kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「検察審査員の平均年齢30.9歳は摩訶不思議」という田中康夫の主張への反論

http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20101011 で私がつけた「はてブコメント」に言及いただいたので、もう少し詳しく検察審査員の平均年齢の件について書く。

まず、田中康夫・新党日本 ポータルサイト » 10/10/07 審査員は護られ、裁判員は晒される に関していえば、胸が悪くなる不愉快な記事だった。

まず、田中が書いている、

20歳以上の有権者から”無作為抽出”したにも拘らず、何故、東京第5検察審査会の審査員は平均年齢30.9歳だったのでしょう?
その数値を得るには、20代が過半数を占めねばなりません。統計学という「科学」を超越した、長寿国家ニッポンらしからぬ摩訶不思議な年齢構成比であります。

という主張の当否に触れなければならない。

たとえば、全員の年齢が30.0歳である場合を考えればわかるように、田中が書く「その数値を得るには、20代が過半数を占めねばなりません」という文章は明らかに誤りだが、平均年齢が30.9歳というのは確かにかなり低い。

不自然とはいえない確率でこれが実際に起こり得るのかどうか。

ネットで調べてみると、100万分の7の確率しかないと書いているところが多いが、これは週刊誌がどこかの大学に試算させた結果らしい。それとは別に、モンテカルロ法で70歳以上の人を計算から除外して、1000万回試行したら確率は0.113%だったと書いているサイトがある*1。これなら、「起こり得ない」とまではいえないが、それでもかなり確率は低い。

母集団の年齢分布が正規分布をしていないので、人口の年齢分布に従う乱数を多数回発生させて力ずくで計算するモンテカルロ法を使うのが、誰でも思いつくことだろうが、その場合母集団の年齢分布がわかっている必要がある。しかしそれでもなお落とし穴がある。

上記サイトの計算で、70歳以上を除外したのは、70歳以上だと年齢を理由に辞退できると法律で定められているからだが、さらに私が気になるのは、「重い病気、海外旅行その他やむを得ない事由がある」場合は、検察審査会が「承認」すれば辞退できることになっていることだ。

働き盛りの人の場合、真の理由は「重い病気、海外旅行その他やむを得ない事由」でなくて単に「仕事が忙しい」場合であっても、適当な理由を作り上げて辞退する場合が結構あるのではないか。実際、私自身の仕事がもっとも忙しかった時期のことを思い出すと、なんだかんだ理由をつけて辞退しようとしたに違いないと思うし、20代の頃はそんな状態ではなかったなとも思い出す。もちろん、40代よりはるかに忙しい20代も多いだろうが、一般的には仕事をする人間が背負う責任は年齢を重ねるにつれて重くなる。正当な理由のない辞退には罰則があるとは聞いているが、本当に忙しいビジネスマンなら、どんな手を使っても審査員になることを逃れようとあの手この手を使うだろう。検察審査会に金品を贈ることだって考えかねない。

辞退可能性を考慮に入れた母集団の年齢構成を正確に推定すること自体が不可能だが、正当、不当を問わず、何らかの理由で審査員を辞退した中年が多かったとすれば、平均年齢が下がることは十分に起こり得るのではないか。私が立てている仮説は、こうしたズルが結構横行しているのではないかというものだ。

さらに、全国平均と東京都、東京都の中でも都心と郊外で年齢分布は異なるはずで、今回の審査員がどの選挙区から選ばれたかは私は知らないが、それも考慮する必要がある。

ところで、田中康夫陰謀論における最大の疑問は、恣意的に若年層を偏重して選ぶような悪だくみをする人たちだったら、どうせ審査員は非公開なのだから、平均年齢もでっち上げると考える方が自然だということだ。ニュースを聞いた時、私だって「えっ、そんなに平均年齢が若いのか」と驚いたし、誰だって同じ感想を持つだろうことを、悪だくみをする人間が思いつかないはずがない。

さらに言うと、田中康夫自身はそう書いてはいないけれども、多くの小沢信者がほざく、いかにも「20代の人間は自分の考えを持っておらず、マスゴミに流されやすい」と言わんばかりの言説は本当に不愉快だ。

17歳だった高校二年生の3学期が始まった時、高校の教師はこう言ったものだ。「君たちの判断力はもう大人と同じだ。自覚を持て」と。

若者の思考は柔軟で、たとえば大学で自由なものの考え方を身につける者は多い。むしろ歳をとるにつれて思考が硬直していき、「マスゴミ」とやらに影響されやすくなるのではないかと私は思っている。検察審査員の平均年齢が仮に50歳であったとしても、世論調査結果を考慮すれば、同じ議決がなされた可能性が高いと私は考える。

それに何よりも不快なのは「審査員の名前を公表せよ」という主張だ。『日本がアブナイ!』*2の下記の主張に私は共感する。

 今、ネット界では、識者やブロガーなども含め、検察審査会の審査員の名を公表すべきだと主張している人たちが少なからずいるのだけど。ここにも、上と同じような問題があるのではないだろうか?(・・)

<議決に責任を持たせるために、名前を公表すべきだという考えは理解できるのだけど。中には、小沢氏の政治生命安易に奪おうとしたとして逆恨みするようなことを書いたり、審査のメンバーを提訴すべいだなどという人がいたりもするので、それを見ると、氏名の公表は危険かも知れないと懸念してしまうところも。^^;>

 特に審査会のメンバーは、自ら自由意思で告発などを行なう人と異なり、<もしルールがきちんと守られているのなら>有権者の中から無作為に選ばれて、止むなく国民の義務として引き受けている人もいるだけに、それ相当の配慮が必要なのではないかと思う部分もあるし。


このブログの管理人さんは、いつも穏やかな調子の文章を書く人だから、「氏名の公表は危険かも知れない」という書き方にとどめているが、これを私流に書くと、下記のようになる。

くじ引きで決まって審査員をやっただけなのに、こんな議決を出したら狂信的な小沢信者に暗殺されかねない。


それにしても、田中康夫ともあろう者が、なんと酷い文章を書いたのかと呆れ返るばかりだ。