島越駅付近

・この駅の震災前の写真はこちらをご参照下さい。
 三陸鉄道サイト
 田野畑村のサイト
 駅(Station)とローカル私鉄(個人運営のブログ-勝手にリンクしています、問題があればリンクを切ります)

 北リアス線宮古側の運転再開区間で列車の旅に続き、今度は愛車を飛ばして北リアス線沿いに走って見た。運転再開区間の小本を過ぎ、深い峠を一つ越えたところで国道から逸れ、海辺に降りたところにある小さな集落に不通区間最初の駅である島越駅がある。
 ここはテレビや新聞で何度か写真が被災後の紹介された場所であるが、改めて生で見てみると何かで殴られたようなショックを受けた。私が見たところ三陸鉄道でもっとも酷くやられているのがこの場所だったのだ。

 今回はこの駅を訪れる前に島越駅について「予習」していた。海の山に挟まれた小さな高架駅、そこで乗客を誘う白亜の美しい駅舎。景勝地である「北山崎」の入り口に相応しい駅であり、ファンも多い駅だという。
 しかし私が着いてみると、そこには駅はなかった。
 私が見たものは海と山に挟まれた小さな高架駅でも、白亜の美しい駅舎でも、駅の背後に広がっている集落でも、観光客を誘う観光船乗り場でもなかった。

あまりの光景に思わず立ち尽くした。
「予習」で知っていた白亜の駅舎は跡形もなく、その基礎だけが建物の形を私に伝えてきた。
この惨状を見て、目から涙が溢れてきた。
駅の構造物で唯一、その場所に留まっていたのは改札口をくぐったところにあった階段がたった9段。
この階段がどのような場所でどんな形だったかは、上記リンクの3つめのサイトを参照願いたい。
この階段のところから宮古側を眺めてみる。
そこにあったのは線路ではなく、巨大なコンクリートの塊でしかなかった。ここら散らかっている物をどのように並べたら駅になるのかも想像がつかない。
巨大なラーメン構造の高架橋が倒壊したという話は聞いたことがない。阪神淡路大震災でもラーメン構造の高架橋が倒壊したという話は無かったはずだ。
ここに津波の破壊力のすさまじさを感じた。
最も宮古側の高架橋も比較的原型を留めているとは言え、座屈もあって使えない状況なのは言うまでもない。

この写真を撮影時に通りすがりの警察官から「危険なのであまり近付かないように」と注意を受けた。
前述の階段のところから、こんどは久慈側を見てみた。
こちらには川を跨ぐ太いコンクリート製の橋梁があったはずだが、その姿は何処にもない。向こう岸で次のトンネルが真っ暗な口を開けているだけだ。
驚くべきは、中央の橋脚が完全に倒壊して何処かへ流されてしまっていることだ。
対岸のトンネル付近から駅全体が見渡せたはずのカットで写真を撮ってみた。たった9段の階段がまるで墓標のよう。
トンネルの出口から列車目線で見てみる。
橋梁とトンネルの間も線路とその下の路盤が流され、橋台が露わになっているのがわかるだろう。レールはしばらく先で切れていて、続きが何処に流されてしまったかわからない(既に瓦礫として撤去されたか?)。
島越駅から久慈方向へ向かい、短いトンネルを1本抜けると次の川を渡るのだが、ここも津波によって流されてしまっていた。その流された橋はこんな感じで、線路から数十メートル上流に落ちていた。
ひとつ上と同じ場所の橋梁であるが、この橋脚は地震でやられたのか津波でやられたのか判断が難しいが、これは津波で引き波でやられて座屈したのだと思う。
写真左側が川の上流側に当たる。
島越駅の次、田野畑駅の近くには三陸鉄道車両の形をした水門がある。ご覧の通り一部は壊れているが健在のようだ。

陸中野田駅付近に進む
前のページに戻る