ムントtoフラクタル〜ヤマカンはついに「アニメに湧くゴキブリ撲滅」を成し遂げるか


ムント以降のアニメは2種類にわかれる。
つまり、川を渡るか、それとも渡らないかだ
                           AYAKASHIのワースター

                                  


ここに、かつての山本寛氏が、いかにmuntoを愛したかを記しておく

(03.19)


 一寸反則だが、やたらアニメを知らない野蛮な虫が湧いて来たので。


 木上益治「munto」。


 別に某首相のように無条件全面支持を断言するつもりはない。実際本人には某大統領のように面と向かって批判をぶちまけてしまっている。要は湧いた虫共を明らかなる「悪の枢軸」と見做し、神の名の下にジハードを挙行せんとする「アニメ原理主義者」として当然の振舞いである。


 一言で言えば、「潔い」。様々な制約や「観客」、そして自己の映画的欲求など幾多の隔靴掻痒たる葛藤を超え、ここまでの芳醇さを画面に定着し得た本作には驚きを禁じ得ない。また生意気にも「ここまでアニメに愛されているのにアニメへの返答をロクにしていないアナタは絶対罰当たりだ!!」とか吐いてしまって苦笑を買ってしまったのだが、ただのクソなら諦めもつく。しかし本作を満たす「落下−飛翔」の一対のテーゼ、そしてその「上下」の運動性を後半若いアベックの「川の踏破」そして少女の「走り」という「縦横」の運動性へと変換し、恰もモーションの糸を交差させるようにして強固なタペストリーを完成させてしまったその映画的才能に気付かないバカが、やはりアニメを腐らせる蛆として今日も闇夜を跋扈するのだ


 これでアニメの「倫理」が学べるのだから、アニメを本気で愛する者ならこんなに安い買い物はないと常識的に思いますが、何か?


(03.25)


 ディズニーと提携した時点でまさかミッキーマウスの「噛ませ犬」のような役割が求められていたという憶測は流石に成り立たないと思われ、やはり何らかの商業的価値を期待されていたと考えるのが映画的常識に照らし合わせてみても妥当だとは思ったし、ならばこのスタジオジブリと宮崎「ゴールデンベア」駿が米アカデミー賞なんぞに祭り上げられる事も容易に予測のつく事であり、ましてこのアカデミー賞は決して「国際映画祭」ではないのだし世界三大映画祭の中にも入っていない訳で、そこで賞を獲る獲らないなど日本アカデミー賞並に大して意味もないのだから、そこで何らかのオスカーを貰ったとしてもまぁ今や幼稚な戦争ヒステリーに成り下がった米帝民共に一泡吹かせてやったという程度の痛快さしかない筈なのであるが、それにしても「千と千尋の神隠し」が長編アニメ賞を獲ってしまったという事実には何だかイラク侵攻の最中に真珠湾攻撃を仕掛けてしまったかのような倒錯的な快感を感じてしまってどうしようもないのだが、勿論こんな事でアニメの文化的地位や社会的評価が上がるなんて早合点してしまうには及ばず、寧ろアニメの現状を考えるなら宮崎本人と話を合わせて、(システム自体からは)何も生み出し得なくなったアニメ界の惨状を嘲り笑ってみたくもなるのだが、残念ながら今や自分が何を作っているのかすら理解出来なくなって白痴を遥かに通り越して最早人間とは別の生き物ではないのか?とまで思ってしまう日本のアニメ界を見るにつけそんな嘲笑の余裕すら持ち得なかったというのが正直なところであり、何せあの「munto」を傍から見ていたれっきとした自称「プロ」共が、ストーリー展開が唐突で解り難いだの説教臭いだの声優ウザイだのキャラデザ寒いだの音楽ヘボイだの、明らかに素人なら誰でもが口に出来る稚拙な言葉の羅列で自分がアニメの総てを語れたように満足し切っているその余りの醜悪さには思わず眼を背けたくなるのだが、まがりなりにもアニメーター風情を気取って大手振って社会渡り歩いてますという身振りで臆面もなく生き続ける彼等には少しでもそのアニメート表現に言及して自分のプロ意識をカタギの連中に示してやろうなどというプライドすら微塵もない訳で、これはもう醜悪さを遥かに超えて犯罪だとさえ言える訳でまた言い切らなければならない訳なのだが、結局アニメはこのような虫達の温床でしかなかったと言うのもまた歴史的に見れば納得の行く範囲であり、ならばここで粛清か総括かのようにヒステリックに喚いてしまうのもまた同じ穴のムジナである訳で、ならば今私に出来る事と言えば、ひたすら「munto」の弔い合戦の為に力を蓄える事くらいなのだろう、と気を引き締めた本日でした。おしまい。


(03.27)


 本当のアニメーションが一般人の言う意味での「面白い」ものになる筈がないし、そうあってはならない、アニメーションとは実は「面白さ」と無縁の領域にあるのだ、という事を日本で初めて決然と口にしてしまったのが「もののけ姫」であった訳で、多分にハッタリ臭さが残るとは言え宮崎駿の弟子を自認して来た庵野秀明が及び腰ながらもそれに続けとばかり奮闘した「劇場版エヴァ」がこの「もののけ姫」と揃い踏みを果たした所で1997年は「アニメが死んだ年」として歴史に刻み付けられたのであり、事実それ以降五年間に亘って日本製のアニメはたったの一本も製作されなくなってしまった訳なのだが、「神殺し」を終えてホッと一息ついてしまった不甲斐ない弟子を尻目に、師はどうも形ばかりの「死」ではなく某大国のように「根絶」を達成しないと気が済まないらしく、再び「千と千尋の神隠し」という、タイトルからして何とも不穏で如何わしい作品を以って進撃を再開してしまった。その「千と千尋」が死に体のアニメーションに猛攻を加え大人気ないとも言える大勝利を収めたその陰で、その「大国のエゴ」や「グローバリズム」に背を向けひっそりと過ごしていた小国が突如牙を剥き、「munto」というこれまた如何わしい大量破壊兵器を以ってこの「テロの世紀」に相応しい振舞いを演じる事となろうとはどうやら事を起こした本人もまだ気付いていないらしく、これがまた何ともアニメーションらしい呑気な気分を感じさせてはくれるのだが、将来の潜在的なものを予測するしないに関わらず、今「アニメーション」という戦争のさなかにいるのはどう見間違えてもこの「千と千尋」と「munto」の二つしか存在する筈がなく、「面白さ」という名の「平和」ばかりを望む臆病な他の作品達に到底期待出来るものではない、という事を重ねて確認した上で、このはすみっち臭い句点なしの文章で「木上益治」という作家を世界で初めて「発見」した者としての自画自賛に酔いしれた試写会でした。おしまい。


 という訳で「『munto』販促キャンペーン」と見せかけた「アニメに湧くゴキブリ撲滅キャンペーン」も今回で最終回です。一応。

http://web.archive.org/web/20030621232617/http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kanku/mousou0303.htm


この文章を読むだけで、山本寛氏の圧倒的な才覚を垣間見ることが出来る。
ムントの魅力が「川渡り」にあることを、TV放映の5年以上前に認識していたという事実に驚かざるおえない。
>「落下−飛翔」の一対のテーゼ
というのもTVシリーズ最終話の冒頭を見れば一目瞭然。


>今私に出来る事と言えば、ひたすら「munto」の弔い合戦の為に力を蓄える事くらいなのだろう


ついに弔い合戦が始まる・・・っ!