遊里の痕跡、栄橋町神明神社

 「本日の埋草/矢吹康健」*1で、龍神と栄橋に少しばかり触れて、そういえば……と出かけたのが栄橋町にある神明じんめい神社。以前、蘇鉄山登山^^;の折に登頂認定証をいただいた神社だ。写真は鳥居左手に並ぶ真新しい石玉垣

 龍神・栄橋界隈はさほど歩いたこともなくて、遊郭の面影を残す建物(跡)といえそうなものに思い当たる節がない。というかそもそもどのような特徴がその面影といえるのか知らない\(^o^)/。唯一思い浮かぶ痕跡が神明神社の石玉垣なのだ。といってももちろんこれほど新しいと何の跡もないのだけれど、石玉垣の並びを本殿のほうへ向かって辿ってゆくと、ちょうど時間を遡るような感じで、石に刻まれた文字の様子が変わってゆく。

 寄進・勧進の歴史みたいなものはさっぱり知らないのだけれど、現金ばかりではなくて國債の類で行われることもあったとはね。金額も、正確な時期がわからないと雑な話になってしまうけれど、「帝國」なんてあるんだから戦前戦中、「壹百圓」「貳百圓」ってのは、そこそこそれなりの額なんぢゃないか。『「月給百円」のサラリーマン』なんていう戦前のことを扱った本もあるくらいから、刻まれた人名はひと月分のお給金くらいは寄進としてポンと気前よく出せるヒトたちの名前なのだろう。

 というような話はさておき、さらに奥方向に進むと刻まれる名前に個人名がグッと減ってくる。代わって増えてくるのが「なんとか樓」。ただ店の名前が増えるだけなら堺のこと、地元有力者が商家であることに不思議はないけれど、こういう名称の偏り方は、この界隈の有力者の商売の中身の偏りも示しているみたいに見える。

 「樓」といえば妓楼、「郭」といえば遊郭、というような、いかにも素人臭い連想がどの程度正しいか、ちょっと自信がなかったのだけれど、ググって見るとこの場合はそれなりに正しいみたいだ。

 堺の遊里といえば、まず北高洲町、南津守(乳守)。続いて寛政期あたりの堺港改修に伴って出来たのが龍神、栄橋という順序。何にしても1945年の大空襲と1958年売春防止法完全施行で一巻の終わり。もちろん、そこで一巻の終わりにならなかった遊里・色街も他所にはいろいろあるのかもしれないが、堺では残念ながらなのか幸いにもなのか、消滅したということのようだ。

 豪商がいて遊里があってとなれば、仮に遊里そのものが消え失せても吉原のように後の世に語り継がれるような文化的な何かが過去生まれていても良さそうな気もするが、そこいらへん、不勉強で知らない。ひょっとするとそんなものはなかったのかもしれない。よくは知らないが今でも怪しい商売のほうは続いているらしい吉原でも、考えてみれば今では高尚な文化的アレコレで語られることはあまりないんぢゃないか。曾孫引きになっちゃうのだけれど……。

 小山内薫は、この点を的確にこう述べている

 江戸演劇の作者が好んで吉原を舞台にとつた理由は明白である。当時の吉原は色彩と音楽の中心だつた。花魁のしかけにも、客の小袖にも、新流行の奔放な色と模様とがあつた。清掻すががきの賑かさ、河東、薗八のしめやかさ。これは今日の吉原に見る事は出来ぬ。今日の吉原は拙悪なチヨオク画の花魁の肖像と、印半纏に深ゴムを穿いた角刈と、ヴイオリンで弾く『カチユシヤの唄』の流しとに堕してゐる。当時の吉原は実際社会の中心であつた。百万石の大名も江戸の名うての俠客も、武家拵への大賊も、みんなこゝへ集まるのであつた。それ故、劇中の人物に偶然な邂逅をさせるのに、こゝ程便利な場所はなかつたのである。併し今日の吉原をさういふ舞台に選むのは無理である。大門側のビィアホオルのイルミネエシヨンの下で、計らず出会ふ奥州訛りの私立角帽と農商務省へ願ひの筋があつて上京中のその伯父さんとである。裸の白壁に囲まれた、ステエシヨンの待合じみた西洋作りの応接間で、珈琲入角砂糖の溶かした奴を飲まされ、新モスの胴抜に後朝の背中をぶたれるのは、鳥打帽のがふひやくか、場末廻りの浪花節語りである。今日の吉原は到底 Romantic の舞台ではない。

(『世話狂言の研究』――久保田万太郎「続吉原附近」に引用)

エドワード・サイデンステッカー『東京 下町山の手』(ちくま文庫)、pp.230-1

 むしろ逆に、江戸期文化の一つの華として吉原が存在し得たのが非常に特殊な出来事だったということになるのかもしれない。龍神・栄橋の遊里みたいなものは、そこいらへん、裏返しの傍証にはなるのかなぁ。うーん。と、書いてみれば当たり前にすぎることを今さらのように、まぁ。

神明神社

左側の石玉垣をたどると上の写真にあるアレコレが見られる。ちなみに現在、

とのこと。現在のサラリーマンの月給がいくらなのかは知らないけれど、どんなもんでしょうかね。というか今でもそれくらいかかるものなんだろうか。いずれにしても、僕の懐具合で何とかなるということばかりはなさそうだなぁ。う~ん。関心のある方は、問い合わせてご覧になってはいかがかしら。

 

参考文献、みたいな

 

東京 下町山の手 (ちくま学芸文庫)

東京 下町山の手 (ちくま学芸文庫)

 

僕が参照したのはこちらだけれど、現在なら『東京 下町山の手 1867-1923』(講談社学術文庫)のほうが入手しやすい。先行する単行本では原書から省略された部分も多いらしい。単行本もときおり古本屋で見かけるが、たぶん文庫版のほうがいい。

*1:【復旧時註】未復旧。