シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「僕がいちばん まどか☆マギカ をうまく描けるんだー」

 
 http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-1635.html
 
 魔法少女まどか☆マギカの放送が無事終わったが、ネタバレへの配慮を含め、作品の内容について書き残すのは時期尚早と思う。代わりにここでは、11話12話の放送後にネットで観測された一現象について書き残しておく。
 
 放送終了後、期待作の待ちに待ったエンディングだけあって、満足の声がたくさん観測された。その一方、あそこがだめだ、ここがだめだ、最終話はこうあるべきだ、という声もそれなりに見かけた。「期待を裏切られた」と表現したくなるような、苛立ちのつぶやきにも遭遇した。
 
 「こんなのは、まどか☆マギカの最終話としてふさわしくない。」
 「これでは傑作と呼ぶには値しないね。傑作であるためには、僕の考える条件をクリアしてないと。」
 
 とにかくも、その人自身の考える理想のエンディングと、実際に放送されたエンディングの間の乖離に、いらだったり不満を言わずにいられない人達が一定数存在したわけだ。
 
 アニメをつくっているのは自分自身ではなく他人だし、アニメを売る対象も自分だけでなく幅広い価値観の視聴者が相手なわけだから、自分の脳内理想と、現実に提示される作品の間に乖離が生じるのは当然のこと;その当然に耐えられずに「僕の気持ちを裏切ったな!」といわんばかりの勢いで失望する人達は、過去のアニメにも観測されたし、他のメディアジャンル(たとえばポップス歌手やドラマや)でもしばしばみられる現象ではある。けれども一般的には、作品の出来栄えが極端に変わってしまった場合に発生しやすく、まず破綻しないエンディングに着陸した作品では発生しにくいものだった、と思う。
 
 では、まどか☆マギカは、10話までの展開を悪い意味で裏切ってしまうような作品だったり、TV版エヴァのように破綻した結末を迎えてしまった作品だったりしただろうか?そうではあるまい。ネタバレを避けるため詳しい言及は避けるが、作品としてのまとまりを概ね維持し、矛盾の少ない、統合性の高いエンディングを迎えたようにみえる。
 
 にもかかわらず、「まどか☆マギカに不満や苛立ちを表明せずにいられない人々」がそれなりに形成されたわけだ。
 これは、どうしてか?
 
 単純に理由を考えるなら、「多数のオタクが観ていたから、確率の問題として不平を言う人が観測されやすかった」「このアニメが好みではない人達がそれなりにいた」というものだろうし、実際その通りなのだろう、と思う。また、人気作品と距離を取ることをアイデンティティにしているような人達にとっては、このアニメもまた、距離を取った態度を取る必要のある作品だっただろう。
 
 しかし、他の要因もありそうだ。
 あまりにも作品への思い入れが強くなってしまって・ファン自身と作品との一体感が強くなりすぎてしまい、3月から思い暖めていた自分なりの理想のエンディングと、現実のエンディングの乖離に耐えにくい状況が生じてしまったファンが多く現れたからではないか。
 
 もともと、作品との一体感・登場人物との一体感を通して自己愛を充たすようなコンテンツ消費形式は、オタク界隈には豊富だが、特にまどか☆マギカの場合、10話までを放送していた頃から、作品や魔法少女達に自己仮託してフィーバーしているような人が多く観測されていたように思う。それこそ「俺が、俺たちが、魔法少女だ」とでも言いたいかのような。
 
 そのような極度に思い入れと自己仮託を練り上げやすい状況下で、3月から1ヶ月以上、最終話を「お預け」されていたファン達が、脳内で「僕の考えた、かくあるべき魔法少女まどか☆マギカのエンディング」をあれこれ膨らませながら、焦れていたのは想像に難くない。
 
 このような「僕の考えた、かくあるべき魔法少女まどか☆マギカのエンディング」とのハイレベルな一体感を抱きしめながら本放送を待てば、そのぶん、自分の脳内理想エンディングと現実のエンディングとの乖離が目に留まりやすくなろうし、乖離への苛立ちも大きくなってしまうのは必定。ぶっちゃけ、10話までの時点で作品や魔法少女と一体化しすぎてしまった人達は、本放送の内容がどのようなものであれ、この乖離の苛立ちを避けられなかったのではないか。脳内で長期発酵させていた理想のエンディングが先鋭な人ほど、現実に放送されるエンディングとの乖離は深く鋭くならざるを得ないのだから。
 
 人は、自分が理想とみなしている一体感の対象や、自己愛を充たしてくれる対象から「はがされてしまった」と感じた瞬間に、苛立ちや怒りを覚えてしまいやすい。そうした現象が、まどか☆マギカという、いかにも理想化の対象になりやすそうなアニメにおいて派手に起こった、というのは整理しやすい理路ではある。
 
 かくして、「僕がいちばん まどか☆マギカ をうまく描けるんだー」と意訳したくなるような叫び声を併発しながら、まどか☆マギカは無事終了した。まあ、それだけ深く、まどか☆マギカは多くの人たちに愛されていたという事だろう。「俺の脳内理想どおりのエンディングを見せてくれないお前なんて!」という憤りは、どこかストーカー的な愛憎に似ている気がするけれども、この場合、愛憎の対象となっているのは架空コンテンツと架空のキャラクターなのでさほど気にすることもあるまい。
 
 そして、本放送のエンディングに不満でしようがないというのなら、いっそ、自分自身でアニメや小説を自作するか、そこまでいかなくても、二次創作作品をつくって「俺のシナリオこそが本筋。アニメ放送されていたのは不完全な出来損ないに過ぎない」と思い込めばいいのだろう。そのような思い込みを実現するための作法とノウハウは、オタク界隈には昔から整備されているので、そのような営為を咎める者も、制限する者もあるまい。このような脳内補完の作法に関しては、界隈の懐はじつに深い。
 
 エンディングで満足した人も、エンディングに噴飯やるかたなかった人も、まどか☆マギカを今後も長く愛していければいいなと思う。