吊絲(簡体字は吊丝)という言葉もこうして登場したようだ。自分がこの言葉を知ったのはつい最近、重慶市の前党書記、薄煕来の失脚関連の推特(ツイッター)を見ていると、薄煕来と逮捕された谷開来夫人の間の息子、米国に留学中の薄瓜瓜が「吊絲」になった、といった書き込みをしばしば見るようになった。「吊絲」は男性器を指す「屌」を用いることも多いが、ここでは“上品”な方を使う。
吊絲をグーグル中国語で検索すると、7600万件もヒットする人気ぶりだが、さて、吊絲とは何か、人民網日本語版(3月31日)は次のように伝えている。
「宅男」(注:オタクのこと)や「鳳凰男」(注:農村出身で苦学して都会の大学に進学した男性)などインターネットで次々と新語が登場する中、「吊絲」という新語が登場している。現在の若者が自嘲する時に用いる最も頻度が高い言葉の一つになっている。新華社が伝えた。
復旦大学伝播学部の朱春陽副教授によると、「吊絲」という言葉はその反対語の「高富帥」と共に流行したもので、現代の若者のある種の集団的な「焦り」の気持ちを表すものだ。インターネットを通じてこうした「焦り」が拡大し、深まっている。
この記事を読んでも、吊絲という言葉の意味はよく分からない。百度などの記事を読んで大体分かったのは、「収入、容姿、社会的地位が低く、社会的な疎外感を味わい、ネットでうっぷんを晴らしているような若者」といった意味、いわゆる「イケてない人」「負け組」といった感じだ。
では吊絲がなぜ「負け組」になったのか。「吊絲が流行した背景」 などの記事によれば、中国のサッカー選手、李毅のファンが集まる百度(検索エンジン大手)の掲示板「李毅吧」が発祥の地で、昨年(2011年)10月ごろに生まれたという。この選手は自分は「俺はアンリ選手の様にボールをキープできる」と豪語したことで、フランスの名選手、アンリの中国でのニックネーム「大帝」にちなんで「李毅大帝」と呼ばれ、彼のファンは「大帝的粉絲」、略して「D絲」と呼ばれるようになった。ところが他のBBSのユーザーがからかってDに「屌(diao)」の字を当てはめたが、D絲たちはこれに憤慨することなく、「むしろ光栄だ」とこれを受け入れた。
ここから、吊絲に「無奈和自嘲」、つまり仕方ない、と自嘲気味に自らの境遇を受け止める意味が加わり、転じて「イケてない」「負け組」の境遇を受け入れる人たちを指すようになった。ここまで来ると、「硬盤人」も上回る、中国のネット空間の言葉遊びであり、我々外国人にますます難解になっているのも無理がない。
さて、上記の記事などによれば、吊絲は社会の中下層に属する若者男性を示すとした上で、次のように紹介する。
「彼らのある者は長年勉学に励み大学に合格したが、仕事を得た後、理想と現実に大きな開きがあり、学問は自らの経済的苦境を変えることはできないと悟る。ある者は中学を中退し、都市で美容院の従業員、ネットカフェの管理人、さらにはレンガ運びの労働者などの肉体労働者や、あるいは無業遊民(仕事もなくぶらぶらしている人)なのだが、フリーターを自称している。彼らは都市の繁栄とは無縁であり、わずかながらの給与を手にし、カップ麺とソーセージで飢えをしのぐ生活を送っている。」
「吊絲 ある頭文字の誕生」という記事は吊絲について以下のような説明をしている。
「総じて言えば、吊絲とは、社会的地位が低く、生活は平凡で、未来もぼんやりとして、感情的にも虚ろであり、社会から認められていない。彼らは社会から認められたいと願っているが、どうしたらよいのか分からず、生活に目標はなく、情熱もなく、無聊な生活に不満があるもののどうしてよいか分からない。このような心理状態が我々の周辺に普遍的に存在し、一人一人の心のなかに存在する。それゆえにネット上で吊絲が流行したのだ」
当然のことながら、彼らは女性には人気がない。北京大学を卒業し、東大に留学中のエリート女子大生に先日会った時、吊絲について尋ねると、「彼らはEQが低く、人付き合いが苦手で、部屋にこもってパソコンばかりしている印象。付き合いたいとは思わない」とバッサリ切り捨てた。中国社会では大学生がエリートだった80年代と比べ、大学数や大学進学率が増加した半面、大卒の価値が下がり、「大学は出たけれど」現象が起きていることも彼らの社会的地位が低い一因だと指摘した。
以前本コラムで紹介した「郭美美」のような「白富美」(色白、金持ち、美人)の女性は吊絲が「女神」と仰ぐ理想の女性だが、彼女らが吊絲に抱く印象は「窮矮丑」(貧乏でルックスが悪い)であり、彼女らに選ばれるのは「高富帥」(金持ちのイケメン)だ。
さて、こうした「イケてない」彼らが単に個人の努力不足ならば、不遇もやむをえないだろう。だが、彼らがこのような境遇となったのは、社会的影響も大きいとの指摘もある。
「吊絲現象 不均等な発展機会への集団的焦燥」で、人民網世論観測室のインタビューに、中国青年政治学院中文系主任、張跣氏は次のように分析する。
「吊絲という言葉から強く感じられるのは、現実世界に対する一種の無力感だ。吊絲を自称する人は、衣食を満たそうと苦闘する本当の社会的底辺ではないし、さらには社会資源や話語権(発言権)を持つ社会の上中層でもなく、まさに今奮闘中の若者なのだ。彼らは長年の努力により自分の能力を証明し、自らの未来に対して一定の希望やイメージを抱いている。だが同時に、日に日に厳しくなる発展の圧力や、社会の不公平、上昇する空間がますます押しつぶされていることに、彼らは自ら気を紛らし、自らを慰め、自嘲するしかない」
「吊絲の広がりは、社会構造がもたらした」こう分析するネットユーザーもいる。このネットユーザー「彩色哥」は「現在ネットにアクセスするのは主に80後、90後(80~90年代生まれ)であり、大多数は一人っ子、進学、就職、恋愛で多くの圧力や挫折に直面する。自尊心を傷つけられたことで心には自己卑下が生まれ、それを訴えることもできない彼らは、その本当の気持をネットに訴えるのだ」
つまり一人っ子世代で、「小皇帝」として親の愛情と期待を受けて育てられたが、進学、就職と社会に入るに中で、様々な不公平や挫折に遭遇する。だが彼らが挫折を味わうのは、個人的な原因とは言い切れないようだ。
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今回のことば
「硬盤(人)」(硬盘人):上海人がよそ者をさして言う「外地人」が言い換えによって生まれた一種の隠語。
「鳳凰男」(凤凰男):「山奥から金色の鳳凰が飛び立つ」伝説のように、農村出身で苦学して都会の大学に進学した男性。
「吊絲」(吊丝):収入、容姿、社会的地位が低く、社会的な疎外感を味わい、ネットでうっぷんを晴らしているような若者」といった意味、いわゆる「イケてない人」「負け組」。対義語は「高富帥」(高富帅・金持ちのイケメン)。
「官2代」「富2代」:役人や金持ちの子弟。親の七光りで有利な就職先を得たり、親の威光を傘に着た傍若無人ぶりが庶民の顰蹙(ひんしゅく)をかっている。関連語は「拼爹」(親の力比べ)、対義語は「窮2代」。
「薄瓜瓜」:失脚した薄熙来・前重慶市書記の子息で、海外での派手な生活ぶりと、父親失脚後の動静が注目されている。
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