした。

後記:端的に短く書くことも可能だけど、咀嚼してやわらかい言葉で書いてしまうのは僕の癖w。そして、遠回りだから、ゴールまでに息切れする人が多いと思うw。全然まとまってませんでしたが、最後まで読んでくれた方ありがとう。