老子

老子 (岩波文庫)

老子 (岩波文庫)

旧版とセットで

 岩波文庫の『老子』(武内義雄訳注、1938年刊)が出版されて70年、最新の研究成果が盛り込まれた新たな訳注本が同じ岩波文庫から出たことを喜びたい。2冊揃えて持っておきたいですね。
 新版が出ても旧版の価値は変わりません。底本が違うからです。『老子』は本文校訂に大きな問題があって、なかなか厄介なのですが、流布しているテクストを粗く分類すると、河上公本系と王弼本系という二つの系統があります*1。旧版は河上公本を底本とし(河上公本校訂テクストとして最も優れたものの一つです)、今回の新版は王弼本を底本としているので、どちらかを所有していればもう一方はいらないということにはなりません。

河上公本と王弼本

 「功成り、名遂げて、身退くは天の道なり」(功成名遂身退天之道)は、政治家や実業家が一線を退くときに今でも愛用することばで、『老子』(第9章)が出典です。しかし、このままの形で出てくるのは実は河上公本で、王弼本ではこの箇所は「功遂身退天之道」、つまり「功遂げ、身退くは天の道なり」となります。意味に違いが出てくるわけではないのですが、広く知られているのは河上公本系のテクストの文言であることがわかります。
 河上公本と王弼本と、どちらが『老子』の本文として正しいのか、という問題ではありません。本章を王弼本で示すと、

持而盈之、不如其已。揣而鋭之、不可長保。金玉満堂、莫之能守。富貴而驕、自遺其咎。功遂身退、天之道。

キレイに四字句が連なりをなしてますね。しかし、整ったかたちが「本来」のものであるとは限りません。整理された本文というのは後世の洗練を経た結果であるかもしれないので。読み比べてみると、みなさんもいろいろな発見があるかもしれません。

帛書と楚簡

 本書のもう一つの特徴としては、本文校訂に帛書『老子』と楚簡『老子』、つまり発掘によって墓から出土した『老子』のテクストを参照していることが挙げられます。帛書二種については1973年に発見され、現在までに刊行された『老子』の注釈書にもよく参照されていますが(集英社の全釈漢文大系はこの帛書を底本にしています!)、楚簡は1993年という最近の発見なので、今まで十分に利用されていませんでした。楚簡『老子』の体裁が本書で手軽にうかがい知ることができる意義は大きい。
 たとえば、現行本では第20章の冒頭にある「絶学無憂」(学を絶たば、憂い無し)を第19章の末尾に移動させる説がありましたが、楚簡の出現でこの問題には決着がつきました。

絶学無憂 この句を十九章の末尾につけて解する説が有力であったが、楚簡でもこの位置にあり、楚簡の十九章の末尾は六十六章に続いているので、従来の説は成りたたないことが判明した。(中略)楚簡では本章は四十八章の「亡為而亡不為」に続いており、四十八章にも「学」への批判が見える。『老子』の原型は、その形であったと思われる。

(91〜92頁)

「底本のままに解した」

 それでも本書の一番の価値は、凡例にあるように「底本はなるべく改変しない方針をとった」、そして「訓読は、なるべく底本に即してつけた」(6頁)ことにあるのではないでしょうか。当たり前のことではないか、と思われるかもしれませんが、『老子』のように本文上の問題が多く、帛書や楚簡といった貴重な資料があると、どうしてもいろいろな操作を加えたくなってしまうもの。それをしないというのは、少なくとも一千年以上にわたって広く流布した王弼本に対する一つの見識を示したものです。本書の注を見ると頻繁に「底本のままに解した」「底本のままに訳した」が出てきます。
 そのなかで、本文の違いによって解釈が異なってくる場合は、ちゃんと注で指摘してくれているのはありがたい。本書の訳文を一読するだけで『老子』の大意を把握することは可能でしょうが、是非とも注まで読むことをお薦めします。ここでもいろいろな発見ができることでしょう。
 一例、『老子』が出典の「大器晩成」(第41章)についての注、

「晩成」は、諸本は底本と同じであるが、帛書乙本は「免成」、甲本は欠字、楚簡は「曼城」である。「曼」は「無」の意味で、「免」と通じる。「城」は「成」の借字。そこで、「曼城」「免成」は「無成」の意味で、できあがらないこと。「器」は完成した形であってこそ「器」であるが、「大」がつくと無限の意味が加わって、完成しないということになる。「晩成」は、おそくても完成するということであるから、肯定の意味であるが、元来、大いなる器は完成しないというのが『老子』の本義であった。しかし、「大器晩成」は二千年以上にわたって受けつがれてきた格言であり、いま、本義を明らかにしたうえで、「晩成」として訳した。

(199〜200頁)

*1:この二つを折衷させた系統のものもあります