環境問題と優生思想(3):科学と倫理

雑誌『クロワッサン』が、柳澤桂子氏のインタビュー記事において問題のありそうな記事を掲載しているようです。
この『クロワッサン』問題というか、放射線による遺伝障害や先天障害の可能性については、少しデリケートな議論が必要です。(1)放射線がDNAに変異を起こし、それが子孫に伝わるのか、という問題と、(2)放射線を浴びてもしかしたらそのDNAに変異が起きたかもしれない人々とどうつき合うのか、という問題は、別の位相の問題です。あえていえば、(1)は科学の問題であり、(2)は倫理の問題です。存在と当為の峻別、といってもいいかもしれません。あるいは、「である/でない」と「べし/べきでない」の区別の問題とも。
多くの人は(1)を否定しているようです。僕もおおむね同意します。人間はショウジョウバエでもムラサキツユクサでもありません。しかしながら、多くの人は、(1)を否定することによって、(2)という問題の存在そのものを否定し、あいまいなままにしているのではないでしょうか。僕にはその態度は怠慢に思えます。
放射線があろうがなかろうが、僕らの中には子孫に疾患を伝える遺伝子が存在します。生まれてからも遺伝子は気紛れに変異します。そして僕らの世界ではいつだって先天障害児が生まれます。福島県民であろうがなかろが、原発労働者であろうがなかろうが、です。彼らを結婚や就職、日常的な生活において差別してはいけない、というのは、放射性被曝やその影響が、接触(つまり感染による水平的な影響)や性交渉(つまり遺伝による垂直的な影響)によって移るから、ではなくて、差別そのものが許されないから、と主張するべきではないでしょうか。
僕にはどうも、(1)だけを問題にして否定してよしとする態度には、接触や性交渉によって移るもの、すわなち感染症や遺伝病であれば、差別してよい――場合によっては、強制隔離や断種を行ってもよい――という隠れた前提があるように見受けられるのです。
確かに、いま議論しているのは、原発事故の放射線の影響であって、感染症や遺伝病のことではありません。しかしこういうときこそ、日頃避けている論点を議論しておく価値はあると僕は思うのです。
……とまあ、そんな甘いことをいっていられるのは、僕がとりあえず子どもをくる予定がないからかもしれません。もし予定があったら……って、ここで、カユカワさんって隠れ優生主義者だったの、というツッコミがほしいところです。