36歳の編集者が、市川に「小さな出版社」を立ち上げたワケ

「知の衰退を食い止めたいから」
永井荷風や井上ひさしらが居を構えた「文学の街」千葉県市川市。その閑静な住宅街の一角に「志学社」はある。星海社にて『江戸しぐさの正体』や『マージナル・オペレーション』シリーズなどのヒット作を手掛けたフリー編集者の平林緑萌(ひらばやし・もえぎ)氏が、昨年10月に新たに立ち上げた出版社だ。出版不況が叫ばれて久しいなか、平林氏が市川に「小さな出版社」を作ったのはなぜか。その理由を尋ねた。

名著の復刊を目指して

太田出版では『QuickJapan』、星海社では主に書籍、とこれまで10年近く出版物の編集に携わってきました。本を作るノウハウは身に着けたし、ヒット作も手掛けてきた自負はありますが、30代も半ばに差し掛かったときに、この先10年、20年残るような書籍や、新たな出版の仕組みを作りたいと思うようになりました。出版不況の只中で、このまま本を作っているだけでは、いずれは出版社という船ごと沈没してしまうんじゃないか……という危機感もありました。

出版業の危機的状況については改めて言うまでもないですが、毎年「そろそろ底を打つ」と言われながら、毎年市場は縮小しています。「電子書籍が紙の書籍の下落分を補ってくれる」という期待もありましたが、電子書籍の売り上げも、各種の調査などを見ていると、2025年には伸びが頭打ちになるといわれている。

紙の出版物の売り上げが下がり、電子の成長も止まるのであれば、出版界に明るい未来はありません。50代の編集者なら「俺の世代までは逃げ切れる」と腹を括ればいいでしょうが、われわれの世代はそうは言っていられない。編集者として生きていくために、新しい出版ビジネスの形を考えなければならないと思っていました。

そこで、ただ本を出すことに留まらない新規の出版ビジネスをはじめるために、星海社にもフェローという形で籍を残しつつ、自分の会社も立ち上げることにしました。それが「志学社」です。市川駅から歩いて15分ほどのところにある二階建ての一軒家を借りて、スタートしました。

 

<去る10月1日、平林氏が中国古代史の研究者山田崇仁・花園大学准教授と立ち上げた「合同会社志学社」(https://shigakusha.jp/)。ホームページ上には<学問や文化の次世代への継承を目指し、従来的なあり方にとらわれない学術出版、研究会運営、学術調査などを主要事業とする>とあるが、具体的にはどのような事業を手掛けていくのか。>

いま頭の中で考えている事業は7つぐらいあります。ひとつは、従来の出版社と同じように志学社として新著を作っていきます。ただ、その売り方は既存の出版流通の仕組みにすべて依存する形から、いずれは脱却したいと考えています。

そのほかには、いままで出版社がやってこなかったこと、できなかったことをやっていきます。

まず、「名著の復刊」です。

学問の世界では「この研究をするなら、この本を読んでおかなければならない」という本がいくつもありますが、すでに絶版になっていて、書店では手に入らないというものが少なくありません。古書店に行けば手に入るかもしれないけれど、数千円、ヘタしたら一万円を超すことだってあります。大学の図書館にあったとしても、経年劣化によって、そう遠くないうちに除籍される可能性がある。

たとえば、中国の南朝について知りたいと思ったら、吉川忠夫先生(京都大学名誉教授)の『侯景の乱始末記』(中公新書、1974年刊行)は必読なんですが、この本は残念ながら絶版になって久しい。しかも、京大にすら一冊しか架蔵されていません。だから、どうしても手元に置きたいという人たちの間で高額で取引されています。

このような書籍は、復刊すれば結構な需要が見込めます。過去の名著の旧仮名遣いを新仮名遣いに直すだけでも、買いたいという人がかなりの数いることも分かりました。こうした復刊価値のある書籍を複数リストアップして、復刊の準備を進めています。

大きな出版社であれば、数千部単位で発刊しなければ採算が合わないので、こうした復刊事業というのはなかなか手が出しにくい。一方、私たちの場合、完全入稿データや電子書籍データの作成を全て内製化していますので、製造コストを最低限に抑えられます。

要は、初版1000部、本体価格1800円くらいで黒字が見込めるんですね。これは所帯が小さく、それなりの目利きや技術力があるからできることで、いかにも「日本の中小企業」らしいなと思って気に入っています。

実は、『侯景の乱始末記』は、もう吉川先生に復刊について快諾いただいていて、未収録原稿も加えて、初夏ごろに刊行を予定しています。『志学社選書』というレーベルの第一弾という形になります。以降もラインナップはいくつか決まっていまして、研究者や学生の「読みたかったのに手に入れられない」という苦悩を解消していきたいと思っています。

関連記事