やたらと「ノマドワーカー」と言う単語が流行って来ているような気がする今日この頃ですが、いかがおすごしでしょうか?

そもそもノマドというのは「遊牧民」や「放浪者」を意味する言葉なわけで、この「ノマド」といういかにも牧歌的な響きが一人歩きして「ノマドワーカー」と聞くと、いかにものほほんと楽をして生きている人のように思われがちです。

僕はこの2年半くらいずっといわゆるノマド生活をしていて(もっとも、ノマドという言葉を口にする人は2年半前にはほとんどいなかったので、ノマドワーカーという自覚はいまもさほどないのですが)、その間にコスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、エルサルバドル、アメリカ、香港、インド、ネパール、タイ、オーストラリア、インドネシア、シンガポール、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、チリなどを廻り、今はこの記事をボリビアの首都ラ・パスで書いています。

ノマド生活というのは多くの人が思っているほど良いことばかりではなく、ノマドにはノマドの覚悟というか、責任というか、心構えがある程度必要で、のらりくらりとゆるい生活をしているようでも、妥協できない部分というものがないと生活は成り立ちません。そこで今回は、ノマドに必要だと思われる心構えや条件を書き出していきたいと思いますので、「ノマドってちょっといいなぁ」と軽く考えている方は、ぜひ一読して参考にするなり、参考にしないなりしてみてください。

Photo by Miles Yebisu

 

完全なる成果主義

ノマドに限らずフリーランスで仕事をする場合、結果が全てです。仕事の過程であなたがどこでどんなに頑張ろうと誰も見ていません。叱ってくれる上司もいません。励ましてくれる同僚もいません。文句を言ってくれるクライアントはまだ望みがありますが、仕事の結果に満足しなかったクライアントは黙って離れていくだけです。中途半端な仕事をしていると、すぐに仕事はなくなります


ダラダラ仕事をしない

ダラダラ仕事をしているようでは、ノマドでいる意味はありません。時給や日給でもらえる仕事であれば、時間をつぶすのも立派な仕事のうちかもしれませんが、効率よく仕事を片付けるスキルは必須です。

一つの目安として、時給で働いている時の8時間分の給料を2時間、最大3時間の実働で稼げないのであれば、オフィスで拘束時間に対してお金をもらっている方が色んな面で得でしょう。オフィスで働いている場合、トイレに行っている時間にもお金は発生しています。オフィスの電気代や水代も心配しなくて良いですし、オフィスの家賃に関しても懸念する必要は通常ありません。

実働時間が3時間程度でもメールを書いたり、電話をかけたり、ミーティングに出席したり、調べものをしたり、新しい案件の見積書や終了した案件の請求書を作成したりなど、その他の業務も含めるとなんだかんだといい時間になってしまいます。


環境に仕事のクオリティーを左右されない

色んなところで仕事をしていると、暑かったり、寒かったり、周りの人たちがビールを飲んでさわいでいたり、爆音で音楽がかかっていたり、やたらと蟻に噛まれたり、ハエがうるさかったり、子どもがモノを売りに来たり、猫が膝に乗って来たり、ネットの回線が遅くてイライラしたり、突然停電になったりと、様々な障害に直面します。どんなに快適な、または過酷な環境であっても、それに影響されることなく、ある程度以上のクオリティーのアウトプットができる集中力と精神力を持つことがノマドの必須条件だと言えます。


言いわけをしない

どんな環境で仕事をしていようが、どこにいようが、誰と何をしていようが、そんなことはクライアントには全く関係ありません。たとえ仕事が上手くいかなくても、それに対する言いわけは誰も聞いてくれません。仕事が上手くいかないのは自分の能力が足りないからです

自分の能力を高めるために努力するのは当たり前のことであり、誰もそんなことを褒めてはくれないでしょう。能力を高めるための努力は、単純に自分を守るためなのです。それができないのであれば、行き止まりはすぐ目の前。そして、仕事が上手くいっても誰も褒めてはくれないでしょう。仕事が上手くいかなかった場合、クライアントは二度と仕事をくれません。言いわけに耳を貸してくれる人がいるということは、考えようによっては幸せな環境なのです。


〆切が守れる

〆切などの約束事が守れないのは論外です。電車が遅れようと、雨が降ろうと雪が降ろうと槍が降ろうと、約束事を守れないのであれば、仕事を打ち切られても何の文句も言えないと思っていないと、ノマドは成り立ちません。他の面での拘束がない分、絶対に守るべきところというのは存在します。

言いわけや説明をしたいなら、どこかのオフィスで上司に見守られながら仕事をする方が得策です。一人で仕事をしているとそのうち嫌でも気が付くのですが、あれだけウザイと思っていた上司は実は部下を見張っているだけではなく、見守ってくれていたりもします。たまには雑談もすれば、イザという時には代わりに謝罪しに行ってくれたりもする、ありがたい存在なのです。


他の人と同じクオリティのものでは不十分

いつも顔を合わせて仕事をしているAさんと、ノマドワーカーのBさんとが同じクオリティーのものを出してくるのであれば、顔を合わせて仕事をしてくれるAさんに仕事を振るのが当然です。むしろ多少クオリティーが低く、かつギャラが少し高かったとしても、きっとクライアントはAさんに仕事を依頼するでしょう。

Bさんが仕事の依頼を受けるためには同じクオリティーでは不十分です。少しくらい上回るくらいでもやはりまだ不十分です。なぜかと言うと、それがマイケル・ジャクソンの言うところの「ヒューマンネイチャー」だからです。

これから人がどうなるか分かりませんが、現状での話をすると、人は基本的に顔を合わせて仕事をすることを好みます。そのほうが何かと安心だし、細かい注文も付けやすいからです。何か決定的に差別化を図れる部分が一つくらいはないと、なかなかノマドをしながら仕事を受けるのは難しいのが現状です。例えば、この記事を書くに当たって、他の人が「ノマド始めてみました! どこどこのカフェは電源が取れてオススメです!」と言っているのに対して、もうすでに僕は数年間世界各国でノマド生活を送ってきている、という部分である程度の差別化が図れているわけです。


身体が丈夫

どのくらいのノマドレベルで仕事をするかにもよりますが、フリーランスとして仕事をするのに何よりも大切なのは健康でいること。なぜかというと、病気で倒れている間は収入がなくなるからです。特に国を越えての移動をする場合は、時差や言語、食べ物、気候、周りの人の習慣、生活環境、その他諸々の変化に対応できるだけの体力と気力は必須条件です。健康維持に気を配っていても体調を崩したりすることはもちろんありますが、基本的に身体が丈夫で健康なことも、ノマドの条件と言えるでしょう。


ある程度以上のお金を稼ぐ

お金は大事です。知らない場所で生活する際に唯一と言っていいほどの共通語は「お金」です。嘘だと思うのなら、試しに知らない国のホテルに一銭も持たずに行ってみてください。お金を持ってやって来る人はお客さまですが、一銭も持たずにやってくる人は物乞いです。自立したノマドとして充分なお金を稼げないのであれば、ノマド以外の選択肢を探すべきです

しかし、お金というものはレバレッジが効きます。インドの田舎町でのんびりとヨガでもしながら過ごすのであれば、月に数万円もあれば充分です。ホンジュラスの島でダイビングのライセンスを取り、毎晩ビールを飲んで過ごしても十万円ちょっとくらいあれば事足ります。収入を増やす=労働時間を増やす、なので、収入を増やさないのであれば支出を減らす、という手があるわけです。

ノマドを自称するのであれば、どのくらいのお金が必要なのか、どのくらい働きたいと思っているのか、働いている以外の時間を使って何がしたいのか、というのは明確にしておきましょう。一番やってはいけないのが、お金に困った挙げ句、業界の水準よりも安い単価で仕事を受けてしまうことです。これは同業者および他のノマドワーカーにも悪影響を及ぼします。例えば翻訳業界で言えば、実家で暮らしていて、特にお金を稼がなくても死活問題ではなく、翻訳ってなんだかちょっとかっこいいし、趣味でちょっと翻訳がやりたいので安くてもいい、と思っているような人が業界全体の価格設定に与える影響は思いのほか大きいです。ノマドを語る以上、自立してある程度以上の額を稼いでください。


ノマドのメリット、デメリットを知る

色んなところで仕事をしていると、固定の場所があり、自分のモノが色々置け、デスクトップのマルチスクリーンが使え、やたらとボタンのたくさんついたマウスがあり、一緒にいつもの店でランチしながらしょうもない話をする同僚がいて、自分がサボっていたら怒ってくれる上司がいて、朝出勤して夜帰宅し、家に帰ったら仕事のコトは一切考えなくてもいい、という規則正しい生活習慣があることがどれほど素晴らしいことなのか、思い知ることになると思います。

会社で働くというのは、ある意味自分なりの生活リズムを作り、仕事と遊びの境界線を自分で決め、自己管理し、あの手この手を使って新しい仲間やクライアントを見つけ、情報をかき集めては働く場所を選択するなどの手間の全てを省いてくれるのです。しかも、働きたくない時には少しくらいダラダラしても、ネットで芸能記事をクリックしても、フェイスブックを見ながら仕事をしていても、ランチの後「まじねみーし早く帰りたい」とツイートしても、たいていの場合さほど悪影響はありません。

ノマドになるということは、会社が提供してくれている全てを自分が賄わなくてはならないことを意味します。自由には責任が付いてくるわけです。それができる精神力がないかもしれない...と思うのであれば、ノマドになるメリットは長期的に考えて限りなく少ないと思われます。ノマドというのはイメージ的に自由なだけで、実際のメリットというのはそれほどありません。社会的にもマイノリティーな存在なので、周りの視線は必ずしも暖かくないのも事実です。強いてメリットを上げるとすれば、満員電車に毎日乗らなくても良いくらいで、結局仕事をしなくてはいけないという事実は変わりません。仕事の内容だけで評価されるようになるので、むしろ仕事のハードルは上がります。


他のノマドワーカーの評判を落とさない

今この瞬間にはノマドワーカーはクールに見えるかもしれません。しかし、数年後にどう見えているかはわからないです。この瞬間クールに見えるからといって、今からノマドを目指してもきっと良い事は何一つありません

ノマドは特権であるとノマドワーカーは思っているかもしれませんが、フリーランスのノマドワーカーという存在は、現実世界では何の信頼性もない社会の浮遊物くらいにしか思われていないのが現実です。ノマドワーカーがどういう人種であるのか、信頼に値する人たちなのかというのは未知数であり、これから社会が答えを出していくようになるはずです。

よって、「自分はノマドです」と名乗るからには、他のノマドワーカーの評判を落とさないように仕事をしていきたいもの(もっとも自分はノマドです、とクライアントにわざわざ伝える必要なんてさらさらないのですが)。ノマドの評判と仕事単価を落とすだけ落とし、やっぱり自分には向いていなかった...とノマドでなくなる人たちが与える悪影響をダイレクトに被るのは、ノマドで居続ける人たちです。ノマドはクールなライフスタイルだからちょっとやってみたい...と思っているのであれば、辞めておいた方が賢明でしょう。


今回挙げたのは、基本的にはフリーランスのノマドになる場合の心構えだとは思いますが、参考にしていただければ幸いです。個人的にはノマドをやる時期があっても害はないかと思いますが、ノマドというのは、あくまでも人生においてさほど重要ではない一面であり、必死に努力して目指す価値のあるようなものでは決してないです。特に東京都内のカフェ巡りをし、毎日Wi-Fiとコンセントを探しながら仕事をしているというタイプのノマドであれば、どこかにオフィスを借りてしまった方がよっぽど潔くて賢いかと思います。どうせノマドのまねごとをやるなら、いっそ海外でやるのがオススメです。

僕の場合は、翻訳をしたり文章を書いたりという、パソコン一台とインターネット回線さえあればできる仕事をしているわけですが、翻訳家になるのが夢だったわけでもなく、ライターになることが人生の目標だったわけでもありません。ただ僕は毎朝満員電車に乗って通勤するのは狂気の沙汰だと思っているので、それを避けられる方法をあらゆる手を使って探し続けた結果、その条件に合っていて、なおかつ能力的に自分がこなせる業務がたまたまそういう内容だったというだけです。満員電車を避けるための方法を本気で探し続け、徒歩通勤や自転車通勤、自宅勤務などの紆余曲折を経て、今のライフスタイルに辿り着きました。そのくらい僕は真剣に満員電車が嫌いです。嫌だ嫌だと言いながらも乗り続けることができる人は、実際それほど嫌とは思っていないのでしょう。嫌だと思う気持ちがついつい行動に出てしまうくらい何かを嫌がるバイタリティーも、ノマドに限らず一つのライフスタイルを確立するには必要かと思います。

いずれにしても、ノマドになることよりもどんな仕事をするのかということの方が百倍もあなたの人生にとっては重要なので、仕事の内容で妥協してまで今流行っている風な「ノマドワーカー」を目指すのはナンセンスです。繰り返しになりますが、ノマドはあくまでも人生においてさほど重要ではない一面であり、目指して必死に努力する価値のあるようなものでは決してありません。

ちなみに、移動しながら仕事をしている人のことをアメリカの経済学者ロバート.E.ケリーは「ゴールドカラー」と呼んでいるそうなのですが、会社に属し、固定給とボーナスをもらい、福利厚生を受け、社会的な信頼を保ちながらも、出社したくない気分の日や雪が降っている日は自宅やその他の場所で仕事できる選択肢もある、くらいのホワイトカラーとゴールドカラーの中間くらいの「プラチナカラー」が一番理想的なのではないか? と南米のデカイ空を見上げながら最近の僕は考えています。

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(まいるす・ゑびす)