あれから16年。娘もサイトも16歳。

2011年1月17日(月) 8:32:34

今朝、5時46分の黙祷で泣いてしまった。
テレビ画面でまだ暗い神戸の公園に集まって祈る人たちの映像を見ていたら、なんだかたまらなくなった。涙もろくなったのもあるが、やっぱり体験者としていろいろと思い出され、走馬燈がぐるぐると。

あれから16年。
今年、神戸市の人口の大半は震災を経験していない人になるそうである。そうか、あのとき60歳だった人はもう76歳だもんなぁ。16年とはそういう年月である。33歳だったボクももう49歳。

あのとき、ボクたちは一番揺れた地域のひとつである夙川に住んでいた。
妻はちょうど臨月。数週間後、3人でなんとか神戸を脱出し、東京に避難して娘の響子を生んだ。あのとき赤子だった娘がもう16歳。

震災当日の夜、電気が復旧したのでテレビを見てたら、テレビでは「東京でこの規模の震災が起こったらどうなるか」を特集していた。まだ家の周りでは閉じ込められたり埋まってたりする人が多い修羅場なのにもう他人事か。このときばかりは(仕方ない部分もあると承知の上でだが)東京偏重の報道に腹が立った。気を取り直して当時つないだばかりのインターネットを見ていたら、地元神戸から被害状況や避難所状況を発信している個人がいた。「あ、これだ!」と思った。やらなくては!と思った。

それから半年、ボクがこのサイトを始めたのもこの年である。まだアメリカでYahoo!が設立されたばかりのころ。グーグルのグの字もなかったころ。日本で個人サイトなど100くらいしかなかったころのお話である。そう、1995年は娘とサイトが産声を上げた、ボクの人生にとってエポックメイキングな年なのである。

さて。
毎年この1月17日と9月1日の防災の日に以下の情報を共有している。
震災で得られた個人的教訓をいくつか以下に書いているので、ぜひお読みください。

地震が起こったら、まずこれをしろ!
地震が起こる前に、これだけはしておけ!
震度7の朝、妻は妊娠9ヶ月だった。

なお、「地震が起こったら、まずこれをしろ!」において、「とにかくまず水を確保しろってエゴじゃないの?」という議論が以前巻き起こった。

確かにそういう考えもある。正論かもしれない。
でも、大地震って予想以上にいろんなものを壊す。貯水槽が壊れて水が地面に流れちゃったり、余震でパイプが壊れて水が来なくなったり、貯水池が涸れちゃったり、予想もつかないことがたくさん起こるのが大地震。

だから、まず水を確保する(飲み水じゃなくてトイレ用)。そして、その後で分け合うのが正解だといまでも個人的には思う。確保というか保守に近い。地面や地中や下水に流れ出て使えなくなっちゃうよりはまず溜めてから分け合う。助け合う。少なくともボクはそうしようと思います。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。

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