転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



「タコが2匹います。それぞれ足は8本あります。全部で足は何本ですか?」。
算数のかけ算の単元で、こういう文章題が出されたとき、
小学校では、式としては8×2のみが正解で、
2×8で考えると、全く点数を与えられないのだそうだ。
私は、齢47にして、初めてそれを知った。

理由は、「8本の足を持ったタコが2匹いる」ときには、
それを表現する式は8×2以外には存在しない、
と(少なくとも小学校では)考えるからだそうで、
もし、この問題の解法として2×8という式を書いたなら、
それは「2本の足を持ったタコが8匹いる」という意味合いに、
答案上、なってしまうのだそうだ。
……なぜそうなる!?「×(『かける』)」の記号ってそんな意味だったっけ?
世の中、「数量×単価=合計金額」となっている請求書は普通にあるぞ??

算数で習うときに、かけ算の順番によって、
言語的な意味がこれほど限定されるものだとは、
申し訳ないが今まで知らなかった。
私は、そのようには習わなかった。
「2匹のタコ、両方とも足は8本ずつ」(2×8、数量×単価)だろうが
「足8本ずつ持ったタコが、2匹」(8×2、単価×数量)だろうが、
どっちの発想で考えても同じだと私は思っていたのだが(汗)。
ここに区別を設定しておかないと、後々の学習で何か大変なことにでもなるのか?

かけ算に交換法則が成り立つ(=かけ算に順番は関係ない)
というのは、高校数学にもなれば当然の前提で、
行列の積みたいにこれが通用しないもののほうが例外的だった筈だ
追記:「行列」は、今や高校3年で、しかも理系でないと習わないらしい。
私達は文理問わず、高校2年生の履修範囲だった。田舎の県立高校での話だ。
IT時代になる前は「情報」などの単元が無かったぶん、暇だったということか?)。
大学入試のための、記述式の数学で、証明としての式を書くときに、
減点されないようにかけ算の順番に注意を払っていた、
などという経験は、私には皆無だ。

しかし、教育にはある意味、流行があるものだと思う。
もし、文章題の解き方として、かけ算の式の順序にルールを設けることで、
子供たちにとって文章題が、よりわかりやすいものになったのであれば、
方法論としては、進歩したことになるだろう。
私は小学校の現場で算数を指導した経験は全くないので、
よく知らないことについては、とりあえず敬意を払いたいとは思うのだが、
このような規則が、小学校でこれほど厳格に徹底されているというのは、
指導上、非常に有益なものが何かあるということなのだろうか。

この疑問に答えてくれるサイトは無いのかと探していたら、
またちょっと違うものに出会ってしまった(笑)。
小学生のお子さんの算数について書かれた、お父さんのブログだ。

嫁と子供にまけるな! 算数で父親の威厳を示そう。

この娘さんの、小学校4年生のときのお話によれば、
正方形の面積の求め方は、『たて×よこ』では駄目で、
『一辺×一辺』と書かなければ点数が貰えない、とのことで、
まあ、習いたては特定用語の使い方を徹底させることが優先だろうな、
とこれについては私は同意できたのだが、
同じく正方形の面積の求め方として、『対角線×対角線÷2』と書いたら、
はっきりバツをつけられてしまった、という件に関しては、
どうにも賛同できないものを感じた。
「最善」以外の解法は全てバツにして排除する、
というのは数学の考え方ではないだろう。
先生は、『対角線×対角線÷2』にも一旦マルを与えたうえで、
必要なら『一辺×一辺』を並べて書き加えて、示すべきではなかったか。

長方形の定義は「4つの角がすべて等しい四角形」なので、
正方形は当然、長方形に含まれる
(長方形のうち四辺の長さがすべて等しいものが正方形)。
だから正方形も長方形も全く同じに、面積は『たて×よこ』、
と頭の中で考えていたって、本当は構わないのだ
(更にツッコむなら、どこが『たて』でどこが『よこ』なのか自体、
長方形本人(^_^;の与り知らぬところだ。斜めに置いたって長方形なのだから。
ここでも交換法則は有効で、『よこ×たて』で計算しても問題は起こらない)。
更に、ひし形の定義は、「4本の辺の長さが全て等しい四角形」なので、
正方形も勿論これに属する(ひし形のうち、4つの角がすべて等しいものが正方形)。
だから正方形の面積の求め方は、『対角線×対角線÷2』でもいい。
イの一番に覚えるべき公式ではないとしても、バツをつける理由は無い。

私は実際に小学校でそのことを習ったのだ。
ひし形の面積の求め方を勉強したときに、同じクラスの男の子が、
「じゃあ、正方形も対角線の長さが一本わかれば面積が出せるんやね」
と発言し、先生に大いに褒められたから、私はそれを覚えているのだ(^_^;。
そして先生は、少し前に習ったベン図を書いて、
長方形と正方形とひし形の関係がわかるよう図示して下さったものだった。
当時のクラスでは、教科書に出ていない自分の解き方を提案すると褒められた。
仮にそれが、未完成なものであったとしても。

ここまで書いて、わかった。
私がモヤモヤしているのは、要するに「すぐバツにする」という狭量さに対してだ。
『8×2と書いて「8本足のタコが2匹」と読む』、
『正方形の面積の求め方は「一辺×一辺」』、
指導されている、これらの考え方自体は、完全に正しいのだ。
これらを「理想型」として最初に提示することについては、異論は無い。
一度にあれもこれもと、全部の可能性や解法に触れる必要もないことだろう。
それよりも、モデルとは異なる段取りで考える児童・生徒がいたときに、
「それはバツ。正しい考え方は、こっちだけ。模範以外は一切認めない」
と頑ななまでに拒否する気配があることに、私は違和感を覚えるのだ。
後々誤答に結びつく「悪の芽」、とも思えない僅かな発想の違いではないか?
正答はひとつでも、そこに至る解法は各自の考え方次第で様々に分かれる、
というのが数学の面白いところだと私は思っていたのだが、
小学校の間は敢えてそれを認めないほうが、
子供たちの理解のためには良いのだろうか?

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