山本七平botまとめ【「芸」の絶対化と量②】/日本は「物量で」負けたわけではない/~受験戦争型「芸」磨きの弱点とは~

山本七平著『なぜ日本は敗れるのか―敗因21ヶ条』/第7章 「芸」の絶対化と量/185頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

1】この(芸の絶対化という)伝統的行き方は、一面、陸軍の宿命だったともいえる。というのは、上記の伝統を最も継承しやすいのが、徳川的伝統的思考とその戦闘技術を不知不識のうちに摂取せざるを得なかった陸軍であったこと、(続

2012-09-02 09:57:46
山本七平bot @yamamoto7hei

2】続>そして同時に、日本の国力と石油資源の皆無はその大規模な機械化を不可能にしたため、否応なく外的制約が固定せざるを得なかったことにある。陸軍の散兵線は、昭和十二年ごろまで、日露戦争当時と全く同じの、人間距離六歩の一線の散兵線方式をとっていた。<『日本はなぜ敗れるのか』

2012-09-02 10:28:06
山本七平bot @yamamoto7hei

3】簡単にいえば、チャンドラを変え得ないから、それを活用する方式を変え得ず、その制約の中で”芸”をみがくという行き方しかできなかったわけである。練兵場という言葉がある。いわば兵を練って練って練りあげて、武芸ならぬ”銃芸”の達人にしようというわけである。

2012-09-02 10:57:46
山本七平bot @yamamoto7hei

4】または歩兵には「朝稽古・冬稽古」という、絶え間なき銃剣術の練習があった。この方法を徹底的に推し進めれば、三八式歩兵銃の宮本武蔵が出現しても不思議ではない。

2012-09-02 11:28:02
山本七平bot @yamamoto7hei

5】ただその”芸”はかつて「飛道具は卑怯」として制約された世界でしか成立しなかった如く「重砲群・攻撃機・戦車は卑怯」として制約される世界でないと成り立たない。だが成り立ちさえすれば当然に強力であり、従って…偶然にこの制約が存在しうる情況では日本軍は異常な強さを発揮し得た。

2012-09-02 11:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

6】そしてその例だけをピックアップすれば、最初に記したように、何やかんや言ったって日本軍は強かったんじゃ、という主張が、根拠があるように見えてくるのである。そしてその強さを発揮し得たものが「精兵」と呼ばれ、この精兵を作ることに軍はその全エネルギーを集中したわけである。

2012-09-02 12:28:04
山本七平bot @yamamoto7hei

7】これは前述のように一種の受験戦争型訓練であり、従って、前提がなくなれば無益の”芸”になってしまうのだが。そしてこの行き方のもう一つの欠陥は、交替要員がいないことであった。一言でいえば武蔵の交替はあり得ないのである。

2012-09-02 12:57:46
山本七平bot @yamamoto7hei

8】またTさんのチャンドラはTさんが働いている限り…最新式印刷機の如き価値をもつが、もしTさんが病気にでもなれば、一瞬にして全機能は停止し能力はゼロになってしまう。そして他の人間がこれを使えば全く機能しないスクラップに等しい。そしてこの克服は機械的・技術的同一訓練では達成できない

2012-09-02 13:28:08
山本七平bot @yamamoto7hei

9】従って日本軍には兵団の優劣に恐るべき差が生じ、一方が満点、一方が零点という事がありうる。この事は会田雄次氏も指嫡しておられるが、ある師団は実質的には戦力ゼロに等しく、ある師団は想像外の戦力をもつという形になる。従って戦力のバラツキ、個人差、団体差が実に激しくなる。

2012-09-02 13:57:45
山本七平bot @yamamoto7hei

10】言うまでもなくこれは、”芸”の有無は、満点かゼロかという形にでても…その中間があり得ないからである。そしてその”芸”に達するには異常といえる長期の訓練を必要とし、速成大量教育では達成できない。従って補充がきかないという形になってしまう。

2012-09-02 14:28:03
山本七平bot @yamamoto7hei

11】そして第三の欠陥はより大きな高度の技術が開発された場合、この”芸”は技術に転用できず…武芸者も銃芸者も無価値の存在になってしまう事であった。更に問題はこの”芸”を基礎に、それもまた”芸”として組みたてられた戦術も役に立たなくなり、以上の欠陥を量で補う事もできない点である。

2012-09-02 14:57:45
山本七平bot @yamamoto7hei

12】さらに第四の欠点をあげれば、情況が変化すれば、たとえ精兵の”芸”でも一切役に立たないということである。”芸”は、客観的な制約を前提としているし――いわば剣法は道場を前提とし、碁・将棋は、盤とルールを前提としている。

2012-09-02 15:28:02
山本七平bot @yamamoto7hei

13】従って、徹底的な訓練が一挙に無駄になることがあり、そしてそれが無駄であると知った瞬間、すべての自信は崩壊してしまう。この”芸”至上主義、一種の訓練至上主義は陸海軍を通じ、また陸軍の各兵科を通じて共通していた。

2012-09-02 15:57:44
山本七平bot @yamamoto7hei

14】それは「百発百中の砲一門は百発一中の砲百門にまさる」という言葉に表われている。この言葉は、さまざまな”名人芸”を生み出した。そして名人芸はいつしか、手段であるはずの”芸”それ自体を一つの目的と化してしまう。

2012-09-02 16:28:05
山本七平bot @yamamoto7hei

15】この点、陸軍の”芸”至上主義は、戦後の受験勉強と非常によく似ている。すなわち、学力評価の手段である試験が逆に目的と化し、学問はその試験突破の手段となる、といった形である。

2012-09-02 16:57:45
山本七平bot @yamamoto7hei

16】そうなれば試験に「アメリカ人にもわからぬ英文」が出題されて不思議でないように、戦場では絶対に起り得ぬ情況を想定した訓練といったものがあっても不思議でない。私自身、そういう訓練をうけ、実に奇妙なことだと思った経験がある。

2012-09-02 17:28:03
山本七平bot @yamamoto7hei

17】言うまでもなく砲兵将校の訓練は、一言でいえば射撃(海軍でいう砲術)である。海軍の場合は、双方が動きまわっているから陸軍よりもずっと砲撃はむずかしい、と考えられやすい。

2012-09-02 17:57:44
山本七平bot @yamamoto7hei

18】…しかし陸軍側にいわすと、海軍は誤射しても「魚が驚くだけ」だが、陸軍の場合は目標のすぐ手前に歩兵がいるから、絶対誤射は許されない。それだけでなく、歩兵とは結局、友軍の弾着点目がけてとびこむという形にならざるを得ないから、そこへの射撃のむずかしさは海軍の比ではないという。

2012-09-02 18:28:00
山本七平bot @yamamoto7hei

19】さらに、戦線といっても現地に何か線があるわけでなく、みな擬装して姿をかくしており、これを的確につかむことも海軍以上にむずかしいという。こういう陸海の「オレが」「オレが」の自慢のやりとりを記しているときりがないわけだが、実は両者には、根本的な違いがある。

2012-09-02 18:57:49
山本七平bot @yamamoto7hei

20】それは、海軍では砲と観測所が同一の船にある。そして両者は…離れることはない。しかし陸軍では砲と観測所が同一個所にあること…は例外であって、砲は後方に、観測所ははるか前方に出て、この二つを電話・無電・手旗信号等でつなぐのが普通である。そしてこれを遠隔観測という。

2012-09-02 19:28:05
山本七平bot @yamamoto7hei

21】砲兵将校の訓練とは、専らこの遠隔観測射撃の訓練である。言うまでもないことだが、砲車・目標・観測所の位置の関係によっては、観測所で見えた通りに砲の射向・射距離を修正したら、とんでもない結果になって不思議ではない。

2012-09-02 19:57:47
山本七平bot @yamamoto7hei

22】極端な例をあげれば、この関係は誰にでもわかる事だが、例えば観測所が目標の左真横にあり、いわば弾着を横から眺めていたらどうなるか。この場合、目標の手前に落ちたと見えた砲弾は、砲車から見れば左に落ちている。目標より遠くその背後に落ちたと見えれば、砲車から見て右に落ちている。

2012-09-02 20:28:05
山本七平bot @yamamoto7hei

23】同じように目標の左は、射距離が遠すぎるのであり、目標の右は射距離が近すぎるのである。この関係を一言で言えば「遠近の誤差が方向の誤差に見え、方向の誤差が遠近の誤差に見える」ということである。

2012-09-02 20:57:46
山本七平bot @yamamoto7hei

24】従って、近いと見えたら右に修正し、遠いと見えたら左に修正し、左と見えたら射距離をちぢめ、右と見えたら射距離をのばさねばならない。射撃訓練の原則とは、一にこれだけである。

2012-09-02 21:28:04
山本七平bot @yamamoto7hei

25】従ってこの関係が全部頭に入り、方向角と射距離の関係とその換算率の全てが、あらゆる関係位置において頭の中に入っているという人間、簡単にいえば頭の中が電算機のようになっている人間をつくり出す事である。

2012-09-02 21:57:45