そうさ、今日もエンジンは最高さ〜映画『カーズ/クロスロード』

カーズ/クロスロード (監督:ブライアン・フィー 2017年アメリカ映画)


ピクサー/ディズニーのCGアニメに興味を無くして久しいが、『カーズ』のシリーズ第3作であるこの『カーズ/クロスロード』は何故か観たかった。ひとえに、劇場で流されていた予告編がとてもカッコよかったからである。
台詞もナレーションも一切無く、主人公の車ライトニングが、サーキットコースを、ダートコースを、海岸をひた走る。ただただ、ひた走る。その映像には、奥田民生が歌う日本版エンドソング『エンジン』が被さってゆく。そしてこの曲がまたカッコいい。歌詞はいかにも車を歌ったものではあるが、ミディアムテンポで、じりじりと盛り上げてゆく曲調がとてもいい。実はオレは、奥田民生というミュージシャンは名前しか知らないし、音楽にも全く興味が無いのだが、ことこの『エンジン』という曲は、心に響くものがあったのだ。そんな部分でなんだか映画も観たくなってしまったのだ。
CGアニメ『カーズ』については、1作目は劇場で観てたいそう感銘を受けた覚えがある(レビュー)。だが2作目はまるで観た記憶がない。自分のブログを調べたら、DVDで観ていたようだが、2行程度の感想しか書いていない所を見ると、どうやらどうでもいい映画だったらしい。同時にこの頃からピクサー/ディズニーのCGアニメに飽きてきていたようだ。
さてこの3作目、『カーズ/クロスロード』では主人公ライトニング・マックィーンが人生の岐路に立たされる様が描かれる。自分より新型で性能の高いマシン、ジャクソン・ストームの登場により己のアイデンティティに揺らぎが起こるのだ。その末のレース中の大クラッシュ。満身創痍のライトニングはもう一度自分を見つめ直し、そして新たな試練を自分に課して再び勝利を掴む為に切磋琢磨する、というのがこの物語である。
これは人間で言うなら若く才能豊かな新人の登場が、これまで負け知らずだった自分の前に立ちふさがり脅威となる、といった物語に読み変えられる。かつては自分も、若くパワフルで、溢れんばかりの才能に満ち溢れた存在だった。しかし、新しい世代の登場は、自分を時代遅れのものとしようとしているのだ。
計算しつくされたボディを持ち最新先端機器でトレーニングするジャクソンに対しライトニングの"新たな"特訓は泥臭くアナログだ。正直この程度の訓練ならこれまでとっくに行ってきただろうし、"新たな教え"を乞いに出向いたベテランレースマシンの助言すら、それほど新しいものがあったのかと思う。ここにはどこか根性を連呼する精神主義に通じる自己満足しか感じない。これで本当にライトニングは勝つつもりだったのか、勝てるつもりだったのか。そしてもしこれで勝ったとしても、物語は白々しい終わり方しかしないではないか。
だがここで登場するのがライトニングの担当トレーナー、クルーズ・ラミレスの存在である。かつてレーシングカーを目指しながら挫折しトレーナーの仕事に甘んじていたクルーズの、そのレースへの「想い」にライトニングは心揺さぶられるのだ。ここから先の展開は書けないが、既に老雄となった者が成すべきことは何かを描いた無理のないシナリオだったと思う。
しかしこの3作目を観て思ったのは、やはりアメリカ人というのは負けないことを第一義とする国民なのだな、ということだ。負けたくないのは別にどこの国の人間でも一緒だろうが、その勝つための前向きさと楽観主義の在り方と自信過剰ぶりがアメリカ人らしいなと思ったのだ。実際の所ライトニングにはジャクソンに勝てる要素が少しもなかったように思う。しかし時代遅れだろうが精神主義だろうがライトニングは勝つための方法をなんとしてでも模索しようとする。
それによるクライマックスへの展開もご都合主義と言えばそれまでだが、少なくとも、勝利の為のドラマとしてはとりあえず綺麗なまとまり方をしている。映画としても十分面白く観ることが出来た。だからただ文句が言いたくて言ってるだけなのだが、このアメリカ人ならではのポジティブさと理想主義が時として煩わしく感じるのも真実であり、この『カーズ/クロスロード』にしても、「そんなに綺麗にまとめんなよなー」と減らず口を叩きたくなる自分がいるのも確かなのだ。すまん、ひねくれ者なんだ。ああ、でもやっぱりラストの奥田民生の歌はサイコーだったよ。

■「カーズ/クロスロード」日本版エンドソング:奥田民生「エンジン」PV