刘 晓波(劉暁波)氏 ノーベル賞受賞で考える 〜 中国の民主化はいつ行われるべきなのか?

 劉暁波氏のノーベル賞受賞に関する報道で、多くの日本人は、「中国政府は民主活動を認めず、基本的人権もない、中国政府はけしからん」と感じていることでしょう。
 それは事実ではあります。しかし、一気に欧米のように民主化して、それでも中国を統治できるのか?
 おそらく無理でしょう。「民主化」をした途端、国が混乱し、あっという間にバラバラになり、下手をすると内乱がおこり、日本も様々なとばっちりを食らうことになるでしょう。


 「民主」や「人権」が、人類が歴史の中で積み上げてきた共通普遍の価値観であることには疑問をはさむ余地がないでしょう。
 しかし、それを人類が実際に実現するためには、欧米諸国においても、長い紆余曲折の時代があったのです。
 欧米で現在行われているやり方を、仕組みだけ単純に真似すれば運用できる、というものではありません。アメリカ型民主主義という仕組みを早々に導入し、国がグチャグチャになって失敗してきた発展途上国は多くあります。「民主」や「人権」は、国や国民の意識が一定の準備段階に達して、初めて実現できるものだと思います。


 中国政府のメンバーも、当然、いつかは今のやり方を、西側欧米国家で進化してきた形に近付けていかねばならない、ということはわかっているはずです。政府からもそうした発言が出てきていますし、少しずつですがそうした実験も行われてきています。

 しかし、中国は言葉も文化も異なる多くの民族の集合体であり、それをコントロールするのは恐ろしく困難です。日本のような、民族的・地理的な一つのまとまりをベースに国がつくられており、いやでも結局は一緒にやっていかなければならないとあきらめている人たちの集まりである国とは異なり、放っておけばみな好き勝手にバラバラなことをやって分裂してしまう、という強いベクトルを抱えているのです。

 かつては「共産主義」という文化を超越した崇高なコンセプトのもとで、絶対多数を占めていた貧しい一般庶民の暮らしを改善することにより、異なる人たちを取りまとめることができました。
 ここ20年ほどは、経済発展で金儲けして暮らしが豊かになる、という現世的な御利益で人々をまとめてきました。
 今までは、人々のバラバラな方向に向かうベクトルを無理やり抑え込んでも、これら2つの強力なコンセプトが有効であったがために、全体として国を維持することができていたのです。 
 ここで、政治体制を変更したり、西側並みに人権を認めたりすると、その力のバランスが崩れ、国が一気に崩壊してしまう可能性があります。

 
 欧米諸国は、中国がこれだけ経済的に発展し、国際社会で自己主張をするようになってきたわけだから、そろそろ欧米型の普遍的価値観も共有してもらわねばいけない、と考えているようです。
 それはもっともなことですが、考えねばならないポイントは、まずは、それが今なのか、あるいは20年後なのか、という「タイミング」。
次にそれをどう実行していくのか、という「プロセス」です。
 欧米型の乱暴なやり方では、失敗する可能性大です。

 中国には中国に適したやり方があるでしょうし、中国政府のメンバーはそれを認識しているはずです。だからこそ、状況もわからない奴らが、外から無責任に余計なこと言いやがって、と思っていることでしょう。

 中国が混乱しようが崩壊しようが知ったことではない、人権はそれよりも重要である、という絶対的価値至上主義?の西欧型発想が、そこに住んでいる人達の絶対的多数にとって果たして本当に正しいのか? それで幸せになるのか? 
 これを意識しなければ、問題の本質を見誤ることになるでしょう。