生肉を食べるお話

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ユッケを含む食中毒のデータをお求めの方は食中毒を調べてみましたを御参照下さい。今日はもっと趣味的なムックのお話です。


調理技術

人類誕生以来「食う」はサイバイバルのための大命題として現在に至るまで続いています。「食う」と言っても、そのまま食べられるものばかりで構成されている環境で人類は生き抜いた来たわけでなく、そのままでは食べられない物を食べる必要性が当初から存在してきたわけです。そのままでは食べられないものを食べられる様にする技術が調理技術になります。

一番原始的な調理技術は中身を取り出して食べる技術になります。今日は動物(ここでは陸上動物を主に指します)の肉の話にある程度スポットを絞りますから、まず人類が身につけた技術として動物の皮を剥いで中身の肉を切り出す調理技術であったとするのが妥当と考えます。つまりは膾にする調理技術です。膾は皮を剥ぐだけでなく、中身も切り分ける技術に容易に発展し、原初的にはそのまま生肉を食べていたと考えます。

膾にするだけでなく、これも人類が古くから手に入れていた道具である「火」も調理技術として相当早い段階から導入されていたと考えています。つまり「炙る」です。順番的には「膾 → 炙る」でしょうが、どれぐらいの時間差があったかも確認できない古い時代のお話と思います。

次は鍋で煮るつまり「羹」ですが、これは土器の成立が必要ですから、膾や炙るに較べてかなり時代が下ると思います。それでも羹も先史文明の時代には十分に成立した技術であるのは間違いありません。東洋で一番古い文明は言うまでもなく中国ですが、膾、炙る、羹は調理技術として誰が発明したかわからないぐらい昔に成立していたとしても良いかと思われます。

ちなみに中華料理といえば「炒める」がありますが、これが案外と最近の技術とされます。一説には500年前程度ともされます。当然ですがその延長線上の「揚げる」も変わらないと考えられます。これは食用油の普及とも関連するかもしれません。今でこそ食用油は安価なものですが、古代では相当高価なものであり、さらに食用より照明に使われていましたから、料理に使うのは相当贅沢な感覚だったとも考えられます。


古代中国での膾

膾と言う文字をよく見て欲しいのですが、偏が「にくづき」であり動物の肉を指すものになっています。つまり動物の肉を生で切り分けて食べる事から作られた文字だと考えるのが妥当です。古代中国での膾料理は非常にポピュラーであったようで、諺まで作られています。

  • 羹に懲りて膾を吹く
  • 人口に膾炙する
これらは今でも使われていますが、最初の「羹に懲りて膾を吹く」は熱い羹料理で舌をヤケドしそうになったので、膾まで冷まそうとする様子が原意ですが、ここでの膾は当然ですが動物の生肉になります。肉料理として動物の生肉が当たり前の様にメニューにあったと考えられます。

もう一つの「人口に膾炙する」はさらに示唆的です。この言葉の意味として、膾料理や炙り料理の様に好まれるがあります。つまり人々が好む膾料理や炙り料理と同じぐらい有名であると意味です。そういう喩えに用いられるぐらい生肉料理は非常にポピュラーであったとしても良さそうです。

しかし中国の膾料理はその後衰退します。これはwikipediaからですが、

肉や野菜を生食する習慣は疫病の流行などで早くに廃れた

当時の衛生状態ですから野菜も生で食べるのが疎まれたのは理解しますが、肉はそれに加えての理由があると考えています。古代中国文明も農業文明が成立してのものです。これは中国に限ったものではありませんが、農業生産の上に古代帝国、古代文明が成立しています。膾料理はその前の採集生活による調理技術の名残です。

ここで農業文明での肉食となると、中国では豚が主流となります。養豚なんですが、古代でも現在でも中国の食事の肉の主役は豚肉です。もちろん「なんでも食べる中国人」ですから、牛だって、山羊だって、羊だって、馬だって、犬だって、猫だって食べますが、主体は豚であったのは間違いありません。この豚肉を生で食べるのがどれだけ弊害が多いかは周知の通りです。

どんな生肉でもリスクはありますが、牛と較べても格段のリスクがあります。つまり好まれていた膾料理以上に豚肉の生食による弊害が大きくなり、ついには衰退した部分が大きいかと考えられます。とにかく中国では膾の文字を作り、膾にまつわる諺まで残しましたが、膾料理自体はポピュラーなメニューとして残らなかった考えて良さそうです。


朝鮮の肉食文化

これも異論はあるところです。生肉料理自体は人類発生とともにあるぐらいですから、世界各地に源流はあるとしても良いかとおもわれます。ユッケの朝鮮でも異論はあると思われますが、一つの仮説は立てられます。

生肉料理自体の源流は古いのですが、人類の文明が採集生活から農業文明に移行した段階ぐらいで衰退したと考えています。農業文明が盛んになれば、農業に大きな土地面積を使用します。そうなると牧畜のためのスペースが自然に圧迫されます。農業文明にもっとも適した牧畜は養豚になり、肉料理が豚肉中心になれば、生肉料理は衰退する関係になったと考えます。細かい例外は目を瞑ります。そうなれば生肉を食べる文化は採集生活を基本とする民族にのみ残る事になります。

朝鮮も同様の経過を取っていたと考えていますが、ある世界史的な大事件の影響を色濃く受けたと考えます。13世紀に生肉を食べる文化を持った民族が世界的大帝国を作り上げると言う事件です。言うまでもなくチンギス・ハーン率いるモンゴルが世界帝国を瞬時のうちに作り上げます。モンゴルは遊牧民族であり、微妙なところも残りますが、生肉を食べる文化があったとして良いかと思います。

確認するとモンゴルの朝鮮侵攻は1231年に始まり1259年に高麗王朝はモンゴルに服属しています。モンゴルによる朝鮮支配がどれほど続いていたかは確認できなかったのですが、元帝国の北走は1368年であり、李氏朝鮮が1392年です。おおよそ130年ほど支配者であるモンゴル文化の影響をしっかり受け、肉を食べるだけではなく生で食べるのも定着したと考えても良さそうです。

その後の朝鮮の肉文化ですが、はい、こちらユッケですに、

高麗では仏教を国教としたため、何度も屠殺禁止令が出され、肉類が食卓にのぼることは難しくなりました。しかし13世紀中頃になると、強大な力を持ちユーラシア大陸を席捲していたモンゴル族との往来が頻繁になり、高麗でもモンゴル族の習慣に従って肉類中心の食事をするようになりました。この時に膾の食べ方が伝わり、肉、魚を問わず生ものが食べられるようになりました。金克己の『田家四詩』には、動物の肉を刺身にして食べる光景が描かれています。

こうやって一旦導入され定着した肉食文化はモンゴル撤退後も、

李朝時代も初めのうち肉食は稀でした。これは、仏教の戒律を守るためではなく、当時牛や馬が運搬及び交通の面で絶対的な地位を占めていたために、たびたび屠殺禁止令が出されたからです。しかし李朝後期になると、米麦中心の農業から、園芸、牧畜、養蚕、果樹、山林など多角的な農業への転換がはかられ、これと同時に副食としての肉類の使用が急激に増加しました。特に牛肉の消費量が極端に多く、朴斉家の『北学議』によると、18世紀の後半には牛肉を得るための牛の屠殺量があまりにも多いことが議論の種となっていました。李朝後期時代は牛肉の消費量が激増したとともに、牛肉の偏食傾向が強かったのです。

モンゴル支配時代に広まった肉食文化は、李氏朝鮮時代になっても広く定着したと考えて良さそうです。ここでモンゴル文化の影響を考える上で興味深いのが、牛肉を主体としたと言うところでしょうか。お隣の中国が豚肉になっていたのに対し、朝鮮では牛肉に嗜好が傾いた言う事です。嗜好が傾いたので牛肉生産が確立され供給されたとも言えそうです。

朝鮮も日本と同様に仏教伝来とともに肉食が禁止されています。日本はそれを受け入れて、生肉どころか肉食文化自体が押さえ込まれてしまったのですが、朝鮮では途中でモンゴル支配があり、遊牧民風の肉食文化が定着したとしても良さそうです。日本も元寇で負けていたら、肉食文化が花開いていたかもしれません。


回り道が長かったのですが、ユッケの源流はタタール人の生肉料理と考えられています。この辺も諸説があるのですが、タタール族もモンゴル族と同様に遊牧民族で、互いに抗争を繰り返していましたが、モンゴル帝国の頃にはモンゴル族の配下として世界征服に参加しています。タタール人の元祖タルタルステーキは、wikipediaによると、

一般的に知られる説によるとタルタルステーキの調理法もタルタル人から伝わったものである。モンゴル帝国当時の遊牧民たちは遠征に際し1人につき何頭も馬を連れていき、これらを乗用としてだけではなく軍中の食料としても利用していた。しかし、乗用の馬は食用に飼育された馬肉とは違って筋が多く、硬く食べにくいものだったので、鞍の下に刀で細かく切った肉を入れた袋を置いて馬に乗り、自分の体重と馬の運動で潰してから味付けをして食べる食習慣があったとされる。ヨーロッパ料理のタルタルステーキは、このタルタル人たちの馬肉料理が起源であったと言われている。

遊牧民族は遊牧のために地球規模の移動を行います。そのための食料調達の工夫であったとも考えられます。もう一つの理由を、はい、こちらユッケです様はあげられており、

Q:タタール族には何故刻んだ生肉を食べる習慣があったのか?

A:タタール族のように、中央アジアからロシアにかけての大草原で暮らす遊牧民は、冬の間のビタミン不足を補うために、生の肉に刻んだタマネギを入れて食べていたのです。

ここは取りようなんですが、当時のタタール人(タタール人でなくとも)が「ビタミン不足」なんて概念があるはずもなく、生肉を食べたものだけが生き残った結果とするのが宜しいかと思います。生き残るためには生肉が必要であると言うのを長い経験で身につけたと考えます。遊牧民族は肉は自前で調達可能でしたが、野菜は交易なり略奪で調達するしかなく、冬季の野菜不足による栄養失調問題は深刻であったとも考えられます。

野菜が取れない地域での生肉文化は先史時代の生肉文化にも通じますし、また現代でもエスキモーがアザラシを生で食べる文化にも通じるものがあります。生肉によるリスクより、栄養失調によるデメリットが上回った結果だと考えます。


モンゴル世界帝国の成立により、この生肉料理は西洋で「タルタルステーキ」、朝鮮で「ユッケ」として残されたと考えています。ところがなんですが、西洋も朝鮮も肉は牛肉を用いています。ここも一概には言えないかも知れませんが、元祖「タルタルステーキ」は馬肉です。今でも馬肉のタルタルステーキもあるとは思いますが、多くは牛肉でしょうし、ユッケは間違い無く牛肉です。西洋の事情はwikipediaより、

ヨーロッパにこの料理が伝わると農耕社会では馬は役畜であり、乗り潰す程に酷使することもなかったので、むしろ牛など別の家畜の肉が用いられるようになったというのである。

遊牧民族でも馬は貴重だったでしょうが、農耕民族にとってはさらに貴重であったためと考えて良さそうです。馬は「牛飲馬食」の言葉があるように、多量の飼料を必要とするもので、食用にするにはもったいないが基本にあったと考えられます。そこで馬肉の代用として食用の家畜として牛が使われたと考えて良さそうです。

興味深いのが中国で、ここもモンゴル支配を受けましたが、生肉文化と言うか、牛肉文化がさほど定着しなかったと見れそうです。これは先に生肉文化どころか野菜も含めての生食文化が衰退していたのと、食用としての牛の牧畜がさして盛んではなかったためかもしれません。牛でなければ豚になるのですが、豚はやはり生で食うのは問題ありであったと考えています。


生肉の必要性

必要性から言えば、遊牧民族が生肉を食べていたのはサバイバルのためです。リスクを押しても食べないと生き残れなかったから生肉を食べていたとしても良さそうです。一方で、西洋や朝鮮の生肉食文化は生存のための必要性とは言い難いところがあります。美味しかったので嗜好として食べ続けたの位置付けになります。

それでも生肉文化は限定的です。日本人は「生の魚を食う」として有名ですが、生の魚のリスクは生の肉よりかなり下がります。西洋や朝鮮の生肉摂取量を存じませんが、日本人の生魚摂取量に較べたら桁がかなり違うと推測します。日本食なら、すべてが生魚でも料理は成立しますが、生肉ではかなり難しいだろうと考えています。

タタール人も別に元祖タルタルステーキだけを食べていたのではなく、煮たり焼いたりした肉を食べていたはずです。つうか主体は煮たり焼いたりで、一部に生肉料理が入る形態と考えるのが妥当です。タタール人は結果としてビタミン補給でしたが、西洋や朝鮮では「珍味」ぐらいの位置付けとして良さそうです。つまり食べなくともサバイバルに関係ありませんが、嗜好として忘れられないぐらいです。

もう少し言えば、嗜好としての「珍味」は捨て難いのは常識の前提としてあり、そのためのリスクを共有している関係と言えばどうでしょうか。喩えは悪いですが、日本で言えばフグとか野生のキノコがある程度近そうな印象です。フグも野生のキノコもリスクがあるのは日本人の常識ですし、時に当たるのも常識として知っています。それでも嗜好として食べ、食べる時のリスクも無意識に背負い込んでいるみたいな感じです。

リスクを自覚していると言っても、何も責任が生じないわけではありませんが、フグやキノコで食中毒を起こしても、それ自体を禁止にしようと言う発想に傾かないです。より安全に食べようのモチベーションにはなりますが、食べる事は無条件の前提になります。


余談1 酒池肉林

中国の生肉を考えた時に浮かんできたのが酒池肉林です。これは商(殷)の紂王故事に基いたものですが、私はてっきり肉は生肉だと思い込んでいました。商は周の前の時代ですから、林に生肉をいっぱいぶら下げている風景を想像していました。ところがwikipediaによると、

なお、この酒池肉林の肉は豚肉の事であり具体的には「焼猪(シュウチイ)」という名の子豚の丸焼きの事を指す。

わぉ、子豚の丸焼きだったとなっています。つう事は、林のあちこちに子豚の丸焼きが何百もぶら下げられていたのかもしれません。もちろん切り分けた肉の可能性も排除できませんが、もし丸焼きならかなりシュールです。子豚の丸焼き自体は美味しそうな気もしますが(日本人的にはゲテですが・・・)、これを踊りながら合図とともに囓りつくのなら、なかなかの光景と感じた次第です。


余談2 イタリアとドイツの生肉料理

西洋の生肉料理が二つほど見つかったので紹介しておきます。まずはイタリアですが、カルネクルード言うそうです。食べた事が無いのでイメージし難いのですが、牛の生肉をスライスしてのものだけではなく、ミンチにしてもカルネクルードと呼ぶらしく、塩コショウにオリーブオイル、そしてレモン汁をたらして食べるのだそうです。スライスしたものはカルパッチョでしょうが、ミンチにしたものはタルタルステーキ風と思えないこともありません。

イタリアのものは「そういう料理もあるだろう」ですが、ドイツの方は少々驚かされます。メットと言うらしいですが、当然ですが食べた事はありません。これはドイツ日記様からなんですが、

新鮮な生の豚肉をひき肉というかタタキ状というかペーストみたいにして塩と胡椒とその他好みのハーブで味を付け、パンの上に塗ってこれまた生の玉ねぎの輪切りを乗っけて食べる

豚肉のタルタルステーキみたいなものと解釈すれば良いのでしょうか。メットにはメットブルストと呼ばれる派生料理もあるようで、豚のひき肉をソーセージ様に詰めてあるのが売っていて、中身をパンなりにひねり出して食べるというのもあるそうです。真剣に大丈夫なのかと思いたくなるような料理ですが、ドイツ人は食っているそうです。

肉食文化が長い国では、食中毒菌や寄生虫に対する抵抗性が違うのでしょうか。美味しいからといってマネをすると痛い目にあいそうです。ただメットブルストはどうやら日本でも通販で手に入るようですが、私は出来たら避けたい料理に感じます。


まとめじゃありませんが

あくまでも私が調べた範囲の判断に基くものですが、生肉を食うのは人類発生以来続いていたと考えます。現代の人類の始まりをどこに置くかで変わりますが、アウストラロ属からなら250万年、ホモ・エレクトスからなら180万年です。このうち最後の1万年足らず(もっと短いか)を除いて、生肉を食べるのはごく普通の行為であったとしても良さそうです。

これは農耕文明が成立するまでは、野菜類が常に手に入る状態ではなく、とくに冬季の野菜不足は人類の生存を脅かしたと考えられます。そのため生肉からのビタミン類の摂取が必然として求められたためと考えます。しかし生肉摂取はリスクが伴います。リスクと言っても当初は他のもっと重大なリスクがテンコモリであったため、気にもならなかったと考えても間違いではないでしょう。

この生肉文化が変化したのは、農耕文明に移行してからと考えます。農耕文明は人々の生活上のリスクを減らします。つうても、それ以前の採集生活時代と較べてのものですが、他の生活上のリスクが減れば食の安全に気が回る様になるとしても良いでしょう。つまり生存と食あたりが天秤にかけられた時代から、食あたりをするかしないかが天秤にかけられる時代への移行です。

もう一つ、増えた人口に足りるだけの野生肉の供給が不可能になったとも言えます。これまでの野生肉に代わって台頭したのが食用肉であったと考えます。豚であり牛でもありますが、農業に適した土地であるほど豚が主流になったとしても良いかと思います。牛は食う以外に耕耘機とか、荷馬車のエンジンとかの用途があり、食用にするには贅沢すぎる感覚です。

一方で豚は純粋に食用です。牛に較べれば肥育は遥かに手間がかからず、味も良好です。豚をメインに食べるようになって、生肉のリスクが表面化し、生肉文化が衰退したのではないでしょうか。豚は焼いて食べれば問題は少ないですが、生では一定の確率で食中毒を起します。今とは違いますから、食中毒を起こせば死亡確率はかなり高くなります。

それと野菜が入手し難い採集生活時代と異なり、農耕文明時代になれば、生肉でビタミン類等を摂取する必然性が低下します。別に当たるかもしれない生肉を生死をかけてまで食べる必要性が乏しくなったと言う事です。ですから生肉を食べる文化は、食文化全体からすると片隅に追いやられ、美味珍味を求める嗜好の立場になったとしても良さそうな気がします。


これは飛躍し過ぎかもしれませんが、一般に西洋人が生魚を忌避する理由として、生肉で痛い目にあってきた経緯の裏返しかもしれません。散々生肉で痛い目にあって、好きだった生肉をあきらめたので、魚であっても同様の記憶の刷り込みです。日本人は歴史的経緯もあって生肉どころか、獣肉自体を食べていませんが、一方で魚を生で食べる方向に発展しています。

西洋人が生肉で懲りた裏返しの歴史を生魚で成功したと言っても良いかと思います。魚と言う素材も食あたりを起しますが、動物肉に比べ種類も豊富で、当たるもの当たらないものの見分け、調理法が確立しています。日本人は「なんでも生で食べたがる」と前に書きましたが、これは日本人だからではなく、人類がもともとそうだったとしても良さそうな気がします。

西洋や中国では生肉に走って衰退しましたが、日本人は生魚に走ってDNAが温存されたような気がしています。だから生肉であっても感覚が生魚に近いのかもしれません。しかし生肉と生魚ではリスクがかなり異なります。異なるリスクをこれから日本人は学習しないといけないような気がしています。