冷たい怒り

ある種の心理的な状態を描写して、それをひとつの概念として確立したいと思います。とりあえず、私はそれを「冷たい怒り」と名づけました。

伝統的な慣習で惰性的に続いているものに関連して起こることなので、例として社員旅行を使います。

日本では、こういう伝統を守ろうとする人たちは、「社員旅行はよい」と主張しないで「社員旅行に文句をつける奴は悪い奴だ」と主張する傾向があります。権力のある人から、繰り返しそれを受け続けると、社員旅行の好き嫌いと関係なしに、「社員旅行に文句を言えないことに対する怒り」がたまってきます。この怒りはどこに向かうかと言うと、社員旅行が好きな人ではありません。「社員旅行に文句を言うな」と言った人でもありません。「社員旅行に文句を言う人」に向かって吐き出されます。これが「冷たい怒り」です。

「冷たい怒り」を持った人に「社員旅行をやめるように訴えよう」と言うと、「社員旅行はよくない。でもそういうわけには行かない」とか「俺は賛成だ。でもみんながなんと言うか」とか「それはいいことだけど、君のためにはならない」等と言います。これが理性的な判断のように見えて、感情をベースにした発言なので、私はそれを「冷たい怒り」と名づけました。

つまり、彼は社員旅行自体にはこだわりはないのです。あっても無くてもいいと思っています。あるいは、どちらかの意見を持っているかもしれませんが、その意見に感情的に執着してない。違う意見の人と理性的に議論をしたり、自分が少数派になったら引き下がる余裕はあるのです。

しかし、彼の「社員旅行に反対意見を述べる人」に対する怒りは強いです。表面には出ませんが、鬱積した強い怒りがあります。その怒りに自分自身が気づいていないこともよくあります。

社員旅行のように惰性で続いた慣習をやめようとする場合は、この種の反対に注意する必要があります。多くの場合、「社員旅行を愛する人」に注目してしまいます。「社員旅行を愛する人」は複雑な問題ではありません。こういう人とは、例えばアンケートを取ったりして、社員旅行を望まない人が8割である、というような根拠を示せばよい。あるいは納得しなかったら強行してしまえばいいんです。彼の感情は「社員旅行」に向いていて「社員旅行に反対意見を言う人」には向いていません。

問題なのは、「冷たい怒り」のある人です。彼は理解しがたい方法で、微妙に足を引っぱるでしょう。基本的には「社員旅行に反対意見を言う人」を傷つけることで対応する。それは社員旅行を継続するには、よい戦略ではありません。しかし、彼にはそれは問題ではないのです。彼のターゲットは「社員旅行」でなく「社員旅行に反対意見を言う人」です。その人を感情的に傷つけたり混乱させることは、彼にとって手段ではなく目的です。

普通、政治的なプロセスは「社員旅行」自体をターゲットにしています。社員旅行のメリット、デメリット、賛成者の意見、反対者の意見。これを集約することが政治的なプロセスです。しかし、日本では「冷たい怒り」を避けたり溶かしたりするのが政治的なプロセスになります。それは非常に回りくどく複雑なプロセスになります。あらゆる改革にこれがついて回ります。

参加者の多くが反対しているのになくならない行事や制度は、ほとんどこの問題の為に継続しているような気がします。誰かが前に出て「冷たい怒り」を受ける犠牲者とならないと、多数意見が反映されないのです。それをあえて受けて、やり通す人がなかなかいないのです。

学校の中にある問題も相当な部分がこれにからんでいるのではないかと思います。

どうしたらいいのかわかりませんが、まずは「冷たい怒り」というこの概念を確立させ流通させることが必要だと私は思っています。


2009/2/11 追記


コメントのご指摘により誤字を一箇所修正しました(自分自信→自分自身)。