ネットは世の中を超民主的にする

インターネットというのは、つくづく“民主的”だなあと感じます。

たとえば私が留学準備をしていた90年代初頭、アメリカの大学院の情報を得ようと思えば、ファックスや手紙を出してリクエストし、大学案内のパンフレットを郵送してもらう必要がありました。願書の取り寄せも同じです。

しかも資料は有料なので、為替小切手などを同封する必要があり、そのためには都心の銀行窓口まで出むかねばなりません。加えて少額の為替小切手を作るのにも、法外と思える手数料をとられました。


たかだか願書を取り寄せる、学校案内を取り寄せるというだけの段階なのに、「どこに住んでいるか」、「お金に余裕があるか」ということが、大きな制約条件になりうるのです。

都心から離れた場所に住み、手数料や交通費さえ惜しいほどの経済状態にある人は、それだけですごく不利な立場だと感じさせられました。

英語でエッセイを書いたり、GMATの勉強をするのにも、いちいちお金がかかりました。英文エッセイへの個別フィードバックや、GMAT対策クラスを提供する留学予備校の授業料はバカ高く、おカネがないと準備も始められません。


さらに当時はネットワークや環境の格差も、必要なお金の額に直結していました。

周囲に留学経験のある先輩や家族がいれば、ちょっと質問すれば済むようなことでも、そういう人が周りにいない人は、いちいちお金を払って相談せねばなりません。まさに「ノウハウはお金で買うもの」だったのです。

だから、留学経験者の多い大学に通っていたり、親兄弟に留学経験者がいるという人は、スタートラインのところから、すごく有利だったと思います。


でもこういった状況は、ネットの普及と技術の進歩により、革命的に改善されました。今や田舎に住み、おカネがなくても、情報を手に入れるところまでは(ネット接続以外の)追加料金が一切かかりません。

どの大学を受けようか、入試にはどんな条件があるのか、だれでも平等に情報を得られます。入試対策に関しても、GMATやTOEFLの無料対策情報がネット上に溢れているし、英語の添削を無料でやってくれるサイトまで出てきました。英文履歴書のサンプルも、ググれば簡単に探せるでしょう。

ちょっとした質問ならtwitterや質問サイトでも回答が得られるし、留学経験者が身近にいなくても、ネット上で探すこともできます。

家族や知人に留学経験者がいない人や、都心に住んでいない人の不利さは、非常に小さなものになったのです。



今でも就活において地方の大学の出身者は、(その地方で就職したい人、できる人を除き、)大変なハンディを背負っています。

会社説明会の大半は大都市のみで行われ、先輩訪問だって気軽にはできません。でもそれらも、もっとネットを活用すれば、いくらでも改善できるはずです。


会社説明会が動画配信されたり、正式に申し込んだ人にはパスワードが与えられ、質疑応答にも遠隔参加できるようになれば、こういった不利さはかなり解消されます。

面接のために多大な交通費がかかっている人もいますが、一次・二次の面接であれば、今やスカイプでの面接でも十分に可能なはずです。

日本ではまだまだこれからかもしれませんが、私はこの問題も徐々に改善されていくだろうと信じています。冒頭に書いた私の話が、今の多くの人にとって「信じられない!」ことであるように、今の就活の様子もそのうち「信じられない!」世界になるでしょう。


このようにネット技術の進化は、世の中をどんどん民主的にします。

どこに生まれたかか、どの国籍として生まれたか、どういう経済状態の下で生まれたか、どんな家庭環境で育ったか、などによって生じる有利さ・不利さの格差を、どどんと縮小する。それが、ネットが起こしつつある民主化革命です。


インターネットのもたらした価値として、消費者に価格決定権が渡ったことや、誰でも発信者になれること、簡単格安に世界とつながれるようになったことなど、さまざまな点が言及されていますが、

私個人的には、「ネットは世の中をどんどん公平で民主的なものにしつつある」ということが、そのもっとも大きな価値だと感じます。


もっともっと民主的な世界に向けて!


そんじゃーね