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ひとが書斎を持つことについて

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photo credit: Gene Wilburn via photopin cc

倉下忠憲皆さんは「書斎」をお持ちでしょうか。

壁一面を埋め尽くす本棚と本、それに寝転べそうなぐらいの広い机。
そして、座り心地の良い椅子と、重厚なステレオ装置。

が整然と配置されているような「書斎」をイメージされたのなら、頭の黒板消しですぐさま消してください。

この場合の「書斎」とは、

  • 自分自身のための空間
  • 本を読んだり、考えごとに集中するための場所
  • スッとスイッチが入るような限定空間

といった場所を意味しています。

こうした「書斎」が持つ意味について、またその作り方について参考になるのが次の一冊です。


» あたらしい書斎


自分にコミットするコンテキストを持つ

何かを行うために、特別な場所を設けることは、意外に効果的です。

佐々木正悟さんがブログ「ライフハック心理学」で次のような記事を書かれていました。

「「カンヅメ」には意味がある」

しかし「プロジェクトを進められない」最大の原因はここにこそあります。そういうコンテクストが用意されていないからです。

コンテクスト(この場合は場所や時間帯など)がないから、プロジェクトが進まない。そういうお話です。だったら逆の発想で無理矢理コンテクストを作り上げてしまう、という「カンヅメ」についても触れられています。

その問題を解決するために「カンヅメ」という〆切に追われたマンガ家さんなどが詰め込まれる場所があるわけです。「1日」というコンテクストを「一日中終わるまでマンガを書く」というプロジェクトに塗り替えてしまうわけです。「●●合宿」もこの発想です。

これは実体験から言っても、確かに効果があります。私の場合は、新幹線の中の作業がこれに近いかもしれません。

カンヅメというと、次のような記事も思い出されます。

「【雑記】静寂に疎い、あまりにも疎い ー 夏もやります独り缶詰宿泊」

この記事の著者は、自宅から近い場所にあるホテルにわざわざ一泊しに行き、そこで自分との対話の時間を過ごします。記事中の次の文章が非常に印象的です。

何度も訴えるところですが、ひとは静寂に疎い、あまりに疎い。
孤独はこうも自分との対話の機会を与えてくれるというのに。

孤独になるための時間。

現代社会では、さまざまな物や情報が私たちにアピール攻勢をかけてきます。そんな中では、私たちは意識的に孤独であろうとしないかぎり、その時間を持つことができなくなっているのかもしれません。

だとすれば、じっくり物事を考えたり、あるいは自分と対話する時間はどこで得られるのでしょうか。もし、得られないとしたら、その延長線上には何が待っているでしょうか。

さいごに

大切なのは豪勢な書斎を所有することではありません。日常と切り離された空間をもち、そこで過ごす時間をもうけることです。もちろん、その時間の質を上げるために、使いやすい本棚や机があれば言うことなしです。

「そんな時間も、場所もないよ」

と言ってみる前に、少し考えてみましょう。

場所を作れば、時間の使い方が変わることだってあります。今まで大切だと思っていたことが、「考えるための場所」を持ったことで、色あせて見えることもありえます。そこから時間の根本的な使い方が変わってくることもあるでしょう。人が感じる価値なんて、そんなものでしかありません。

『あたらしい書斎』では、一畳で書斎を作る方法も紹介されています。イメージしているほど、書斎を作るのに必要なものは多くないのです。

足早に動いていく時代、というか地面が動く歩道のようになっている時代だからこそ、そこら一歩外れて、歩みを止め、じっくりと考えを深める時間と場所を持つことが大切なのではないでしょうか。

» あたらしい書斎


▼編集後記:
倉下忠憲



iPhoneを持ち出してから、電波の届く場所は、「一人きりの時間」を過ごす場所ではなくなりつつあります。もちろんTwitterのせい(おかげ?)です。一人きりから開放されたかわりに自分自身を見失ったとしたら、それはそれで悲しいことです。バランス感覚、が大切なのでしょう。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。