9月3日(ドラえもんの誕生日!)、「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」がいよいよオープンする。入館は完全予約制で、すでに7月30日よりローソンのLoppiでの予約受付がはじまっている。
ちなみに、藤子・F・不二雄は長らく川崎市に住み、新宿にある仕事場との通勤にはずっと小田急電車を利用していたという。その小田急でも、藤子ミュージアムの開館を記念して藤子キャラを描いたラッピング電車が走り出した。

7月にはまた小学館の「藤子・F・不二雄大全集」の第2期が完結、9月からは第3期の刊行が始まろうとしている。この全集、各作品を発表順に並べたり、できるかぎり初出時に近い状態で(たとえば単行本化のさいカラーから白黒に変更されたページも、再度カラーにするなどして)掲載したりと、その力の入れ方には並々ならぬものがある。長らく諸事情(これについては安藤健二『封印作品の闇』あたりを参照されたい)で単行本が入手困難になっていた『オバケのQ太郎』や『ジャングル黒べえ』といった作品が収録されたこともファンとしてはうれしい。

さて、同じく小学館発行の学習マンガ雑誌「GAKUMAN plus(ガクマンプラス)」の9/10月号にも、藤子ミュージアムの開館にあわせて姫野よしかず「藤子・F・不二雄物語 ~まんがの王様の挑戦~」という読み切りマンガが掲載されている。
なお作者の姫野は、もともと『釣りバカ日誌』などで知られる北見けんいちのアシスタント出身だとか。北見が赤塚不二夫に師事したことを考えると、赤塚や藤子不二雄らトキワ荘グループの流れを汲んでいるともいえる(なお、エキレビ!では原則として敬称を略しているのだが、フルネーム以外で呼ぶ場合、「藤子」ではA先生との区別がつかないし、かといって「藤子F」とするのもどうもしっくりこないので、本記事では「F先生」で統一させていただく)。

「藤子・F・不二雄物語」は、東京・西新宿の藤子・F・不二雄プロダクションを訪れた男子小学生・飛田ヒロシ(飛田はのび太とかかっているのだろう)が、いまも残るF先生の仕事部屋にこっそり忍びこんだところ、42年前の1969年にタイムスリップしてしまうところから物語がはじまる。

1969年のある夜(季節は秋から冬にかけてだろうか)、仕事場に籠もって、小学館の学年誌で翌年の1月号から始まる新連載のアイデアを練っていたF先生。すでに予告は誌面に出ていたものの、そこにはメガネをかけた男の子の机の引き出しから何かが飛び出すということが描かれているだけで、その正体が何なのかは伏せられていた。というのも、この時点では主人公もストーリーもタイトルも、具体的なことは何も決まっていなかったからである。


連載開始を目の前にしてアイデアにゆきづまるF先生。ふいにトキワ荘時代、こんなふうにアイデアにつまるとよく野良猫の蚤とりをしていたことや、自分の娘がよく遊んでいた起きあがりこぼしのイメージが思い浮かぶ。あともう一歩……というところで突如として現れるのが飛田少年だ。携帯電話を持ち2011年という年号を口にする少年に、F先生は驚きつつも彼が未来からやって来たことをすぐに理解する。それとともに、野良猫や起きあがりこぼしのイメージが結びつき、未来からやって来たさまざまな道具を持ったネコ型ロボットが少年を助けるというアイデアが完成するのだった。この新連載こそ『ドラえもん』というわけだが、21世紀の少年がF先生の仕事に影響を与えてしまうという展開には――冒頭に「この物語は、事実を元にしたフィクションです。
実際のできごととは多少異なります」と断り書きがあるとはいえ――ちょっと戸惑ってしまった(これについてはあとでまた触れたい)。

ともあれ、担当の編集者が待ちかねて仕事場にやって来たのとすれ違うように飛田少年はどこかへ消えるものの、その後もF先生がピンチに追いこまれるたびに現れる(それはまるでのび太を助けるという使命を帯びて未来からやって来たドラえもんのようだ)。たとえば、連載開始から4年、『ドラえもん』が終わることがいったん決まったとき、再度現れた少年はF先生に「やめちゃダメ!!」と駄々をこねる。F先生はそれにこたえて「ドラえもんはきっと復活させてみせる!」と約束するのだが、果たして連載終了後、再開を望む声が編集部に殺到、早くも約束はかなえられたのだった。『ドラえもん』は大ヒットとはならないまでも、確実に読者の心をつかんでいたことを示すエピソードである。

この復活を経て、『ドラえもん』は本格的なブームを迎える。
「てんとう虫コミックス」からF先生自身が話を厳選して単行本化されたり、藤子作品を中心にした新雑誌として「コロコロコミック」が創刊されたほか、テレビアニメや劇場映画もつくられるようになる(作中登場する声優の大山のぶ代がかわゆい!)。しかしどれだけ人気マンガ家になっても、F先生は電車通勤を続け、締め切りが迫っていなければ定時に帰宅するなど規則正しい生活を送っていた。このあたり、以前紹介したような“締め切り破り”にまつわる数々の伝説を抱える手塚治虫などとくらべたらいかにもおとなしい。でも、そういう人だったからこそ、日常生活のなかに現れる“すこしふしぎ(SF)”をさまざまなかたちで描き出すことができたのではないか。

ただしF先生は真面目な人ではあったけれども、取材旅行で訪れた海外でラクダから落ちかけたとき、助けようとする編集者に対し「こんなときこそシャッターチャンスでしょ!」とツッコミを入れるなど茶目っ気たっぷりな人でもあった。余談ながら、これと似たシーンがF先生の作品にあったような……と思ったら、『T・Pぼん』には、先生がモデルと思しきマンガ家が、やはり取材旅行先のメキシコのピラミッドから落下して死んでしまうというエピソードがあったっけ(中公文庫版第2巻所収の「PART 16 チャク・モールのいけにえ」)。


ところで、現代の小学生がタイムスリップしてF先生と会うという設定にははじめ違和感があったのだが、読み進むうちに腑に落ちた。F先生が常に子供たちの反応を考えに考えながら『ドラえもん』を描き続けてきたことを強調するには、この設定が最適だと思ったからだ。おそらくF先生はいつも、頭のなかで子供たちと対話しながら原稿に向かっていたのではないか。しかも21世紀のいまも『ドラえもん』が子供たちに読み継がれていることを考えれば、その話し相手が“未来の子供”であってもおかしくはないだろう。

この設定がもっとも効果的に発揮されていると思ったのは、『ドラえもん』の劇場版アニメ第1作となった「のび太の恐竜」(封切は1980年3月)の公開前夜におけるエピソードだ。このとき、子供たちが劇場に足を運んでくれるかどうか悩んでいたF先生だが(当時ドラえもんは大ブームになっていたことを思えば、これは意外だった)、飛田少年の励ましを受けて立ち直る。
事実、公開初日、映画館には大勢の人が行列をつくり、F先生の心配は杞憂に終わった。じつは「のび太の恐竜」は私が生まれて初めて映画館で観た映画だったりする。それだけにこの話にはグッとくるものがあった。

このように、「藤子・F・不二雄物語」にはF先生と『ドラえもん』にまつわるエピソードが満載だ。さらにラストでは、藤子・F・不二雄ミュージアムの“窓枠”に隠されたひみつが明かされているのだが……しかしこんな話を教えられると、ますます行きたくなるじゃないですか!(近藤正高)