4時間38分『ヘヴンズ ストーリー』

4時間38分、という長尺である、ということが話題だった『ヘヴンズ ストーリー』。1週間限定で神戸にやってきたので、KAVCへ観に行ってきました。「間にトイレ休憩タイムがあるほどの長尺である」ということが宣伝にて強調されるということは、「長尺ながら気にならないほどおもしろい」という自信を持ってお送りされている証左で、ホラー映画で失神者続出!などと共通している宣伝手法といえるところがあるのやもしれませぬ。“ホラー”と、この“罪と罰”的なストーリーとは次元が違うじゃない、と思われるかもしれないけれど、映画であるからには、見世物的なところがあるはずで、『ヘヴンズ ストーリー』もナゾや伏線、バイオレンスや精神的崩落などの様相が映画的ロケーションを舞台に展開して、観る者を飽きさせないわけです。
先日観た『悪魔を見た』といい、復讐、って映画のテーマとして古典的なんだな、と思う。誰もがすぐ連想できるであろう光市母子殺害事件をベースにした未成年による殺人事件を発端にして、復讐と贖罪の物語は進む。この映画において、復讐と贖罪は男が負うのだけれど、その男どもは女に翻弄されっぱなし。で、観ながら、出てくる女性たちに驚くほど感情移入できないことにすこし唖然とした。たとえば、家族3人を殺され遺されてしまった少女サト。サトは両親と姉を殺されるが、その犯人は犯行直後、自殺をしてしまう。一人遺されたサトは思いが凝り固まって出口がなくなって爆発して壊れてしまう寸前の状態。その彼女を救ったのは、妻と幼い子を無残に殺された夫が会見で述べた未成年の犯人への怨嗟/法が犯人を守るなら、この手で犯人を裁くという復讐の誓い。サトはTVの中でみた夫:トモキを自分の中のヒーローにして、彼に自分の思いを仮託して生きはじめる。そして殺された姉の年齢もすっかり超えた彼女は勝手にトモキをストーキングして、彼が再婚して幸せそうにしていること知って、それが許せず*1、禁断の言葉を吐きかける、「家族を殺された者は幸せになってはいけない」…!トモキはささやかな幸せから急転直下、深淵に突き落とされる、復讐という深淵…『悪魔を見た』公式HP等にあったニーチェの言葉を思い出す。深淵を覗き込むものは、深淵もまたお前を見返している、っていう。結局『悪魔を見た』状況におちこむ、復讐の負のスパイラルに。うわぁ。
また、トモキと再婚する相手タエ。彼女はギターを大音量で鳴らすバンドをやってるロック系ふしぎちゃん少女(というほど若くもないか)。浮気した男相手にヒステリックに大暴れ、その男の家にカギ屋(トモキ)を呼んで開けさせた上、カギ屋をおちょくるような、怒らせるような物言い。トモキが気になった彼女は、カギ屋に電話してレイプがなんたら、とか虚言を吐いてトモキを謝りによこさせたあげく、カラオケ屋とか引っ張りまわして、「感動するような場所に連れてって」とかいう。海に連れていかれた彼女は、なんかしらんが自分が悪いっていっつもいわれる、どうせ自分が全部悪いんだーといって自分の聴こえないほうの片耳をぱしぱし叩いて、Tシャツビリビリにして下着姿で泣き叫ぶ。あぁイライラする!こんなに観ててイライラした女性像は久々だった。胸が悪くなりそうだった。それほど演じる菜葉菜さんの演技がタエになりきっていたのだといえますが、自分としては、本当に生理的にムリなレベルに到達していた。なんでこんなにイヤなんだろう。ふしぎちゃんキャラ=特別な自分感、自分勝手、被害者意識、ナルシシズム…きっと多かれ少なかれ誰しも持ってるし、自分の中にも確実にある“自意識の病”に蝕まれたイヤなイヤな部分を拡大して見せ付けられたような気分。『悪人』で満島ひかりちゃんが演じていた役みたいな感じ。イヤでしようがないけど、どこかに誰もが持ってるちょっとした高慢なプライドとか自意識の肥大した部分が大画面にどーん、て感じで。
こんな二人の女性に絡まれたトモキは、洗濯機の中でぐわんぐわんに回されてる洗濯物レベルの混乱に陥ってたと思う。二人とも勝手。サトは自分の自己実現をトモキに仮託したり、タエは“かわいそうで特別”な自分を肯定してくれる相手としてトモキを選んだり。みんな“自分”ばっかりだわー、それに既に傷ついているトモキ*2に託すっていうのが。でもトモキって虚ろに見えるのですよ。“殺された側”であるトモキは、あの夏の日に自分の妻と子の無残な死体を見つけた日から空虚になってしまったのかもしれない。だから、その虚ろになんらかの意味を見出した女性に迫られて彼女らの思いをぶつけられると、それで彼の虚ろが満たされてしまい、翻弄され、結局精神的に壊れていくのだろうか。
一方の“殺した側”であるミツオは、なんで自分が殺人を犯してしまったのかわからない、…彼も空虚。それが、ミツオの言葉に共感し、彼に手紙を送ってくるようになった女性(山崎ハコ演じる恭子さん)とのふれあいによって、虚ろがだんだん満たされてくる。若年性アルツハイマーを患った彼女のことを覚えていること、記憶しつづけることに自分の意味を見出していく。女性により壊れゆく契機を得てしまった男と、女性により再生の契機を得た男の対比。その二人が交錯するとき、映画はクライマックスを迎えます。本当にロケーションがいいので、その舞台効果でかなり盛り上がる。調べたところ、「雲上の楽園」と呼ばれ廃墟界では有名な岩手県松尾鉱山というところと、浦賀の渡し船と茨城の高萩市にある海辺の団地が舞台になってます。
サイドストーリーで絡んでくるのが村上淳演じる刑事(裏の顔として復讐請負をしてる)の物語で、彼は贖罪の人生を歩んでる。贖罪、罪、罰というテーマ。たしかに昔に読んだドストエフスキーぽいのかな。詳細はすっかり忘れたけれど、ドストエフスキーって饒舌なんだよな。躁状態でつっぱしるかのような文体で、豊饒で深淵なものから瑣末なものまで包摂した精神世界が語られてたような(うろおぼえ)。『ヘヴンズ ストーリー』もそうかも。からっぽな人物もいれば、ひたすら自分を主張する人物もあり…、それぞれに贖罪や復讐といった思いから瑣末な事柄まで種々雑多抱えている。ギリギリのところで精神的に崩壊する手前で持ちこたえて、生還し、子を産み、世界を延命させ続けるのは女性。崩落するのは男性だな。いやはや。
「怪物が棲みつきました。でも、神様は助けてくれません」と映画の冒頭でナレーションが入ります。この世界に神様っているの?ヨブ記みたいな神様?今の地震を見たら、そんな酷薄な神様みたいに思う。でも、世界は不条理もなにも抱えて続く、回っていく、季節は巡り四季が訪れる…って、なんか最近そんな映画感想書いたなー*3、ていうかわりかし映画や世界をそう捉えがちな自分はオザケンに影響されすぎてる。そんな気がする最近なのです。

『ヘヴンズ ストーリー』(2010/日本)監督:瀬々敬久 出演:寉岡萌希長谷川朝晴忍成修吾
http://heavens-story.com/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD16874/index.html


※長谷川さんて、ジョビジョバの人だったのですね。
※エンドロールの歌は歌詞が直接的だったです。歌詞がなくてよかったかも、とふと思った。
※江口のり子さんも思った以上に大活躍。

*1:嫉妬もあるか

*2:花見客でいっぱいのなかサクラの枝を切りにいく、まさに気狂い的な行動も取ってる

*3:海炭市叙景』とか