予言と預言/与言、あるいは集合論 #prophecy

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@ke_ta

ベン図使って集合の和積計算してOKなのってベン図を(普通1~3個の生成元を持つ)自由ブール代数とみなすことができるから、という説明はあり?

2010-07-04 21:25:22
@ke_ta

ド・モルガンの法則をブール代数で証明したりすると自然演繹の異常な楽さが身に染みる コツを掴むまでの時間の問題とは言えるだろうけれど

2010-07-04 23:00:54
@ke_ta

えーと、対角線論法使った実数の非加算性は集合論の公理から有限の記号列で証明できるんだったか それならレーヴェンハイム=スコーレムのパラドックスは結構面白い気も

2010-07-05 03:14:54
@ke_ta

モデルが加算モデルであるというのはあくまでモデルの外部の自然数からの全射があるというだけのことだから、モデルの内部ではベルンシュタインの定理の仮定が満たされないわけか 特に不思議ではなかったか

2010-07-05 03:57:10
@ke_ta

ブール代数とブール環の翻訳可能性をどうすればきれいに記述できるのかと考えていたがこういうときこそ圏論の出番だったのか 関手を上手く定義すれば同型であることが示せると

2010-07-05 06:07:44
@ke_ta

解析学とかマジわからん(というよりやる気が出ない) これはもう超準解析の方から攻めるしかないのではないか

2010-07-06 04:54:42
@ke_ta

後期ウィトゲンシュタインはラッセルが評したように常識に屈した天才として積極的にdisっていきたい

2010-07-06 05:12:00
@ke_ta

野矢茂樹は『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』文庫版あとがきにおいて「『探究』において『論考』はようやく足をおとせる足場を見出した」というが、逆に『論考』の立場から『探究』の議論は全て解釈可能なのではないかなー ウロボロス的な関係 まあ直観なので読み直さないと怪しいが

2010-07-06 05:20:00
@ke_ta

『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』によればキリスト教解釈の変化が前期から後期への変化を促したようだし、『探究』の世界観によって生きやすくなったのかもしれないけれど、まああんまり面白くはない

2010-07-06 05:24:08
@ke_ta

ダメットの「ゲーデルの定理の哲学的意義」を読む 我々は自然数の標準モデルと超準モデルを取り違えることは「事実上」ありえないのだから、素朴な形式主義は間違っており直観主義が正しいと なるほど、確かに しかしそれはそうと自然数の超準モデルを直観的に把握している共感覚者の想定は可能では

2010-07-06 09:19:14
myrmecoleon @myrmecoleon

というか預は豫の略体で豫は予の旧字だからほぼ同じ意味。ただし,prophecyを「預言」と訳したのが中国人か日本人かは検討が必要。日本では預は「あずかる」の意味を与えられている。

2010-07-06 09:31:38
myrmecoleon @myrmecoleon

漢字文化圏での最初の聖書の翻訳ってどれだっけ。

2010-07-06 09:34:12
myrmecoleon @myrmecoleon

Wikipediaで概観すると一応中国のが古いのか。19世紀前半には「神天聖書」というのが出てる。「預言」の語はそのころから使われてるのかな。それともたまたまある時点で日本で参照した漢文聖書が「預」の文字を使ってるものだったのかしら。

2010-07-06 09:42:08
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

.@myrmecoleon あら、批判されちまっていたようですね。僕は橋爪大三郎経由で考えており、また分けることには一定の意義があるので、「相互排他的定義である」と取る誤解には関わらないつもりです(僕はそうは言ってない。「予言」の方が意味が広い、と指摘しただけ)。

2010-07-06 09:36:52
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

語源だからどうこう、という話は、「歴史的になぜ分化することになったのか」という言説分析的なアプローチも取り入れた上で「やっぱり語源通り取るのがいいよ!」という話にしなければ、ナンセンスですね。表象は動的なのだから。

2010-07-06 09:38:15
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

予言と預言、というのは橋爪大三郎『世界がわかる宗教社会学』などにおける一種の方便です。そこで重要なことは「預言/予言」という分割が“語源的に”あったというのではなく、「一神教における神託」と「超常的な未来予測」との意味範囲が異なることを指す際の語彙として便利、ということ。

2010-07-06 09:46:28
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

だから、指示対象としての預言/予言が重なりつつ、(宗教現象としては)大いにズレているということが伝わればよくて、昔からそういう話だったというような強い主張は、誰もしていないはずです。「予言の自己成就」もprophecyだけど、その場合は敢えて分割した場合の〈預言〉ではないし。

2010-07-06 09:48:33
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

(今のはあさひさんからの社会学的術語についての補足から戴きました)

2010-07-06 09:48:55
myrmecoleon @myrmecoleon

@tricken まあ排他的に使うべき場面とそうでない場面があるのかなと。というか「預」に「あずかる」という意味を与えたところなんかも含めて「言葉ってそういうもの」なんだろうなと。/でもたまたま日本で聖書を普及するときに使われた訳が「預言」の字体を使ってただけ,とかはありがちw

2010-07-06 09:49:20
myrmecoleon @myrmecoleon

@gnue まあ中国語でもいろいろありますよ。語源全然違う文字を「音が同じだから」利用したのが現在でも残ってるとか。

2010-07-06 09:50:19
myrmecoleon @myrmecoleon

@moroshigeki 「預言」がいつ「豫言」から切り離されたとかは,ちゃんと言うにはそのへんから見ていく必要があるのかもしれませんねー。たぶん全然違う異体字とかも使われてると思われ。

2010-07-06 09:51:33
myrmecoleon @myrmecoleon

@tricken ああ,舊新訳でそうならわりと近代で絞れますね。>預言 ありがとうございます。

2010-07-06 09:58:18
myrmecoleon @myrmecoleon

この本面白そう。中国文学者による「豫言」「預言」「予言」批判。 http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/yurin_476/yurin5.html#lib

2010-07-06 10:02:41
myrmecoleon @myrmecoleon

@gnue そもそも「豫」ってもともと「でっかい象」って意味だったという話もありますし。ほんとか知らんけど。象はまんま動物のゾウ。

2010-07-06 10:08:11
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

@myrmecoleon 実際、舊新訳聖書では「豫」ですね。ほんで「予兆」も「豫兆」です。一方で易経では「雷地豫」という卦があり、たぶん漢字の語源としてはこれが最古に近いのではないかなあ。「和順し豫楽す」って意味で取られてるので、またイメージ違いますね。

2010-07-06 09:55:04
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