1号機の炉心溶融、地震発生から5時間後だった 保安院
東電見解より10時間早く 2・3号機も食い違い
経済産業省原子力安全・保安院は6日、東京電力福島第1原子力発電所1号機では東日本大震災当日の3月11日午後8時ごろに炉心溶融(メルトダウン)となり、圧力容器が破損したとする独自の解析結果を発表した。電源喪失から炉心溶融までの経緯に違いはないが、東電の解析よりも約10時間早い、地震発生後わずか5時間で、原発事故として最悪の事態になっていた。
1~3号機で事故直後から3月16日までに大気中に放出された放射性物質の量も77京(京は1兆の1万倍)ベクレルと試算した。4月中旬、「国際原子力事象評価尺度(INES)」で最悪の「レベル7」になったと発表した際の見積もり(37京ベクレル)の2倍で、1986年のチェルノブイリ原発事故時の7分の1程度に相当する。
今回の保安院の解析結果は、20日からウィーンで開かれる国際原子力機関(IAEA)の閣僚級会合に提出する政府の福島原発事故の報告書に反映される。
保安院は東電が提出した事故直後の原子炉圧力や温度などのデータをもとに独自に解析した。1号機では3月11日午後5時ごろに圧力容器内の水位が下がり、燃料棒が露出、同6時ごろから損傷が始まった。東電の解析では燃料棒露出が同6時ごろ、損傷が同7時ごろで、それぞれ約1時間早くなった。
一方、2号機が炉心溶融になったのは東電の解析よりも29時間早い、3月14日午後11時ごろ。3号機は逆に13時間遅い、14日午後10時ごろだった。
今回の解析結果が東電の解析と食い違う理由について、保安院は「解析手法や入力する際の想定データなどが違うため」としている。また、大気中に出た放射性物質の量を大幅に上方修正したのは、2号機の放出経路が圧力抑制室経由だけでなく、格納容器にあいた穴からも出たと推定を改めた結果だという。
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