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ニュースの現場で考えること

「メディアの罠〜権力に加担する新聞・テレビの深層」 その「まえがき」から

「メディアの罠 権力に加担する新聞・テレビの深層」が発売されて、1ヶ月ほどになる。おかげさまで、あちこちから「メディアの病巣がよく分かる」「問題は本当に構造的だ。それをきちんと整理できている」といった声を頂いている。今度の日曜日、11日午後には東京の八重洲ブックセンターで刊行記念のトークショーも予定されている。神保哲生さん、青木理さん、それに私の3人が顔をそろえ、あれやこれやと語る手はずだ。関心をお持ちの方は、ぜひ。大震災からちょうど1年に当たる日なので、話はその方面にも進むと思う。

「メディアの罠」については、私が著者3人を代表する形で、以下のような「まえがき」を書いた。ぜひ書店で手にとってくだされば、と思う。

(以下、「まえがき」からの引用)
 最近のメディア批判、ジャーナリズム批判は止まるところを知らない。本書を手に取ったみなさんも「新聞やテレビの報道はいったい、どうなってしまったのか」「誰のために、誰に向かって、何を報じようとしているのか」といった憤りや不信を抱いた経験が少なからずあると思う。

 とりわけ、二〇一一年三月に起きた東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故に際しては、報道不信が極まった。「新聞は政府や東京電力の言い分を垂れ流すのか」「大本営発表だ」。そんな批判を目にしなかった日はないほどだ。報道批判がメディアに深い関心を持つ人々から国民各層へ一気に広がったという意味でも、二〇一一年はメディア史に記憶される年になるだろう。

 本書の筆者三人は従前から、今の報道のあり方に強い疑義を投げかけてきた。

 そして「報道の理想型」があるとすれば、どのようにしてそれに近づくかの実践もそれぞれの立場で繰り返してきた。同時に、最近のメディア批判、報道批判については「短い言葉の応酬や言葉の激しさを競うような、上滑りのやり取りが多すぎないか」「批判のための批判が横行している」といった違和感を拭えずにいた。

 要は、「メディア批判に対する疑問」である。

 青木理さんは共同通信社で記者だった。社会部やソウル支局で働き、警察取材、とくに公安関係に強い。フリーになった後も精力的な取材活動を続け、ニュース番組のレギュラー・コメンテーターもこなしている。
 神保哲生さんは外国通信社の記者を経てビデオジャーナリストになった。この分野では日本の嚆矢と言ってよい。インターネット時代の到来を早くから見据え、報道番組の制作・配信を一〇年以上も前からネット上で続けている。
 高田昌幸は北海道新聞社で二五年間記者生活を送った。調査報道に関心が深く、その分野での実践を続けた。東日本大震災後に退社したが、記者クラブの開放を早くから訴え続けるなど、フリーになる前も今も姿勢は変わらない。

 三人の共通項は「報道現場の人間である」ということだ。報道現場のおかしさや矛盾などは身をもって数え切れないほど経験してきた。そして「批判のための批判ではなく、改革のための批判を」との考えでも一致している。批判は大切だけれども声高に叫ぶだけでは問題は解決しない。ものごとには経緯と理由がある。それを見据えて、もっと丁寧な議論が必要ではないか、と。

 だから本書は、最近流行の、激しい言葉が飛び交うだけのメディア批判とは少し趣が違う。「何がどう違うのか」は、三人の議論の中からぜひ読み取っていただきたいと思う。
by masayuki_100 | 2012-03-07 20:10 | ■2011年7月~