質的調査の代表性の問題と海外との研究動向の摺り合わせにおける言語の障害
アメリカの社会学で質的研究ということでインタビューに基づいたエスノグラフィっぽい研究してる人たちもいるが、昨今はサンプル数の確保だとかが妙に求められる傾向もあるとか聞く。量的研究の人が多い分野内の状況および「科学」手続きというものへの捨てきれないこだわりが大変そうだなと思う。
2010-08-23 01:02:57EMが「質的」なのかどうかは微妙だけど、いわゆるサンプルの代表性を気にせずに成果が読める「質的」研究はEM以外にあまりみたことがない。普通のエスノグラフィーだと、どうしても「その人だけじゃん?」という疑念が湧いてくることが多い。
2010-08-23 01:07:48@yamtom いや、日本もかなり同じ状況だと思いますよ…いまだに質的は量的の残余カテゴリー扱いをする人がいっぱいいます。関係ないですが、僕は質的/量的という二分法もまたよろしくないと思っているわけですが…
2010-08-23 01:08:53@n_akiya 日本もそうですかー。量的/質的という言葉自体、社会学まわりでは頻繁にきくけれど、人類学界隈では聞かない言葉だったりします。
2010-08-23 01:11:44@sunaneko そのひとだけじゃん?でべつにいいじゃん?っていうノリがあるかも。とくに人文アイデンティティが強いエスノグラフぁーの場合。
2010-08-23 01:13:40@n_akiya あと、データ集めまではインタビューとかしてる「質的」社会学系のひとが、データ解析になるといきなりそれをコード化してコンピュータにぶちこんだりしてるケースもよくあるので、そこでもなんか大変そうだなあ(ってあちらはそう思ってないのかもしれないが)と思ってしまったり。
2010-08-23 01:16:07@yamtom そうですねえ...。「そのひとだけじゃん?」と言われて「腑に落ちる」という経験をしてみたいなあ、と。それをエスノグラフィーに求めるのはぜいたくなんですかね。
2010-08-23 01:16:31@sunaneko そのエスノグラフィを書く側も、「これは私にしか書けない、私のストーリーだし」とか思ってたりもするので。むしろその代表性のなさをいかに正直に記述するかかなあと私は思ってるところあるかも。
2010-08-23 01:19:14@yamtom いやー、私はEMにシンパシー持ってる人間なので、コード化する人たちに関しては同様に大変そうだなあという感想をもっていますw
2010-08-23 01:20:20@yamtom なるほど、だんだん分かってきたかも。「質的」研究をする学生をどう指導するかでほんとにずっと悩んできたので、ちょっと自分でも考えてみます。ありがとうございます。
2010-08-23 01:21:17これもまた「方法論」に対する社会学の激しいこだわりみたいなのがよくわかる話RT @yamtom: n_akiya 日本もそうですかー。量的/質的という言葉自体、社会学まわりでは頻繁にきくけれど、人類学界隈では聞かない言葉だったりします。
2010-08-23 01:22:33@sunaneko 私は中越地震の研究で,ランダムサンプリングで量的なデータは取ったものの,それでもそれがT市だからではないかという代表性の問題にさいなまれています.では,被害を被ったところを全て対象としても,それは中越地方だからではないかという代表性の問題が出てくるでしょう.
2010-08-23 01:30:47@sunaneko あ、いえいえ。たんにいい加減なだけじゃないか疑惑とかもでてきそうですがw 人類学でエスノグラフィやってる人のなかでももっと「科学」志向のひともいるだろうとは思いますが、私は開き直り系です。
2010-08-23 01:31:10たしかに方法論へのこだわり度は違うかもと思います。RT @n_akiya: これもまた「方法論」に対する社会学の激しいこだわりみたいなのがよくわかる話RT @yamtom: n_akiya 量的/質的という言葉自体、社会学まわりでは頻繁にきくけれど、人類学界隈では聞かない言葉
2010-08-23 01:32:38私なら「ブログに書くネタキタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!」と思っちゃうところですねそれは。 RT @sunaneko: * でも社会学会で「君、足し算で何が分かるというのだね」と言われちゃうんですよ。
2010-08-23 01:38:18@ryuhei_tsuji 怖い話ですが、たしかにランダムに災害が起こせるとすれば「ランダム化実験」になりますね。いやほんとに怖い話だ。
2010-08-23 01:38:26質的調査の代表性の問題は、集合知としての社会学を信頼できるかどうかにかかっていると思う。自分の発見が異なるフィールドにも適用できるかどうかは他の後続研究者に委ねる他ない。それができるためには普遍化可能な理論の形で自己の発見を提示することが必要だ。それがない研究は意味がない。
2010-08-23 03:19:40もちろん提示の仕方はさまざまありえるので例えば、数理モデルにしないといけないというようなことは全くない。場合によっては文学の形式をとることが普遍的な意義を訴えるのに最も効果的だということもありうるだろう。
2010-08-23 03:24:09私は日本の文化人類学ってまったくノータッチだったのだよな。博論フィールドワーク最中も人類学系のアカデミアの場にはほぼまったく足をふみいれず、学会にもはいってないし、行った事もない。一度くらいは行ってみるべきなのだろうかと思いつついまだに実現せず。
2010-08-23 03:48:36日本滞在中、ここ3年連続でJ学会にいってしまったわけだが、もうそろそろいい加減いいだろう気分なので、次の機会あったらほかに行ってみるかな。
2010-08-23 03:50:35